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コンクリートの平成史

平成が終わろうとしています。
この、1989年から2019年にかけての30年ほどの間に、コンクリートには何が起きたのでしょうか。

平成が始まる100年前の1889(明治22)年、日本初の近代港湾として横浜港の築港工事が開始されます。
その防波堤用の材料として、セメントという粉に石と砂と水を混ぜて作製するコンクリートという近代材料が使用され、日本におけるコンクリートの歴史が幕を開けました。
(当時の言葉では摂綿篤・混凝土と書きました。)

それからの殖産興業の時代、コンクリートという材料は土木・建築向けの建設材料として徐々に普及するようになります。
鉄筋との組み合わせによる鉄筋コンクリート構造は木材・石・煉瓦といった既存の材料による構造よりも強度に優れ、自由度の高い設計を可能にしました。
現存する国内最古の鉄筋コンクリート構造物は1903(明治36)年につくられた琵琶湖第一疎水路上の橋といわれていますし、1916年(大正5)年には日本最古の鉄筋コンクリート建築である集合住宅が軍艦島に造られています。

*日本最古の鉄筋コンクリート建築がある軍艦島(端島)

現代の工業セメントであるポルトランドセメントの特許が成立したのが1824年、フランスの植木職人であるジョゼフ・モニエが鉄筋コンクリートを考案したのが1849年のことです。
日本国内では、1875(明治8)年に宇都宮三郎が国内初のセメント製造に成功しています。

これらの技術革新から数十年の時を経て、セメントやコンクリートは日本社会に徐々に広まっていきました。

平成という時代は、コンクリートが普及し始めてから1世紀・100年が経過した後の時代です。
そしてそれは、第一世代のコンクリートがその寿命を迎え始めてきた時代でした。

その中で、コンクリートをつくる僕たちコンクリート技術者や、コンクリートを享受する日本国民は何を見てきて、何を学んだのでしょうか。
平成という時代にコンクリ―トには何が起きたのか、振り返ってみましょう。

この記事は以下の目次で構成されます。とっても長いです。

1.昭和期のコンクリート

コンクリートの歴史の概略については、冒頭で少し述べました。
ここでは平成の一つ前の時代に作られたコンクリートとはどのようなものであったかを、簡単に振り返ってみたいと思います。
いきなり記事のタイトルから逸れているように感じるかもしれませんが、僕たちが平成の現代で享受しているコンクリートの多くは、昭和以前につくられたものです
そのため、本記事で後述するように過去につくられたコンクリートが平成の時代にどう振る舞ったかを知るための予備知識として、おさらいをしておきましょう。

・コンクリート工学の躍進
昭和期は、コンクリート工学が飛躍的に進歩した時代です。異形鉄筋の本格採用、フライアッシュセメントや特殊セメントの開発、化学混和剤(コンクリートに機能を付与する薬剤)の普及、NSPなどのセメント製造設備の改良、設計指針類の制定、学協会の整備、など…
間違いなく、この60年少々の間に、日本はコンクリート技術の最先進国になりました。それだけ多くの技術革新と先鋭的なマネジメントが行われた時代です。

ただ、社会や建設業界に対する影響を考えると、昭和期のコンクリートにおける最大の革命とは、この技術の普及であったと考えています。

・生コンクリートの登場
昭和以前・以後、もっと言うと、戦前・戦後のコンクリートを分ける最大の要因は、生コンクリートの登場にあると思います。

*ポンプによる生コンクリートの圧送イメージ

Q. 生コンクリートとは?
生コンクリート(レディーミクストコンクリート)とは、あらかじめ工場で練り混ぜられたコンクリートを専用車両を用いて工事現場まで輸送し、ポンプなどで送り出すことによってコンクリートを打ち込む使用方法です。それまでは、工事現場でコンクリートを練り混ぜ、そのまま打ち込む方法が主流でした。現在でも、大型工事などではコンクリートの製造プラントを現場近くに構えることもありますし、「プレキャストコンクリート」という硬化したコンクリートのブロックを工事現場で接合する方法もあります。

