廊下でのひとりごと

「私は優れた人間しか認めない。」

 廊下に落ちたつららが砕けるようにその声は響いた。

 その女の声は誰もいない廊下の気温を下げ,そして薄暗い廊下の影の一部となった。

 

 この女,今日から10代の子供を30人受け持つ教師である。それまでも10代も子供は受け持っていたが彼女の受け持つ生徒は徐々に減っていくという都市伝説があった。

 

 それもそのはずだ。この女,受け持つことが決まったその日に「優れた」人を何人かピックアップしその数人だけに全力を注ぐということをしていたからだ。

「いい食料,いい果実を実らせるには弱い苗,弱い花を間引く必要がある。それは人間でも同じこと。」これがこの女の信条である。

 

 物心つく前からこの女,たいていのことはこなしていた。こう言うとまるで白紙に白絵の具でものを書くように何も見えてこないが死に物狂いで行っていた。どのくらいかというとテストで満点を取らないと家に入れてもらえず,親の前では疲れて寝ることすら許されなかった。弱みを見せれば「殺されるぞ」「生きていけないぞ」と家族全員にののしられていた。

 

 この女の父親は「優れた」者こそ生き延びるべきという考えの人間であった。「優れた人間が生き延びてこの世界を発展させていく。優れた者になるためには情けなど不要。」

この女が友人を作ることを嫌い,勉学や稽古事で視界を遮り,ボランティア活動に対しては「優れた」もののすることではないとうそぶき,この女が「優れた」ものになることを全力で望んでいた。

 

 この女,今回の「優れた」人間にある一人の生徒をピックアップした。

「あなたは優れた人間です。ほかの劣っているみんなと離れ,勉学に稽古に励みなさい。」そういってその生徒にこの女は近づいた。

 

 その生徒は自分以外の人間のことなど知らなかった。自分とどちらが優れているかも例外ではなく知らなかった。聞こうとしたが自分を見ているようで何も見ていない女の瞳を見て閉口した。

 

 そのとき別の生徒がこの女を見た。

「先生,今日の宿題,その子だけ多くない?」

「あなたは優れた人間ではないから宿題は多くないのです。この子は優れた人間だからこの量の宿題をこなせなければなりません。」

「ふーん。でも私もこの量の宿題できるよ。」

「優れた人間でないあなたにできるの?」

「多分ね。貸してみて。」

 数分後,「優れていない」生徒はこの女が「優れた」生徒に出した宿題をすべて終えてしまった。

「うん,できた。」

 

「私は優れた人間しか認めない。」

女の言葉は廊下にさす西日を緋色に変えた。なぜ「優れていない」はずの生徒が「優れた」者しかできないはずの宿題をいとも簡単に終えたのか。

「優れた」生徒はその後別の課題を終えた。自分の選定は間違っていないはずだ。生き残るべきは「優れた」生徒だ。なのになぜ,生き残るべきでない者が困難を乗り越えるのか。

 

「あなたは優れた人間です。だからこの課題をクリアしなさい。」

翌日この女は「優れた」生徒に新たな課題を課していた。課題はこの生徒のみに課されていた。

「優れた人間は自分の力のみで解決するものです。さあ,課題に取り掛かりなさい。」

「優れた」生徒はとりかかったが全くできそうになかった。

「どうしたの?優れた人間ならばこの程度は一人で解決できるはず。」

 

そのとき「優れていない」生徒がこの女を見た。

「先生,それ一人じゃ無理だよ。」

「優れた人間ならばできるはず。」

「いやいや,議論するのは先生とその子だけじゃ無理でしょ。」

「優れていないあなたができないと言っても納得できません。」

「じゃあ試しにその子と私でやってみるよ。」

2人はあっという間に課題を終わらせてしまった。

 

「私は優れた人間しか認めない。」

廊下でその言葉は虫となり逃げ場をなくしていた。自分の何が違うのか。優れた者はすべてを解決するのではないのか。なぜあの「優れていない」生徒はいとも簡単に課題をクリアしてしまうのか。

わからない,わからない…そこでこの女は考えた。

 

「あなたがどれだけ『優れていない』か,分からせたいの。」

この女は「優れていない」生徒に課題を課した。

「先生,自分は優れていないのは分かるけど。だったらいつも言っている「優れた」人間の手を借りさせてよ。」

「どうして?優れた人間は一人で解決するものよ。」

「でも私は『優れていない』んでしょう?だったら一人で解決できないよ。」

「そうね。」

「じゃあなんで助けを求めてはいけないの。」

「『優れていない』人間は生き残るべきではないの。」

「生き残る?」

「『優れていない』人間は個々で間引かれるべきなのよ。」

「…先生,人を間引いて人を育ててどうするの?」

「え?」

「『優れた』者が生き残るのは分かるけど。優れた人間を育てて,そこから何をしたいの?」

「優れた者こそ生き残るべき。だから生き残る人間を育てる。生き残れないものはここで間引く。」

「じゃあ生き残るべきものが生き残った世界で先生は何をしたいの?」

 

「私は優れた人間しか認めない。」

虫となったこの言葉がさらに罠にはまって抜け出せなくなっていく。

「優れた」者しかこの世界では生き残れない。確かにそうだ。生き残るためには「優れた」存在にならなければいけない。それもそうだ。だが生き残ってどうしたいかを考えたことかこの女はなかった。

「優れた」人間は生き残って何をしたいか考えているものなのだろうか。しかし自分が見せられてきた「優れた」人間は「生き残ること」を優先していた。生き残ったうえで何かをしたいとは考えていなかったのだ。

もしかしたら。

 

「あなたたちに聴きたいことがある。」

「優れた」生徒と「優れていない」生徒にこの女は話しかけた。

「あなた方はそれぞれ生き残るべき人間とそうでない人間です。少なくとも自分はそう思います。ではあなた方は生き残って何をしたいですか?」

「優れた」生徒は答えた。「わかりません。ただ死にたくはない。そしておいしものを食べて友達と語らいたい。」

「優れていない」生徒は答えた。「夢や目標は持っていないけど,好きな文章を書いて,好きなところへ行ってみたい。」

「そう。生き残れば可能だけど,生き残れなければそれは不可能になる。」

「だったら生き残りたい。」

「生き残れないといわれても生き残りたい。」

2人の声が重なった。

「だから私たちは協力して生き残る。」

2つの言葉が石になって,その部屋の静かな沼に大きな音を立てて落ちた。

 

「先生,先生は生き残って何をしたい?」

「生き残ってどうしたい?」

この女は答えた。「生き残って何をしたいか探したい。」

 

「私は優れた人間しか認めない。」

廊下でこの言葉が小さな明かりとなった。西日の勢いは徐々に柔らかくなってくる。

「だから私は優れた人間がどんなものかを知りたい。」

この女の言葉が気温を下げなくなったのはそれからすぐのことである。

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こんな人実際にいたらやだなあ(-_- )

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