駅のなかでの「会話」

 ある老婦人に何かを尋ねられた。

 現代の駅舎のベンチに座っているときだったので,おそらく初めて会う老婦人だろう。

 道を聞かれるように何かをきかれたのだが何を尋ねられたかを思い出せないのだ。人生がかかった重要なことの気もするし,他愛ない些細なことの気もする。
 珍しく自分のペースで話し,老婦人にもきちんと聞いてもらえた気がする。笑い合ったりすることはなかったが,特に諍いもなく別れた。ただ相手の声が高めではっきり聞き取れる音だったのにもかかわらず,会話の内容はどうしても思い出せないのだ。

 会話はよくキャッチボールに例えられるが,コントロールがうまくいかないと相手は取れないし,飛距離が短ければ届かない確率は格段に上がる。また投げる力があっても受け取る力が無ければ意味は無い。

 声が聞き取れても話の内容が頭に残らなかった。どう注意を懲らしても覚えていられないことは往々にしてある。ただ話したあとはとてもすがすがしかった。話している内容と言うよりは駅のなかで見知らぬ人と話したことに大して満足したと言うことであろう。

 会話の内容が思い出せないことは現実でもよくあるがこれほど思い出せないことが悔やまれる会話は久々であった。あの老婦人は今頃どうしているだろうか。

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