「あなたの好きな作家は?」

今まで「好きな作家はどんな人?」と問われて少し答えに窮していたのは、私は作家が好きなのではなく、個々の作品が好きなのだと気づいた。

例えば私は「超芸術トマソン」とその潮流が好きだが、その作者である赤瀬川原平氏のことは——好きでないことは決してないが——よく分からない。よく分からないというのは、ある一個人を丸々理解してその上その好き嫌いを判断することなど出来ないだろうという不可能性というか、他者という存在の得体の知れなさみたいなものが、それへの価値判断を否定している様な気がするのだ。相手のことを知ろうとして調べたりして実際に知っていったとしても、どこまでいってもそこは行き止まりのゴールでなく、目の前にあるのはさらに深淵という感覚、言うなれば悪魔の証明?ミュンヒハウゼンのトリレンマ?みたいなのが他の人にもあるのではなかろうか。
というか「写真集2、3冊読んだり個展一回行ったりしたぐらいでその作家丸ごと好きって言っちゃうほど私はチョロくないわい」という気持ちかも知れない。

これはTwitterで定期的に流行る「作者の人格と作品は別か同じか問題」とかも絡んでる気がして、となると私は人格と作品は別であると考えていることに上記だけを見るとなるんだけれど、でもやっぱりTwitterとかで作者のアレな部分を見ちゃうと作品を見たときにちょっと「うん……」ってなっちゃうんですよね。
そこで考えたのだけど、作品と作者の人格はそれぞれ独立しているのだけれども二つはほとんど常に相互作用関係にあるんじゃなかろうか。つまり作者の言動によって作品の文脈が揺らいだり、逆に作品によって作者が再発見したりという、お互いがお互いに影響されるコミュニケーション状態にあるのではないだろうか。なので作者の人格と作品は別だが、同時にその二つは繋がっている。どうでしょう。

それとあと「あの作品は好きだったのに最近出してくる作品はあんまりピンとこない……」というマイナーなバンドのファンの様な悩みなどもあり、これから「好きな作家は?」と問われたら「○○という作家さんの□□という作品が好きです」と言おうと思った次第である。

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