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生きるとか死ぬとか父親とか〜第10話〜(#102)

第10話 母親とか 懇願とか 喪失とか 〜あらすじ〜

今まで書いてきた母親のエッセイはいい思い出ばかり。そうではなく、ありのままの母親の人生を描くことに決めたトキコ。

ドラマはほぼすべて蒲原トキコが若い頃の回想シーン。

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母親の手術は無事に終わったが、母親の介護のためにトキコは仕事場を休職し、母親の病室で寝泊まりしながら介護に専念する。

対する父親は、精神的に錯乱状態になっており、薬の副作用から病院の屋上からフェンスを乗り越え飛び降りようとする。
その事を、母親の看病中に知らされる。

父親の病院から付きっきりでの看病を依頼されるが、ひとりっ子のトキコは1人で2人を看病する、現実的に不可能となる。

母が死から全力で遠ざかろうとしてる最中に、父は、自ら、死へと歩みを進めようとしていた。

身内に頼れる人間がおらず、父親の知り合いに父親の付き添い看病を頼むことに。
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感想

このドラマは第8話までは「今の自分の生き方」について考えるきっかけとなったが、第9話以降は、「両親」について考えるきっかけとなっている。

「最も身近な他人である家族と私」という誰にとっても考えることだ。

今回のドラマのような状況に陥ったらば、自分ならどうするだろう。
自分は兄弟がいるから分担はできるがうまくコントロールできるだろうか。
兄弟と仲がいい訳ではないので(悪くもないが)、話し合ってうまく分担できるだろうか。
早くからそのような事を想定しておいたほうが良いのだろうか。

このドラマを観ると、ひとりっ子は後々大変になりそうだな…と勝手にひとりっ子の方へ余計な心配をしてしまった。

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このドラマはジェーン・スーさんの同名のエッセイ本が原作だが、ホントに大変な経験をされてきたんだと知った。
ドラマでアレンジが入っている可能性もあるが、話の大筋は変わっていないだろうと思う。

ドラマの蒲原トキコも使っている

酸いも甘いもつまみ食い、蒲原トキコです。

というフレーズ。

ジェーン・スーさんも実際に使っているフレーズだ。
元々ジェーン・スーさんを初めてラジオで知った時、このフレーズが興味を持ったきっかけだった。

ふつうは
「酸いも甘いも『噛み分ける』」
という言葉で使うはずだが、それを
『つまみ食い』
と言い切る粋な表現が引っかかった。

これだけ大変な思いを経験していることから醸し出るジェーン・スーさんの雰囲気が、ジェーン・スーさんに多くの人が相談したくなる所以だったりするのかもしれない。

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