生コンクリート産業は、1949(昭和24)年に東京コンクリート工業社が業平橋に最初の工場を設置したことが始まりと言われています。
当初は土間コンクリートや補修工事、道路の舗装などに用いられていましたが、後に建設工事でも本格的に使用されるようになります。
その始まりが1951(昭和26)年の東京メトロ丸の内線池袋駅工事であり、これをきっかけに生コンクリートによる大量供給体制が整い始めます。

国内におけるセメント生産量に対する生コンクリート分野での使用量の比率は、1955(昭和30)年にはわずか1.5%であったのに対し、1965(昭和40)年には31.5%、1988(昭和64)年には70%に達し、その後はほぼ一定の比率を示しています。
つまり、1964年の東京オリンピックやその後の高度経済成長を終えて昭和末期を迎えるころには、現場練りコンクリートの時代から生コンクリートの時代に突入することになります。

生コンクリートと現場練りコンクリートは、何が違うのでしょうか。
一言で言うならば、コンクリートのつくられる場所と使われる場所・コンクリートをつくる人と使う人が同じかどうか、という点です。
生コンクリートは外部でつくられたコンクリートを工事現場で使うため、その品質管理は施主ではなく生コン業者の仕事となります。

それでは、生コンクリートの品質とはなんでしょうか。
それは、「流動性=使いやすさ」です。
戦後に増えた大規模工事では、ポンプで至る所に生コンクリートを圧送することにより、巨大な構造物を瞬く間につくることができました。
そのため、生コンクリートに求められる品質項目は流動性であり、具体的には「スランプ」というコンクリートのやわらかさを表す指標です。
強度が十分でも、スランプの要求値を満たさないコンクリートは使うことができません。
これでは工期が遅れますし、生コン業者も不要な生コンを持ち帰って廃棄しなければなりません。
それを防ぐための禁じ手として、「加水」という、工事現場で水を加える方法があります。
少々の水を加えても、コンクリートは硬化しますし、施工は格段に容易になります。
もちろん、コンクリートの要求性能には強度もありますが、コンクリートの強度が得られるのは施工から一か月程後のことです。
加水をしたコンクリートの強度が不足した場合、それは当然発注者の責任問題に発展しますが、今さら工事を中断することはできず、隠し通すしかありません。
こういった理由で、加水による品質操作が可能であることが生コンクリートです。

*表 生コンクリートの登場による戦前・前後のコンクリートのちがい

誤解してほしくないのは、加水のような意図的施工ミスを行った例は比率で言えばごく少数である、ということと、その責任は生コンクリート産業以外にもあるということです。
昭和期の高度経済成長と爆発的な建設需要が、もし仮に明治期に起きていたら、間違いなく同様の品質不良が起きています。
要は、丁寧な施工管理ができる程に技術者や時間やお金の余裕がなかった時代なのです
そのため、昭和期のコンクリートすべてが品質に劣るのではなく、工事数が圧倒的に多かったことに加えて、建設業界の体制から品質変動も戦前よりは大きくならざるを得なかった、というだけなのです。
生コンクリートの躍進はあくまでその象徴であり、その裏側を理解する必要があります。
さらに念押ししますが、今の日本の社会インフラがあるのは急速・大量な需要に対応できる生コンクリートのおかげであるのは紛れもない事実です。
戦後の日本は、戦前のような時間と手間のかかる施工よりも、生コンクリートによる効率的な施工をするようになりました。
これは建設業界だけではなく、社会の選択なのです。

