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「熱い気持ち」からの解放 仕事記事3部作 Part1


最近,書きたい欲が止まらなくてしょうがない。失言や炎上をしないか心配なので慎重に行こうと心がけているが,書きたいと言う欲が止まらないのだ。
きっと恋をした人間は四六時中恋人のことを考えてしまうことがあるのだろう。あれと同じである,多分。

さて,大昔の話だがこんなtweetをした。

筆者はぶっちゃけ仕事で成功している人間ではないので,ブラックを避けるには,等とためになる話をするつもりは毛頭無い。あくまで本音をつらつらと書く。

好き→仕事でないとあかん?

筆者は自分にも仕事にも「スキ」と言う感覚があまりない。

いつだったか「好きを仕事に」と言うどこかの広告フレーズを聴いた。いつだったか,なんて表現をしたが今ももしかしたらどこかで見るフレーズかもしれない。しかし自分は好きを仕事に出来るとは今のところ考えていない。

今の仕事の内容はここでは言えないが,今の仕事が好きでもなければ嫌いでもない。たまに参加する研修はためになるし興味深いとは思うのだが,わくわくしたり,心を動かしたり,激しく楽しいと思ったりするときがほとんど無いのだ。

みんなが好きなことをすれば幸せになれるのに…という台詞も聞いた。では,私の好きなことを挙げてみよう。
・一人旅
・note執筆
・ゲーム
・昼寝
・歌や音楽

確かに仕事にしようと思えばいくらか出来る題材ではある。ただ残念ながらどれもセンスはイマイチ。しかも自分のひ弱な体や耐久力を考えるとうまく出来る気はしない。だからこの仕事を選んだ部分はある。

それ以上に好きなことへ向き合うことと仕事をこなすという感覚を同時に頭に入れながら生きていくのはのは難しいだろうと考えたことも理由としては大きい。

好きと仕事が両立するのか

特に音楽については最初から仕事にする気はなかった。

自分は学生時代に楽器をやっていた。何の楽器かは言わないがまあ努力して練習してそれなりに物にしようとはしていた。

努力のかいあってそこそこ使える腕にはなったもののやはりこれで食っていくのは何か違う気がする。

それと同時に誰かと一緒に楽器をやっているといろいろなものを見せつけられる。才能の差,出来不出来の差,知識の差,コミュニケーション能力の差,相性の良さや悪さ等々。人同士のいざこざも見せつけられる。

好きな物に向き合えば向き合おうとするほど心がどんどんえぐられ,しまいには自分がそこに存在していることに罪悪感すらわいてくるのである。

言い訳じみているのは重々承知だ。だが音楽を愛していたから,そこに自分がいて奏でていること自体が音楽をだめにしているのではないかというジレンマを抱えながらやっていたと記憶している。

熱のない世界で

暖かく接すること,人を愛すること。上記の記憶がある今,自分の身を考えるとこれらのことは出来そうにないし,やるとしたらよほどの覚悟と勇気が必要になるだろう。「好き」とか「愛」とかそういう熱っぽい感情から自由になった上で働けている今の状況にとても感謝している。

この状況がいつまでも続くと思えないし,そろそろそんな無の心境ではいられなくなることも分かっているが,もう少しリハビリの時間がほしい。

好きなことや自分の使命感を仕事にできる人は尊敬に値するし,先日のトークセミナーでそういう人をたくさん見てきた。自分なりに出来ることをやろうと思うが,まだあの域まで達せはしないだろう。

心の動きに疲れてしまった人は一度「心の動き」を小さくする生き方も個人的にはアリだと思う。

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