どこにでもあって、ここにしかない、セクシュアリティの話《Club with Sの日 第15回レポ》



先に言っておく。

自分はXavier Dolanが好きだ。

だから、今から書く文章は一方的なラブレターのようなものだ。
読んでいる君をどこまでも置いてけぼりにするだろう。
そして相変わらず、ちっともレポの体裁をなしていない。

でも、恋とは本来、利己的なものでは?

2020年10月9日
映画『Matthias & Maxime』を観た。
思い返してみると、これが自分にとってセクシュアリティに対する考え方の大きな転換点だった。

2021年11月17日
Club with Sの日 第15回
テーマ『ノンバイナリーのセクシュアリティとは?』

約一年の間に、セクシュアリティについて何度も悩み、答えを出しては問い直し、Queerを自認し、カミングアウトを経て、他者や社会の無理解を思い知り、現実に絶望しながら、コミュニティを立ち上げ、マイノリティ当事者の仲間と出会い、語り合い、そして今、次の誰かへメッセージを送ろうとしている。

全てを可能にしてくれたのは、“セクシュアリティについて何度も悩み”、その始まりに辿り着けたことだったのではないだろうか。

あの頃の感覚が蘇る。

こんなことで悩むなんておかしいんじゃないか。
だって、年齢的に……

クィアネスを扱った映画のほとんどが思春期にフォーカスしていた。
様々な作品に影響を受け、無意識に「Queerなら10代の頃からセクシュアリティの揺らぎを実感しているはずだ」という思い込みができていた。
そんな時、メインビジュアルに惹かれてたまたま観た映画『Matthias & Maxime』。
青年同士のラブストーリーを描きながら、主人公たちの年齢は30歳。
まだ若いけど、もう若くはない彼らが、友情と恋愛感情の狭間で戸惑い、セクシュアリティについて初めて(本当の意味で)向き合っている。
そして、監督であるXavier Dolanが強調するように、これはホモセクシュアリティをテーマにした映画ではなく、普遍的なラブストーリーだ。

多くの人が恋愛について考えるように、セクシュアリティはQueer特有のものではなく、誰もがその揺れ動きを経験し得ること。
たとえ現時点で「自分はストレートだ!!」とはっきりしている人でも、ふとしたきっかけで変化する可能性があること。
セクシュアリティは流動的なものであり、そこに年齢は関係ないこと。

映画を通して伝えられたメッセージに励まされ、やっと腰を落ち着けて悩めるようになった。
何より嬉しかったのは、映画が美しかったことだ。
心を奪われ、勢いで数日後に2回目を観に行き、やっぱり美しくて、泣いた。
20代半ばで、セクシュアリティについて悩むことをどこか恥のように感じていたからこそ、自分の内面を表現した映像がどこまでも眩しいことに救われた。
孤独な自分にとって光となったものは、「これだ!!」となるセクシュアリティを発見した瞬間でも、「君がマイノリティでも大丈夫だよ」という誰かの受容でもなく、ただ「君はおかしくない」と肯定してくれた一本の映画だった。

Xavier Dolanが『Beach Rats』、『God's Own Country』、『Boy Erased』そして『Call Me By Your Name』に感銘を受けて『Matthias & Maxime』を描いたように、自分は本作にインスパイアされてコミュニティを誕生させた。
プラスの連鎖が続くことを願って、ミーティングを開始する。

ノンバイナリーだと、“異性”や“同性”の定義がシスジェンダーの人とは異なってくるよね?
誰かがノンバイナリーの僕らに恋愛感情を抱いた場合、それは相手がQueerになることを意味する?
ノンバイナリーをカミングアウトする前orした後で、相手との関係性は変化するもの?

うーーーん……
前回のミーティング同様、言語化するのは本当に難しい。
曖昧なor不完全な感情たちをそのままの姿で表現できる、受け入れてもらえる空間の存在がどれだけ尊いか、改めて実感する。
これは、間違いなく求めていた居場所だった。

一年前の自分はきっと信じてくれないだろう。
でも、映画館の暗闇を飛び出して、PC画面に映るメンバーそれぞれの存在に光を感じている瞬間はフィクションなんかじゃない。
今は、今だけは、生まれたての感情が秘めた危うさへと向かう欲望を、どこか愚かにもみえる執着を、“愛”と呼んでみないか?

ジェンダーやセクシュアリティについて若者同士でオープンに語り合える環境。
『Matthias & Maxime』では、アイデンティティに関するテーマが閉ざされてきた30歳以降の大人たちと、より柔軟な考え方をする10~20代の若い世代との捉え方の違いも表現している。(すごすぎる)
映画のパンフレットを読み返しながら、そういう点からもClub with Sのスタンスはインスピレーションを受けていたんだな、と再確認した。
二つの世代の中間に位置する一人の20代の若者として、価値観の分断を際立たせるためではなく、両者の橋渡しとなるような、少なくとも年下の人たちが大人になることへの抵抗や不安を軽減できるような存在になれたらいいな、と思っている。

迷ったとき、これまでは映画に立ち返って安心を求めてきた。
だけど、これからは映画といっしょにClub with Sの日に寄り添うだろう。
もし君がこの先、君自身の変化に戸惑い、不安に襲われることがあったなら、どうかこのメッセージを思い出してほしい。

セクシュアリティは流動的なもので、感情が揺れ動くことはおかしくなんかない。

何度でも伝えたいのは、自分が悩み終わって満足しているからではなく、今もこれからも変化していくことを自覚しているし、その変化に向き合う覚悟があるから。
たぶん、君とは違う価値観だし、お互いの感情を完全に理解し合うことはできないだろう。
でも、だからこそ、話したい。
君と一緒に悩みたいんだ。

そして、できたら、本当にできたらでよいのだけど、このメッセージを大切な誰かに届けてもらえたら。

自分がXavier Dolanの稀有な表現に救われたように、君だけのセクシュアリティが、その存在自体が、誰かを肯定する光となることを確信して。

これは、どこにでもあって、ここにしかない、感性へのラブレターだ。




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