* 製造方法と工事数の差によるコンクリートの品質変動のちがい

・平成前夜 神話の崩壊
そういった無理のある高成長による不具合が、昭和の末期には少しずつ明るみにでるようになりました。
1984(昭和59)年の4月、NHKが「コンクリートクライシス」という報道特集を放映します。
これは、コンクリートの橋や道路において、つくられて間もないのにひび割れなどの早期劣化が発生していることをスクープした番組でした。
この時期、こういったコンクリートの早期劣化にいち早く着目し、その原因追及にあたったのが東京大学名誉教授の小林一輔先生です。
小林先生は後にこの問題に対して「コンクリートが危ない(岩波新書)」という本を出しております。

これらの早期劣化は、除塩の足りない海砂の使用やセメントのアルカリ量、反応性骨材の使用などが原因です。
端的に言えば、コンクリート材料に対する理解と施工の丁寧さが足りなかったのです

ここまで述べたように、昭和期にはコンクリート工学が大きく発展し、生コンクリートによる大量供給体制が整いましたが、その末期にはコンクリートの耐久性不足が社会的な問題になりました。
かつては「コンクリートはメンテナンスフリーである」という神話が技術者の間にも蔓延してましたが、それは昭和の末期には崩壊します。
こうした時代の流れの中で、平成時代にコンクリートに何が起きたのか、少しずつ明らかにしていきましょう。


2.平成経済とセメント・コンクリートの動向

平成は経済が混乱をきわめた時代であるといわれますが、その中でセメントやコンクリートはどう動いたのでしょうか。
下の画像は、セメントの国内需要とGDPの推移を示したものです。
(ちなみに、セメントとコンクリートの需要は概ね比例すると考えてもらって構いません。)

ここでは、青線でセメント需要の推移を、赤線で日本のGDPを示しています。
セメント需要は東京オリンピック以降長期的に伸び続け、1990年にピーク値を迎えます。(生コン需要もこの年にピークを記録します)

2つのグラフの相関性は一目ではわかりづらいですが、まとめると以下のようなところでしょか。

・昭和以前:経済成長に伴いセメント需要・GDPが長期的に増加
・平成以降:平成当初にセメント需要・GDP共にピークを迎える。その後のセメント需要は下降傾向なのに対して、GDPは横ばい気味

セメント需要は基本的に経済成長と比例しますが、これは、社会インフラのストックがない場合の話です。
近年の日本においては、社会全体におおよそセメント・コンクリートによるインフラが行き届いたため新設工事の需要が減り、経済成長が横ばいであってもセメント需要は減少を続けています。
もちろん、更新工事や新規工事のためにある程度のセメント需要は必要であり、2018年現在で年間4000万トン少々の国内需要が見込まれています。

次に、建設工事に使われるお金の全体額を見てみましょう。

こうしてみるとわかりやすいですね。
建設工事にかけるそもそものお金も減っています
上の理屈と同じで社会インフラが行き届いたから当然のことですが、ここで考え直さないといけないことは、建設工事とは新しい建物をつくることだけを指すのではありません。
既に存在する建設物を補修・更新する維持管理も建設業の仕事です

平成という時代は、「スクラップアンドビルド」から「持続可能な開発」を目指した時代であると言われています。
本当でしょうか?

具体的な数字を挙げると、2016(平成28)年の「建設工事施工統計調査報告」によると維持管理にかかる費用は年間15.6兆円で建設投資額の28%に相当します。
これは統計をとりはじめたこれが1998(平成10)年では年間14.7兆円であり、額の大小はほとんど横ばいです。

それでは、維持管理が必要なインフラのストック数がどれくらい増えたのかを見てみましょう。
代表例として、高速道路を除く国道・地方道の道路橋の数と総延長をグラフにしてみました。

道路橋の数も長さも、平成の最初と最後を比べると5割前後の増加を見せています
われわれが面倒を見なければいけないストックの数は増えているのに、それにかける全体のお金は増えていないというのが実情です。
つまり、一件一件にかけるお金は確実に減っています。

