続いて欲しい「夢」

 アイドルときいていったいどういう物だと考えるだろう。

「歌ったり踊ったりする人」「その人のグッズを販売すれば売れる人」「その人が何か取り組みをすれば一躍ニュースになる人」
世の中には色々定義がありそうだが今回この文章を書くに当たってはある定義を決める。
「見ている人に夢を与える存在」という定義でこの文章は進めていくことにする。
この時点で「いやそれは違うだろう」という人は申し訳ないがこの先の文章は異世界生物の意見として楽しんで欲しい。

 まずこんな文章を書くことにした背景を話すと,ハッシュタグからお察し頂ける方もいると思うがアイドルグループ「嵐」の活動休止報道である。アイドルの活動休止なんて今時珍しい物でもないし,人間がやることならばどこかで区切りはつくだろう。吾輩が着目したのは活動休止その者ではない。

 活動休止の記者会見である。吾輩も一部始終を見ていたわけではないが,あの雰囲気に「おや?」となった。
 内容としては活動の区切を迎えるに当たってメンバーで話し合ったことの報告といった感じである。しかしその表情は必要以上の重さがなく,むしろ「ひっくり返った」や「誕生日祝いかと思った」という発言のように少々カジュアルに話せる空気もあったのでまずそこに興味を感じたのである。
 吾輩の体感だが,以前までこのような場面では決死の覚悟や張り詰めた空気になることが多いような気がしていた。しかし今回は今後のことを至っては自分の意見や決定したことを素朴に話していた様に感じたのだ。報道や映像を見る限りまずい空気になった瞬間もあるし,ショックを受けている方もいるようなのであまり適当なことは言えないが。

 だがこの会見を見てこのグループは仮に各々がバラバラの道を辿っても普通に仲良く酒を飲み交わすくらいのことはやってくれそうだなあと思ってしまったのである。本当にそうするかは知らないが,あくまでアイドルに対する勝手なイメージなので許して欲しい。
 人生には別れと出会いが必然とは言われるが,「お互いしっかり納得した上」の別れは実はそんなに多くない気がする。だいたい予期せぬタイミングで別れが訪れ,もう2度と会えなかったり,ふたたび会えたとしても気まずい思いをして会う。ということはよくありそうだ。あるいは口では笑っていても目は笑ってない。これもよくあるパターンだろう。特に転職や移住,所属が頻繁に変わる現代社会では突然の別れに触れることが多くなっている気がするし,その別れを糧にして人間関係を続行させるのは難易度が上がっている気がする。

 そんな中でお互いの言い分や意見をしっかり認め,ひとまず別の道を歩くことが決定してもお互いのことを思いやりながら歩めるというのはある意味ファンタジーである。
 ここで冒頭の定義に戻ろう。アイドルは「見ている人に夢を与える存在」。となればこの嵐というグループはなじみの人との別離があっても良好な関係を続行できるという「夢」をあの記者会見で与えてしまったのである。記者会見でアイドルの役割を果たすとは。恐るべし。

 最後に皆様に謝らなければならない。吾輩は熱烈な嵐ファンではなく,今回の件でそれほどそれほど感情を揺り動かしていない。分かったようなことを書いているかもしれない。「これ違う」と言うことがあれば教えて欲しい。
 ただ,あの記者会見を見て無性に書きたい衝動に駆られてしまった。これは事実だ。吾輩も別離を超えてつきあえる人間関係がほしいものである。


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