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余白を泳ぐ

物語は氷山の一角でしかない。

物語を見た後、その世界観に浸る時間がフィクションの醍醐味だと思う。僕が見たのは登場人物の日々の一部始終だ。語られなかった部分に想像を巡らすことで、物語は身体に浸透していく。あるいは、フィクションはリアリティを獲得していく。

物語を評価する際、「余白」という言葉が使われることがある。所謂、「想像の余地を残す」ということだ。語り過ぎる物語は時に鬱陶しくもある。

余白の生み出し方は色々あるが、やはり大事なのは精密な世界観が土台にあることだろう。設定を詳細にすればするほど、作品の世界観は鮮明になる。だからこそ、物語を見た後にその世界観に浸ってしまうのだ。

最近、「人喰い大鷲のトリコ」をプレイした。

完全に圧倒された。遺跡内を歩けば歩くほど想像力を湧き立てられる。状況の説明は殆どなく、自分で歩み進めるしかない。廃れた遺跡であるが、かつて高度な文明が栄えたことが伺える。この遺跡はどのような都市だったのか。そして何故滅びてしまったのか。

結局、エンディングまでやっても遺跡そのものの成り立ちは判明しなかった。ある程度の謎は解明されたが、多くの謎は依然として残ったまま。けど、エンディング後にあれやこれやと想像を膨らませる時間が心地よいのだ。

おそらく大鷲はかつての文明人によって創られた生物なのだろう。用途は不明だが、人間を集めていたところ見ると兵器的な役割があったのかもしれない。不慮の事故で角が折れたトリコは塔の支配から免れ、主人公との交流を通して友情が芽生えていく。意図的に作られた生物がその役割から外れ、種族を超えた友情を築き上げる。美しい物語。

物語は氷山の一角でしかない。余白を泳ぐことで、フィクションが僕に取り込まれ、そして同時に僕がフィクションに取り込まれる。

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