こうしてお金の動きだけで見てみると、平成という時代はそこそこに建設業界にかかる負担が増えていったように思えます。
もちろん、それを和らげる目的で様々な技術革新や規制緩和が行われていったというのも事実です。
ただ、建設業界においてこの30年で「持続可能な開発」が実現されたとは、僕にはどうしても思えないんです。


3.地震災害とコンクリートを考える

平成という時代に、この国は多くの大災害に見舞われました。

・1995年 1月
その一つが1995(平成7)年に発生した阪神・淡路大震災であり、関連死を含めて6434人の人命が失われたと報告されています。
同時に、高速道路の橋脚が倒壊するなど、多くの土木構造物が被害に遭いました。
その衝撃的な写真は以下の神戸新聞の特集などで見ることができます。

コンクリートの構造設計においては、「曲げ破壊」という破壊形式を想定しています。
これはまず、コンクリートにひび割れが入り、その後にコンクリート中の鉄筋が補強効果を発揮し、最終的には鉄筋が降伏することにより破壊に至る、ねばり強い破壊形式です。
これに対して、阪神・淡路大震災では「せん断破壊」という、きわめて脆性で危険な破壊を呈し、これによる倒壊が見られました。
せん断破壊では、部材を斜めに横断するひび割れが貫通するのが特徴です。
せん断破壊は鉄筋がその伸び能力を発揮しきる前にコンクリートが分断されることによって限界に至る、脆性的で不経済な壊れ方です。

なぜ土木構造物が倒壊したか、という点については、これはもちろん構造物ひとつひとつによって詳細なメカニズムは異なるのですが、耐震設計が不十分であったことは確かです。
一方、家屋やビルなどの建築物においては、目立った被害が確認されませんでした。
(ここで言う「被害」とは、建物が原型を失って倒壊することであり、構造物に対するひび割れや変形などのダメージはもちろん建築物にも多数ありました。ただ、居住者が逃げ延びれる程度の余裕はあった、という意味です。)

これは、土木と建築で設計指針が異なるからです。
(この、土木と建築で文化が異なるという現状が、個人的にはあまり好きではありません。)
建築分野では、1968(昭和43)年の十勝沖地震で多くの部材がせん断破壊したことを教訓に、帯鉄筋と呼ばれる補強鉄筋の感覚をそれまでの20cmから10cmに縮小するといった対策をとっています。
この設計でつくられた学校の建物などは、その後の1978(昭和53)年の宮城県沖地震でも大きな被害を受けなかったことが報告されています。

土木分野において耐震設計が見直されたのは、阪神・淡路大震災のときのことでした。
土木学会は地震の翌年、コンクリート標準示方書[耐震設計編]を刊行しており、3段階の耐震性能と2段階の地震動レベルを設定しています。

こういった対応を時系列でまとめると、地震後の耐震規定の改定というのは事後対応のように思われてしまいがちな部分もありますが、地震作用を想定することは、工学的にはそう簡単なことではないのも事実です。
1948(昭和23)年の福井地震の後に設定された震度Ⅶというレベルの地震動が、その半世紀後になって神戸で初めて起きたのです。

ただ、阪神淡路大震災において、倒壊と圧死による死亡を引き起こしたのはほとんどが木造建築でした。
これは先述のような建築分野での耐震基準がしっかりしていたこともありますが、鉄筋コンクリート造という構造そのものが柱・梁・壁といった構造部材が分断することなく、建物全体でガッチリと抵抗することができるからです。
修理やその後の使用ができないほどのダメージを受けること(修復・使用限界)はありますが、地震時に人命を守ること(安全限界)においては、コンクリートは優れた材料であります
(ここでも補足ですが、現代の耐震設計は満たしていれば木造だろうと鉄筋コンクリート造だろうと、頑強な構造物です。ただ、古い耐震基準のまま補強・補修が行われなかった建物は木造建築が多かっただけ、ということです。耐震基準を満たしていないものが危険であるのは、木造だろうと鉄筋コンクリート造であろうと同じです。)

