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つねに「いそぐ」のではなく、「ゆっくり、いそぐ」ことを大切にできる私でいたい。

CMCで余白ある暮らしをした結果、全ての人がその生き方を継続するわけではありません。

今回感想文を書いてくれた、鎌田夏生さんもその一人です。

田舎の「ゆっくりさ」に触れたことによって、もともと自分が持ち合わせていた「いそぐ」ことの良さも再確認した夏生さん。
スピードの速い社会に再び飛び込みながら、自分自身に「ゆっくりさ」与えてあげられるような、柔軟なあり方を教えてくれます。

【卒業生自己紹介】
名前:鎌田夏生(かまたなつき)
年齢(参加時):24歳
東京で大学生をしている際に、授業は全てし終えたのでCMCへ参加。
現在は東京で会社員(ITコンサルタント)をしている。

私がCMCに参加したのは2021年10月~2月。参加は一年も前なのに、ファシリテーターの晃平(いい奴だけど適当な男)に、突然参加体験記を書いてほしいと頼まれた。

集中できる場所にいきたいと思い立って、前から気になっていた東京都西国分寺にある「クルミドコーヒー」に来ている。

クルミドコーヒーの店主である影山知明さんが執筆した本『ゆっくり、いそげ –カフェからはじまる人を手段化しない経済–』が、いまの私の考えにぴったりで、思わずタイトルに使ってしまった。


CMCに参加する前の自分だったら、きっとこんなに惹かれなかっただろうな。CMCへの参加前後で世界の見え方が変わったのだと、暮らしの隅々で感じることがある。

広田での暮らしから一年も経ってしまった時の流れのはやさと、でも広田で感じたことが自分の中に根付いていることの両者に驚きながらも、私が陸前高田市広田町で暮らした5か月で感じたことをお伝え出来たらと思う。

何かしている自分でいるために参加したCMC

そもそも私がCMCに参加したのは、端的に言えば暇つぶし、というか「何かしている自分」でいたかったから。
大学生のうちにしかできないことをしたいと思って大学5年生になったのに、憎きコロナのせいで「やりたいことリスト」はすべて白紙になってしまった。同期は社会人になってせっせと働いているのに「私はなにもしていない」と勝手に焦っていた。

以前からゼミの友人の影響で興味を持っていたデンマークのフォルケホイスコーレという教育機関に留学してみたいと考えていたのだが、海外に行くことができず絶望していた私に、岩手の陸前高田市広田町でフォルケっぽいことしてる人がいるらしいよ、と教えてくれた友人がいた。

祖父母も東京近郊に住んでいて24年間東京都民だった生粋の都会っ子の私は、「田舎暮らしってなんかおもしろそう」、「コロナで東京いても何もできないし行ってみるかあ」と、ほとんど遊びに行くような感覚で、CMCへの参加を決めたのであった。


そんな軽い気持ちで参加したCMCが自分の人生観を大きく揺さぶってきた。はっきり言って私の人生の見方は変わってしまった。

「つくる」ことの豊かさ、そして震災に触れることで直面した「生きる」ことへの問い

広田で感じたこと、考えたことはここに書ききれないくらいたくさんあるが、特に心に残っている2つを挙げたい。

ひとつめが、「「つくる」ことは豊かである」ということ。

私は、「お金」の価値を疑ったことがなかった。
ご飯を食べることも、楽しむことも、自分がやりたいことをやるには、「お金がないとだめだ、だからその分稼がないと、自分の人生は豊かにならない」と思っていた。
もちろんお金と全くかかわらずに生きていくことはかなり難しいことだけど、その強い思い込みが広田での暮らしのなかで少しずつ溶かされていった。

生産者との距離が近い広田では、新鮮な魚、野菜、牡蠣、わかめ、りんごなど、東京ではありえない質と量の食べ物を、お金を介することなく得ることができた。近所の方のお手伝いの対価はおいしいごはんだったし、外食する場所のない広田では、人とご飯を食べるときはいつも自炊で宅飲みだった。

カラオケなんて当然ないから、歌いたいときには誰かのウクレレやギターに合わせてみんなで歌った。おしゃべりしたいときはカフェに行くのではなく、歩いて海に行き、時には焚火をしながら語り合った。大雪が降った日にはみんなで雪合戦をして、手作りの竹スキーで遊んだ。

「あれ、お金を使わなくても、すごくたのしいぞ。」
これは自分にとってすごく大きな発見だった。東京にいたころの自分は常に何かを消費する側で、お金と引き換えに、顔も見えない誰かからのモノやコトを得るという一方向のベクトルしか持ち合わせていなかった。完璧でも便利でもないけど、手触り感を持って何かを自分と人とで「つくる」ことは新鮮で楽しくて。自分の人生を豊かにするものはお金だけではないと心から思うことができた。

