教える側

 タイトルを見て変な自分語りを想定した方はとりあえずその身構えを一度解いてほしい。

 と言うのも今回も夢物語である。とは言え今回の夢物語は少々現実味を帯びている。

 なんと自分がある講座を開いているという恐ろしい夢である。題材は身バレの危険性が言うので細かいことは控えるが
…はっきり言ってここで下手なことを言うと受講者の命に関わる題材である。

 その夢ではとにかく下手なことは言わないこと,そして原因は努力不足ではなく,環境など自分たちのコントロール下に置けないものが要因であることが多い,と言うことを強調していた。

 人間確かに努力も責任感も必要だがいきすぎると自分を破滅させる凶器となり得る。何でもそうだ。人の生活に不可欠な水も電気も食べ物も,塩も,薬も仕事も娯楽も,使い方を間違えれば人生を破滅させる驚異になり得る。

 その使い方を教える立場というのはこんなにも孤独で,こんなにも周りが見えず,こんなにも足が震えるものだと言うことが妙にリアルであった。

 自分が誰かに何かを教え伝えるのはとうてい早いと想いながらもその講座は終了した。

 しかし夢は続く。誰かに教える,誰かを導く役割というのはその日の役割が終わったあとも「これでよかったのか」と自問自答していた。

 今日の劇場はそんなもやもやした状況で幕を閉じた。

 恐らく現実の教師やいわゆる師と呼ばれる立場の人間はこのようなジレンマにオンオフ関わらずとらわれる方は多いのではないか。
 夢から覚めた自分ですら実際にはない「夢」の出来事でもやもやしているのだ。現実にそのような職業やってる人がスッキリしない感情を持っていても何ら不思議ではない。。

 もちろん仕事が終われば速効でオフモードになるのはいいことだし,自分もどちらかというとそちら派である。ただ切り替えが上手くできずに悩む人間を切り捨てる気にならないのも事実だ。

 誰かの人生に介入する役割というのは特に悩みのつきないものである。そのような役割の人が報われる世の中になってほしいものだ。

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