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魔法のじゅうたんと三人のクラウン

 こんにちは、まこっちゃんです。

 5月号のちいず記者の記事を読んで、『魔法のじゅうたん』の三人のクラウンについて気になっちゃって気になっちゃって夜も眠れない春日三球みたいになっちゃった、という人もいらっしゃるのではないでしょうか。
 そこで、そんなアナタのために今回はその『魔法のじゅうたん』の三人のクラウンについて夜も寝ないで昼寝して書きたいと思います。

 ぼくが『魔法のじゅうたん』を初めて見たのは横浜にある放送ライブラリーで、もう20年以上前のことです。以来、何度となく見ました。

 『魔法のじゅうたん』は1961年4月5日から1963年10月2日までの毎週水曜日の18時からNHKで全127回生放送されていたテレビ番組です。ぼくが生まれるずっと前です。もともとは『子どもの時間』という枠内の番組で、その後1962年4月4日に独立番組になりました。
 じゅうたんが空を飛ぶメイン・コーナーの他にもいくつかレギュラーのコーナーがあり、たいへんな人気だったそうです。そのいくつかのコーナーのひとつに「三人のクラウン」があったのでした。
 ということで気になる「三人のクラウン」ですが、その前にまず『魔法のじゅうたん』がどんな番組だったのかを紹介します。

魔法のじゅうたん

1:オープニング

 魔法使いが空飛ぶじゅうたんに乗ろうとするけれど、じゅうたんがまったくいうことを聞いてくれなくてなかなか乗れないという、コマ撮りの人形アニメーション。結局魔法使いは最後までじゅうたんに乗れないというオチで『魔法のじゅうたん』のメインタイトル。このアニメは日本を代表する人形アニメ作家でのちに日本アニメーション協会会長に就任する川本喜八郎氏によるものです。

2:三人のクラウン

 三人のクラウンがさまざまなことにチャレンジしたり、トラブルやアクシデントに巻き込まれたりする無言劇風ドタバタコメディ。キネコという機器を使い、コマ落としでサイレント映画のような動きを再現しています。三人のクラウンはちゃんとホワイトフェイス、オーグスト、キャラクターという基本のスリーフェイスに役分けができていてかなり欧米のクラウンを本格的に研究していたことが窺えます。クラウンのひとりを演じていたノッポさん(当時:高見映さん)はのちにクラウンカレッジ・ジャパン卒業生とステージで共演した際に「僕はクラウンをよく知っているんだよ」とおっしゃっていたことがあり、それはもしかしたらこの『魔法のじゅうたん』当時のことを言っていたのかもしれません。
「これはクラウンたちの動きに合わせて、私が活弁士のようになって、ナレーションのように声を入れていました。(トットちゃん・談)」

3:アニメ「タコちゃん」

 漫画家吉田幸夫氏の手描き漫画切り抜きアニメ。100回記念では主人公の少年タコちゃんが100ちゃんというロボットに扮して友達や家族に100にちなんだ贈り物をするというストーリーです。お父さんに100本のタバコをプレゼントして喜ばれるという場面は今の子供向け番組では考えられないので、時代だなぁと思いました。「タコちゃん」も黒柳徹子さんが全ての登場人物の声をあてています。

4:なぞなぞコーナー

 黒柳徹子さんとピッコロ博士が週ごとに交互になぞなぞを出題するコーナー。なぞなぞは視聴者から送られた問題を採用することもありました。100回記念の放送ではピッコロ博士からの「100枚の着物を着たお姫様が1枚着物を脱ぎました。着物の色は何色?」という問題で、正解が出せなかった徹子さんに対して得意げにしていたのですが、じつはこの問題が視聴者からの出題だったことがバレて徹子さんに「ピーちゃん」呼ばわりされ憤慨するというオチでした。ちなみに正解は「白」です。
ピッコロ博士は俳優の永山一夫氏が逆さまになって顎に顔を描いて扮していたのですが、ずっと逆さま状態で喋るのって結構しんどくない? って思っちゃいました。
「顔を逆さまにして顎に博士の顔を描いたキャラクター〝ピッコロ博士〟と私がなぞなぞをするコーナーもありましたね。ニュースのお話なんかも取り入れていて、社会性のある内容だったと思います。(トットちゃん・談)」

5:二人トットちゃん

 黒柳徹子さんと、徹子さんによく似てるけど性格が正反対の女性(黒柳徹子さんによる二役)の共演によるショートストーリー。キネコを使ってかなり複雑な合成に成功しています。100回記念放送ではなんと、徹子さんが三人登場して、しかも小森明宏氏オリジナルの歌を三重唱しちゃうのには驚きです! 今でこそデジタルでいくらでもレイヤーを重ねられますが、当時これをアナログでやっていたことを思うと、ビツクリギョ~テンせずにはいられません!
「私が2人出てきておしゃべりしたり、歌を歌ったりするコーナーは、2回、3回と撮影したものを合成していました。当時としては最新の技術で、100回記念の放送では私が3人登場したんですよ。技術的に無理だとはじめは言われていたのですが、飯沢先生(飯沢匡)が「絶対できる」とおっしゃって実現しました。とっても面白かったですね。(トットちゃん・談)」

6:空飛ぶじゅうたん

 番組のメイン・コーナー。毎週視聴者の中から男女二人の小学生がゲストとして黒柳徹子さんとともにNHKの屋上から魔法のじゅうたんに乗って日本各地を空から見る、という内容です。空撮は予め撮影したVTRを別カットで流していました。(その後、当時画期的だったクロマキー合成を導入してまるで本当に空を飛んでいるかのような臨場感ある演出がなされたとのことです)
「じゅうたんに乗っている私たちのカットはスタジオで撮影し、空撮した背景映像と合成していました。学校を上から見る空撮にはヘリコプターを使っていたんです。いま思えば大がかりですよね。私自身、出演していて面白かったですし、NHKでも三本の指に入る人気番組だったようです。(トットちゃん・談)」