そういったコンクリートの欠点・長所を、地震がおきてようやく痛感することは、われわれ技術者の怠慢なのかもしれませんが。

この教訓を受けて強化された耐震補強が有効であることは、後続する地震でも明らかになるところでした。
余談ですが、プレストレストコンクリートを国内に普及させた最後の国鉄総裁の仁杉巌博士は、「デフレであったからこそ耐震補強が実現できた」と述べていたようです。


・2011年 3月

東日本大震災の被害はまだまだ記憶に新しく、鮮明に覚えている人も多いと思います。
阪神淡路大震災と異なるのは、地震動による建物の倒壊ではなく、津波によって全てが洗い流されてしまったという被害の状況でしょうか。
誤解を恐れずに言えば、コンクリートだろうと木造だろうと、僕たちが生活するような住居レベルの建物であれば、津波が来たらどうしようもならないだろう、というのが僕の所感です。
こういった諦めのような考えは、技術者としてはあるまじきことなのかもしれませんが、現状のコンクリート工学が到達している位置とこれからの建設投資額を考えると、なかなか難しいのは事実です。

ここで少し、研究のトレンドを見てみましょう。
日本コンクリート工学会では毎月、「コンクリート工学」という学会誌を発行しております。
ここでは多くの論文や技術報告や海外研究の紹介などが投稿されますが、バックナンバーは全てデータベース化されています。
論文検索システムのJ-STAGEを使用して、この学会誌に投稿された様々な報告の中から、キーワードに該当するものがどれだけあるかを検索してみまししょう。

* 検索ワード:「耐震」 検索対象:タイトル

試しに、「耐震」というキーワードで検索すると、上のように累計200件弱の投稿がされています。
年ごとの投稿数を見ると、やはり大きな地震の後には投稿数が増えています。

同じことを、「津波」という検索ワードで見てみましょう。せっかくなのでグラフの縮尺も同じで描くと、以下のようになります。

* 検索ワード:「津波」 検索対象:タイトル

冗談のような形ですが、2011年より前には、一件もありません。
2011年に津波が来るまで、コンクリート技術者は津波のことなんて頭の中になかったのです。
コンクリート工学における耐震とは、構造物を地震動に対して強くすることであり、津波という作用はほとんど考えられていなかったことがわかります。
もちろん、土木工学において津波とは本来、水理学や海洋工学や港湾工学の研究対象です。
そうはいっても、この結果には少し驚かされました。

また、上の画像でヒットした論文や報告の多くは、津波被害の評価やシミュレーションに関するものが多く、ハード的な解決策(端的に言えば、津波で壊れないコンクリート構造)というのは、まだまだ模索段階です。
仮にそういった構造物が可能になったとしても、それが採用されるのは一部の公共設備など、きわめて限られた建設物でしょう。
だから僕は上で述べたように、市民の生活領域レベルまで津波被害を防ぐことができる未来は、まだ見えていないと考えています。

ここで強調したいのは、それは工学と技術者だけの努力では、という話です。
防災とそのマネジメントの主体は、技術者ではなく市民であるべきだと考えています。


4.コンクリートの現代病

上で述べた地震や、他にも台風や水害などの自然災害によってコンクリート構造物が壊れることはあります。
ただ、大多数のコンクリートは、こうした災害ではなく、徐々にじわじわと劣化していきながら、最後には朽ち果てていきます。
あまり縁起の良い例えではありませんが、人間においても事故や事件で亡くなる人の数よりも、さまざまな病気で亡くなる人の方が多いのと同じです。

・東大名誉教授 小林先生の予言
小林先生とその著書である「コンクリートが危ない」は上でも紹介しました。
簡単に言うと、戦後に大量生産された低品質のものを含むコンクリートが早々に劣化し始めていると警鐘を鳴らしており、執筆当時の1999(平成11)年時点で、小林先生は以下のように予言をしています。

