届かないけど、書きたい手紙

この手紙を送る相手の方たちは,私がnoteに投稿していることを知りません。
それでもその人たちに言いたいことがありました。その人たちの行いが今年私を救った「やさしさ」だったかもしれないからです。

今年の仕事

今年の仕事はとても大変でしたね。まず昨今の感染症事情の影響で感染症対策をとりながらそれでも顧客の求めに応じるべく働かざるを得ませんでした。未知のウイルスへの対策としての除菌、感染症対策を手探りしながら一生懸命取り組みました。こんな状況で力を合わせて一緒に働けたこと、本当に嬉しかったです。

皆さんが売り上げの赤字、人事異動、顧客対応、人間関係…様々なことで悩んでいる中、私は別のことで悩んでいました。超個人的なことです。

話は変わりますが、今年私が何より一番大変だったことがあります。自分はこのままでいいのかとずっと悩む羽目になっていたことです。

初夏にあった出来事のこともあり、私は自分の今後について悩み、考え、迷走し、結局失敗してしまいました。

初夏にあった出来事についてはここでは詳しく触れません。ですがあの一件については、いまだ心の中で怒りとしてくすぶっている状況です。

自分の心のうちに潜む感情が怒りであったことに気づいたのはつい最近です。事件から4か月以上経ってからの話です。ですが皆さんはその場ですぐ怒り、すぐに「これは許されることではない。」と言ってくれました。

私はそれまで何度もプチ事件に遭遇していたことから「もうそんなことが日常茶飯事の世界なんだな。」という呆れが勝ってしまい、怒りを表すこともできなくなっていたのです。自分は、こんな世界にしかいられない程度の価値なんだなとも思いました。

あなたたちがあの場で怒っていなければ、私は仕事へ行かなくなり、失業していたかもしれません。そして再び投げやりな人生を送っていた可能性もあります。

今年の局面で、私が自分を大事にできる選択肢を取ろうという姿勢を貫けたのは、間違いなくあなたたちがあの時ちゃんと怒ったからだと思うのです。

仕事でのやさしさ

あの事件後しばらくの間、特に職場は何も変わっていませんでした。

私は職場での熱意は最低限にし、自分を守ることで精いっぱいになっていました。そんな中であなた方は自分の仕事をきちんと遂行し、必要であれば仕事としてきちんとコミュニケーションをとってくれました。

それがどんなに私の助けになったか。

仕事というのは常に利益を得ること、顧客の満足度を上げることを求められます。それに加え私たちは法律の枠組みもあります。法律の枠組みの範囲内でできることをし、相手の要求を最大限叶えることが私たちは求められてしまいます。

そんななかではスタッフ間のコミュニケーションが欠かせません。それが円滑に進んだのは間違いなくあなた方のおかげ。あなたたちは当たり前のことをしたという意識しかないかもしれませんが、それが私にとっての「やさしさ」だったことは言うまでもないでしょう。

その気はなくても

許せないことを許せないということ、コミュニケーションを面倒がらずにとること。

当たり前のことだろうと突っ込まれるかもしれません。しかし感覚がマヒしていた私にとってはこれらが「やさしさ」でした。特に一番目について、私は他の人に「仕方ない」と言われてしまうと言い出せなくなる傾向が強いのでなおさら助かりました。

しかしこれもきっと自分の背景がなければ「やさしさ」と感じることは難しかったでしょう。

「やさしさ」って結局は結果論だと思うのです。

おそらくあなたたちの行動もあなた方は「やさしさ」を伴ったものだと意識していないでしょう。

「やさしさ」を決めるのはいつだって受け手です。相手にやさしくしたいと思ってもできなかったこと、私はたくさんあります。相手にとっての「やさしさ」が何なのかわからなかったからです。

だから、「やさしさ」の受け渡しをしやすくするにはやっぱり感謝の気持ちを表すのが一番かな。そう思ってこの手紙を書きました。

しかしこの手紙を見せることは叶わないでしょう。あなた方に執筆のことを知られる勇気が今の私にはないからです。

意気地のない私を許してください。

その代わり、今後もできる限りのコミュニケーションをとり、感謝の気持ちを示しつつ一緒に働かせていただきます。


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