見出し画像

真面目≠ストイック


 さて,本日は先週から色々と考えさせられたことを記事にしていこう。

 まずは先週職場でこんな話があった。(業務関係ないので法的にはセーフ)

職場の人1「あの人(職場の人4とする)本当に真面目な人だよね。」
職場の人2「本当に几帳面だし,無駄話しないし,仕事も丁寧だし。」
職場の人1「なんというかストイックだよね。」
職場の人3「その人(職場の人4)最近お昼何食べに行ってるの?」
職場の人2「さあ?何かは食べてるんでしょうけど…」
職場の人1「何も食べてないんじゃない?食べてても軽い物だと思う。」
職場の人3「それはいけないな。」

 なんだか英語のテストでやる,リスニングテストのスクリプトにでもありそうな会話である。
 個人的には職場の人4が心配だし,職場の人3に全面的に同意する。

 タイトルに戻るが今日のテーマは「真面目」と「ストイック」である。そもそもこの二つの単語の意味を調べてみると 

真面目:
1)うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。
2)真心のあること。誠実であること。また、そのさま。

ストイック:
1)ストア学派の哲学者。
2) ストア学派風の克己禁欲主義・厳粛主義を信奉する人。
3)克己的、禁欲的なさま。

なお出展は全てネット上の辞書なのでストア学派とか気になる人はご自分で調べてみて下さい…

 さて,会話していると頻繁に混同されがちなこの2つの単語だが,どちらも日本ではいいとされる物ばかりである。
 吾輩の友人にもストイックに生きることを一時期目標としている人間がいた。その人がその後ストイックに生きられたかは知らないが,吾輩にストイックに生きることは無理だろう。ゲームもしたいし英語も読みたいし甘い物も食べたい。可愛いキャラクターを見て癒されたい。欲望ないし煩悩の塊である。

 ストイックは基本欲をいい物としない考えである。人間が欲のままに行動すると協力体制を組んで生きていくのが難しいため,逆によくを制御するストイックの考え方は社会的にも悪いこととはされないのだろう。
 また日本という国は教育面からも真面目に振る舞うことは少なくとも悪いこととはされないお国柄だ。おまけに真面目さは社会的評価に直結する気がする。同時に真面目さは「面倒なこと」や「嫌なこと」を我慢することがどこかしらのステップで存在する。

 おそらく日本でこの2単語が混同される理由はこれだろう。欲望≒煩悩,そして真面目さとストイックには「我慢」という共通ステップがある。そして真剣なとき,人は食欲等の欲望を忘れる物ことが多い。

 しかし考えて欲しい。
 世の中真面目に勉学してる人でも大いに暴飲暴食したり,色欲に入り浸る連中は大勢いるのだ。真面目に仕事したところで周囲に当たり散らしたりする輩もいる。彼らは欲を押さえてるか。否。食欲,色欲の他,征服欲等,欲の制御が全然できてない時点でストイックではない。

 逆にストイックに様々な欲望を我慢して練習や訓練をしているように見える人も,心の中では好きなキャラクターや将来の夢を考えたりする。だいたい本当にストイック,つまりあらゆる欲望をなくしてしまったとき,人間は生きるしるべみたいな物もなくなり,真面目に仕事や生活をするのが不可能になる可能性もある。本当にストイックになった状態で活動を続けられる人間はどれくらいいるのだろうか。

 真面目とストイックは必ずしも=ではないし,関連性があるかも分からないほど異世界にいることの多い単語なのである。

 ところでつい1年前,吾輩は「真面目に生きていれば大丈夫」教から改宗した人間である。経緯はまた別の機会に語るとするが,とにかく真面目に生きていれば大丈夫という意見に吾輩は賛同できない。
 前述の文章から考えるに,真面目とストイックは両立しないし,ましてこの現代社会では賞賛されるかどうかすら怪しい。対した対価が得られないリスキーな行為なのだ。ここをはき違えてはいけない。

 話がそれだが,つまり私の言いたいことはこうである。
 職場の人4よ,食事を抜くなんてストイックなことではあるが真面目でもないし,ましてや偉いことでもないからちゃんと食べてくれ。私はあなたが心配だ。

 結局今日の本題は職場の人への心配であったようだ。


よろしければスキしていただけるととてもうれしいです。ほかの記事もよろしくお願いします。