「現在、私たちの生活や経済活動は、コンクリート構造物によって支えられているといっても過言ではない。(略)
さて、みなさんは、これらのコンクリート構造物が、『ある期間に一斉に壊れだす』などということが信じられるだろうか?(略)
私は、コンクリート構造物が一斉に壊れ始める時期が、三十年後よりもはるかに速い2005~10年頃までにやってくる可能性が高いと考えている。」
               小林一輔 「コンクリートが危ない」より

コンクリートの寿命を予測することは、可能なのでしょうか。
まず先に、他の材料の構造を考えてみましょう。
例えば鋼の橋であれば、交通荷重による疲労(弱い力であっても、繰り返して作用することによって破壊に至る現象)によって破壊に至るように設計されます。
疲労の大きさや回数は電車・車両の交通量と重量で決まるので、電車のダイヤや交通量さえわかっていれば比較的容易に予想することができます。

これがコンクリートだと、なかなかそうはいきません。
その大きな理由は、コンクリートが複数の材料で構成されることによります。
そのため、ある材料単体の、または材料の相互作用で引き起こされる劣化によって、さまざまな終焉を迎えるからです。
上では鋼の話をしましたが、例えば鉄筋コンクリートは、材料のひとつに鋼でできた鉄筋を含んでいます。
コンクリートの内側で、上に述べたような劣化機構が進展し、またそのスピードが他の材料の影響を受けながら刻一刻と変化します。

もしこれらの複雑な劣化を防止できたとしたら、コンクリートの寿命を予測することは比較的容易です。
ただ、小林先生は、それができたのは東京オリンピック以前に丁寧な施工でつくられたコンクリートだけである、と指摘しています。
人間における老衰のように避けられない老化(劣化)は、コンクリートにおいては中性化・炭酸化と呼ばれています。
鉄筋コンクリートにおいて、コンクリートの強アルカリ性が鉄筋を腐食から守り、これが長寿命の秘訣となっています。
しかしながら、空気中の二酸化炭素とコンクリート中の水酸化カルシウムが反応することにより、徐々にアルカリ性が失われ、中性に遷移します。
そうすると鉄筋が腐食し、これによって鉄筋コンクリート構造が限界に至ります。
この劣化機構は鉄筋の深さと時間に依存するので、その寿命を予測することができます。

ところが、中性化による限界に達する前に、コンクリートが別の病気によって限界に達し、それを引き起こしたのがオリンピック以降の材料品質・施工レベルの低下である、と指摘しています。
こういった、これまでのコンクリートでは見られなかった劣化機構、いわばコンクリートの現代病があらわれ、それにより限界に達する構造物が顕著になってきたのが平成の時代でした。

* 内部鉄筋が腐食し、露出しているコンクリート

小林先生が予言した2005~2010年がもう終わり、平成の時代が終わろうとしています。
結果だけを見ると、先生の予言は必ずしも的中しなかったと言えます。
しかしながら、僕は近い将来、必ずコンクリートの崩壊が一斉に起きると考えています。
このままでは。


・崩壊を始めるコンクリート
地震の話でも述べたように、コンクリート構造物というのは、ドミノ倒しやジェンガのように、建物が一斉に壊れだす、という破壊は基本的にはしません。(半面、解体工事が大変)
そうすると、コンクリートがじわじわと傷んで崩れていく、というのは、地震による倒壊などと比べれば比較的時間に余裕があり補修や避難が可能で、また人命に与える危険も少ないように考えられます。

短期的に危険があるとすれば、コンクリートの剥離・剥落です。

こういったコンクリートの剥落が、どうにも最近多いように思えています。
表面のコンクリートがちょっと落ちたところで、はっきり言って、構造物としてはそこまで大きなダメージではありません。
剥落したところの鉄筋が錆びる前に、コンクリートを打ち直してしまえば再利用は可能です。

