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生きるとか死ぬとか父親とか〜第6話〜(#91)

トッキーとひととき
晴れ時々お悩み相談のコーナー

ラジオネーム ドテカボチャ(女性)
私は一つ年上の男性と六年前に結婚しました。
私たちには子供がいません。
夫とはセックスレスになってかれこれ三年になります。
私も最初の頃は物足りなさを感じていましたが、スキンシップはしますし、段々と傍にいるだけで安らぎや癒しを得られ満たされるようになってきました。
ただ、子供のことを考えるとどうしてもモヤモヤしてしまいます。
夫とも、子供を授かりたいか、という話をするのですが、居たら楽しそうだね、可愛いだろうね、と話す一方で、もし授からなくても二人で楽しく暮らしていこうね、という着地になります。
夫はとても思いやりがあり、いつも自分のこと以上に私のことを考えてくれる人間的にとても尊敬できる人です。
周りを見ると、私くらいの年齢では、子育てをされている方が多いですし親のことを思うと孫の顔を見せられていないことが申し訳なくも思います。
トッキーさん、東さん、このまま二人だけで生きていくべきなのでしょうか?
子供のことは考えないほうがいいのでしょうか。
もちろん、夫とは末永く楽しく暮らしていきたいと願っています。

蒲原トキコの回答は「他人と違うから不安を感じているのであればふたりで過ごす時間を大切にしてください」というもの。
ジェーン・スーさんが言いそうなことだな、ホントに。

第6話 子供とか 夫婦とか 幸せとか 〜ストーリー〜

母方の親戚に子供が生まれ、お祝いの為にお食事会をして、お祝いを渡そう。
お食事会当日、新札を用意していることを忘れていることに気付く。
銀行窓口の閉まっている時間のためATMで入出金を繰り返し、新札が出てくるのを待ち、30分格闘する。
出てきたお金をテーブルに並べ「新しそうなお金」を探したあてる宝探しを始める。

母の姉のおばと従兄弟と父親、蒲原トキコの四人でのお食事会。
自身が生まれる前の父親と母親の昔話を聞くことに。
流産を繰り返しやっとの思いで自身が産まれたことを知る。
流産を経て高齢出産の末、やっと産まれた一人っ子。
またそんな母親の苦悩を、父親はまったく知らず生きてきたことを知る。
当時は「女性は子供を産んで一人前」という中で、子供を持てないことに苦しんでいた母親。
そして父親はそんな母親の気持ちを考えるようなこともなかった。
このようなことは、当時の父親(男性)としては決して珍しくなく、それは当たり前の光景であった。
当たり前とは時代ごとに変わっていくものだ。

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これらの話を聞いて、エッセイストととして父親との暮らしをありのまま書いていたはずが、いつの間にか「死んだ母を偲ぶ父親と娘の物語」を紡いでいたことに気付く。ただ、自分自身の人生の肯定に使っていたことに。

「美談とは成り上がるものではない、安く成り下がったものが美談なのだ」
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そして番組最後にも、
トッキーとひととき
晴れ時々お悩み相談のコーナー
がある。

冒頭の相談と似たような質問に対し、自身の生い立ちを語る。

感想。。

わたしは30代、独身、男性。
蒲原トキコと異なるのだが、チクチク胸を刺激された。

自分自身も「男は家庭を持って一人前」と思っていた時期はある。
社会の空気としても、まだそれが「当たり前」だったと思う。
でも今はそれも当たり前ではなくなってきた。

学生時代は「周りと同じような人生を送るだろう」と特に考えずに生きてきた私。
そしていま。
当時思い描いていた人生とはまったく違うものになっている。

「当たり前」、いわゆる「イメージする一般的な家庭生活」を持つことがこんなに困難なことだとは当時の自分にはまったく分かっていなかった。

過去のことを思い返し、
「あのとき違った選択をしていたらどうなっていただろう」
と思うことは、仕事や友人、恋愛関係など複数思い浮かぶ。

当時の選択を決して失敗したとは思わない。
しかし「自分の満足する選択をしてきたのか?」と思うのが正直な気持ちだ。

その時は「こうした方がいい」と思って選択したこともあれば、「とりあえずこうしておくか」と保留して時間の流れに身を任せてきた選択したことが、今の自分を作り上げている。

このドラマは
「母親を亡くした40代独身女性(蒲原トキコ)が、父親と過ごす日々を綴る物語」
である。

私の両親はまだ幸いなことに健在だ。
介護の心配も今のところない。

でも、境遇や職業、男女の違いと色々違いはあれど、このドラマを観ていると、このドラマの出来事の多くが、自分のこの先の人生を暗示しているような気持ちで観てしまう。
なんとも他人事とは思えない気持ちにさせられる。

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