東京に帰ってきた今、便利で楽ちんな消費側に引っ張られて流されてしまうことも多い。でも、自炊をして食べるものを「つくったり」、ウクレレをはじめて人と歌う空間を「つくったり」、「つくる」側でいることの豊かさを忘れない自分でいたいと思っている。


ふたつめが、「当然のように来ると信じてやまない明日は決して当たり前ではない」ということ。
今でも忘れられないが、CMC卒業の前夜、2021年2月13日の夜に東北地方にすごく大きな地震が起こった。皆が寝静まった夜に緊急地震速報が鳴り響いて、住んでいた古民家が大きく揺れて、すぐに飛び起きた。怖くてたまらなかった。

CMCに参加する前、私は東日本大震災について詳しく学んだことがなかった。
中学一年生の自分には起きていることの大きさが理解しきれず、テレビに映る映像がなんかの映画みたいだと思ったことを覚えている。陸前高田市についてもなんとなく被災地というイメージだけをもっていただけで、岩手に行くことで震災のことも知れたらなあという気持ちをもっていたくらいだった。

陸前高田の市街地に着いてあたりを見回すと、見渡す限り真っ平で高い建物が一つもなくて、10年弱経っても至る所で工事をしていた。広田は半島につながる道路が冠水して陸の孤島になってしまったことを、陸前高田の展望台から町を見下ろしながら説明してもらった。

気仙沼の震災遺構にいき、津波で壊れた高校の生々しい傷跡をみた。
周囲に何も残っていない中ぽつんとある石巻の大川小学校に行き、語り部の方に当時の話を、想いを、直接聞いて肌で感じた。
震災が奪ったものの大きさと、震災があってもなお、そこで日々を生きている人がいることを知った。

陸前高田にある、奇跡の一本松。
津波が引き下がった後に唯一残っていた松の木。

私はこれまでの人生で「死」を身近に感じたことがなく、明日は当たり前に来ると信じて疑ったことはなかった。
でも、当然のように来ると信じてやまない明日は決して当たり前ではないのだと思う。

そう心から思った経験は、
「私はどう生きていきたいのだろう」という大きすぎる問いに結びついて、自分の日々の向き合い方、生き方を大きく変えることになった。

広田で暮らしてわかった、今の私が生きる場所


そんな大きな気づきをくれた広田での暮らしだけど、私が広田で暮らしつづける未来は見えなかった。

広田での暮らしは、これまで知らなかった豊かさを感じる一方で、苦しくもあったから。私はこれまで持っていた都会の価値観を完全に捨てることはできないし、したいとも思わなかった。いまの私は、資本主義社会で頑張る自分に広田で得た豊かさを少しずつ組み入れるくらいがちょうどいいな、と。

でもCMCに参加しなかったら、私は競争社会の中で生きることしか知らずに、一つの価値観に縛られて苦しんでいたと思う。「何を大切にしたいか」に向き合うこともなく、ひたづらせわしない日々をこなしていたのだと思う。

そんな私に新たな価値観をくれたCMCには感謝しかないし、あの時何となくでも飛び込んでみて本当に良かったと思っている。



「いそぐ」ことが、最速で前にすすむことが、唯一解だと思っていた自分が、CMCに参加することで「ゆっくり」することの豊かさを知った。

これまでの自分の人生にはない価値観で、目の前ひとつひとつのことを大切にすることがすごく心地よかった。でも、「ゆっくり」には豊かさだけではなくて、もどかしさや苦しさもあった。いろんなことに興味を持つせわしない私には都会のほうが刺激とチャンスにあふれているように見えて、どうしても人と比べてしまうことをやめられない自分は、「何もしていない自分」に何度も落ち込んで焦った。

私は「いそぐ」ことは悪いことではないと思う。
「いそぐ」ことは自分をありたい自分に成長させてくれるスパイスで、人生を豊かにする一つだとも思う。
ただ「いそぐ」ことしか選べない人生はたまらなく苦しくもある。

わがままな私はその両方が欲しい。「いそぐ」ことも、「ゆっくり」することも、どちらも自分の人生を豊かにしてくれる。だから私は、これからも自分なりの「ゆっくり、いそげ」を追い求めて生きていきたい。

4ヶ月一緒に過ごした8人で、卒業前に撮った一枚。

編集後記
田舎は田舎だけでは持続可能ではないし、都会は都会だけでは持続可能ではない。それは町という単位でも、個人の生き方という単位でも言えることなんだと思います。

「最終的にはCMCぽい価値観にもっと寄れたらいいなあと思うんだけど、いまはそのフェーズじゃない感じ」
と書いた後に教えてくれた夏生さん。
また一つCMCの価値を教えてもらったような気がします。
ありがとうございました☺️
編集者:CMCファシリテーター 山本晃平


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