(※トットちゃんコメントは『NHKライブラリー選集』(1984年)、『NHK TV60 オモイデテレビ』、『NHK放送史 テレビ出演歴60年!黒柳徹子さんがテレビ草創期の舞台裏を回想』(2013年)、『チコちゃんに叱られる! チコちゃんにトットちゃんがやってきた!スペシャル』(2021年)などのインタビューより)

 『魔法のじゅうたん』は当時の画期的な最新映像技術を駆使して作られ、子どもたちにとても人気だったそうです。黒柳徹子さんが唱える「ア~ブラカタブラ~」という呪文が流行したという話や多くの小学生が魔法のじゅうたんごっこをしていたという話も聞きます。当時小学生だった60代以上の方々のお話を聞くと「魔法のじゅうたんが欲しかった」とか「自分も乗ってみたかった」という感想が多く出てきます。じっさいに番組には出演応募が殺到していたのだそうです。ちなみに「画面にヘリコプターの影が映り込んでる時があって、ああやっぱりな、と思った」という人もいらっしゃいました。
 そんな人気番組が放送開始から三年で敢えなく終了するのですが、2021年4月30日放送『チコちゃんに叱られる!』の「チコの部屋」にゲストで出演した時の黒柳徹子さんの話によると、1964年10月に開幕する東京オリンピックが終了の理由だったのだとか。当時一台しかなかった撮影用のヘリコプターを東京オリンピックのために使うことが決定したため『魔法のじゅうたん』の空撮ができなくなったからなのだそうです。

 さて、この『魔法のじゅうたん』ですが、生放送だったため現存する映像はキネコでフィルム変換され保存された第100回のみです。これは2005年8月29日にNHK総合『NHKアーカイブス』でフルバージョンが放送されました。
 現在は川口市にあるNHKアーカイブス川口で誰でも視聴できるほか、横浜情報文化センター内にある放送法に基づく国内唯一の放送番組専門の放送ライブラリーでも視聴できます。また、NHKエンタープライズから発売されているDVD『懐かしのこども番組グラフィティー 夕方6時セレクション1』にも収録されています。


三人のクラウンこんにちは

 それでは「三人のクラウン」を見てみましょう。
 ホワイトフェイスのサトくん(坂本新兵さん)、オーグストのロロくん(辻村真人さん)、キャラクターのコゴくん(高見映さん)が登場しご挨拶するところから始まります。現存する映像では第100回にちなんで100歳のおじいさん(山口堅志さん)に会いにゆくというエピソードが残されています。公園でついに出会った100歳のおじいさんはまるで超人で翻弄されまくった挙句に、100歳でもとても元気いっぱいだということを讃えて番組100回を祝う内容になっています。
 サーカスのクラウンはよく誇張された大きい日用品を小道具として使うことがありますが、この「三人のクラウン」にも大きいノートに大きい鉛筆で書く場面があります。これはサイレント・コメディ映画というよりは見ていてサーカス的な印象を受けました。
 クラウンたちがおじいさんに100歳まで元気でいる秘訣を聞き出そうとして、おじいさんと対決して重量挙げをする場面などで、バーベルが持ち上がらなかったり、持ち上がったと思ったら下敷きになっちゃったりといった典型的なクラウン芸がうかがえます。結局おじいさんには勝てず、コテンパンにされるクラウンたちなのでした。
 ぜひぜひ他の回も見たいと思うのですが、この回しか残されていないのがとても残念です。

 ここでふと疑問が湧きます。
『魔法のじゅうたん』ではクラウンがなんたるや一切の説明がなく、クラウンがクラウンとして登場しています。日本では長く〝ピエロ〟という呼称が定着してしまっていて、今でもなかなかクラウンという呼称が普及しません。特に我々クラウンカレッジ出身者はクラウンという呼称にこだわって普及に努めてきましたが、絵本や子供番組などで〝ピエロ〟という呼称が使われている限り子供の頃からこれはピエロだと思い込んでいるため、なかなかその壁を打ち破ることができずにいるのです。それほど長きにわたって日本では〝ピエロ〟が定着してしまっているのに、この番組ではごく自然な感じでクラウンはクラウンなのです。黒柳徹子さんもコーナーの終わりに「相変わらずのクラウンでした~」と閉めています。さらに、上述したようにこの番組じたい大変人気が高く、じゅうたんのコーナーに応募が殺到したり、当時の小学生の間で台詞や呪文が大流行するほどでした。
 このことからも〝クラウン〟という呼称がこの番組とともにかなり浸透していたのではないかと推察することができます。ということは、この番組以後にクラウンを誰もが〝ピエロ〟と呼んでしまうことになってしまうような何かが日本に起こったのでしょうか?

 なぜ日本でクラウンは〝ピエロ〟と呼ばれるようになったのか? それでも『魔法のじゅうたん』の三人のクラウンはなぜ三人のピエロじゃなくて三人のクラウンなのか?
 謎は深まるばかりです。

 それではお時間来ました。さよなら、さよなら、さよなら。



書いたのは

まこっちゃん
地面を歩いてます。空飛ぶじゅうたんがもしあったら…乗ってみたいですか? つかまるところもないし、あんなに狭くて薄くてなびいちゃう物に乗って高いところをビューンって飛ぶのはさすがに怖いなぁ。と思っちゃう。

まこっちゃんの空飛ばないじゅうたん↓↓
https://youtu.be/NwVmU2DvYXI

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