しかしながら、剥落したコンクリートが与える第三者リスクと、剥落が起きる理由(たとえば、中の鉄筋がボロボロに腐食してしまっている)を見つめなおして適切な補修ができるだろうか、というポイントが問題になります。

間違った補修は経済的損失を産み出し、また構造物の安全性すら下げる危険性があります。

僕たちが今こうやって、コンクリートの現代病だのアセットマネジメントだの施工不良だの早期劣化だのとあたふたしている半世紀以上も前に、コンクリート工学の神様はコンクリートの耐久性問題の本質を見抜き、こんな言葉を残しています。


「良いコンクリートをつくるには、セメント、水、及び骨材のほかに、知識と正直親切を加えなければならない」
                  吉田徳次郎(1888-1960)

コンクリートという材料は、技術者の性善説を前提に成り立っていることを思い返さないとなりません。


・現代病の正体とは人災なのか
災害やこれらの現代病によるダメージが目立つインフラ・コンクリートをしっかり維持管理しよう、という試みは、最近ようやくニュース紙面にも多く現れるようになりました。

その契機となったのは、東日本大震災と、そして笹子トンネル崩落事故の2つであることは明らかです。
9人の犠牲者を出したこの事故は、高速道路上で最も多くの犠牲者を出した事故となっています。
その直接の原因は、天井板を吊り下げていた「あと施工アンカー」が抜け落ちたことです。
土木学会は同事故の調査結果を踏まえて、2014年に「コンクリートのあと施工アンカー工法の設計・施工指針(案)」を制定しています。

笹子トンネルの後に、コンクリートによる事故で人々の記憶に新しいであろうものは、今年の6月に発生した大阪北部地震で起きたコンクリートブロック塀の倒壊でしょうか。
その詳細については、事故から1か月後に書いた記事を読んでください。

事故から半年が経過した今だから思うことだけれど、一体全体、世の中のどれだけの人がこの事故のことを覚えていて、現在何が起きているのかを知っていいるのでしょうか。

NewsPicksという、それなりにユーザー層にバイアスがかかっているながらも300万ユーザーが使用している(らしい)SNSを見ている肌感覚としては、誰も覚えちゃいないだろうなと感じています。

この事故の背景にあるのは、適切な施工と維持管理の不足であり、それが強要されやすい建設業界の体制と、その危険を看過していた大人たちの責任にあると考えています。
そこを理解せずにいると、後に残るのは、「コンクリートブロック塀は危ないらしい」という、誤った認識です。
ブロック塀業者が嘆願書を出す気持ちもうなずけます。

地震の後に耐震基準が改定されたり笹子トンネルの後に施工指針が制定されたり、個別の事象に対する対策は専門家が必ず行います。
僕たち(この場合の僕というのは、コンクリート技術者ではなく一般国民として)が知り・考えるべきなのは、その裏側にある人やお金や制度の問題だと思います。
悪いのはあと施工アンカーでもコンクリートブロックでもなくて、その使い方を誤った人間であると、強く思っています。

先の震災から、「人災」という言葉がやたらと取り沙汰されるようになりました。
僕自身、人災に含まれるような被害があることには同意しますが、報道においては、土木工学やそれによる技術や製品、そして技術者に対して責任を強要するきらいがあるように感じています。
ただ、税金が投与される建設物のオーナーと使用者は国民であり、そのマネジメントには僕たち国民が参加する義務があると思います。
報道各紙には、人災の「人」って誰のことを指すのか、もう少し考えてみてほしいです。

2014年に国土交通省が全国約70万の道路橋に対して、5年に1回の近接目視点検を行うことを基本とする省令を制定しました。
はっきり言って、人も時間も足りないし、目に見えないところのダメージが構造物の寿命を脅かしていることも多々あります。
こういった現状を打破するためには、国民がインフラのマネジメントに参加することが絶対に不可欠だと思っています。
次の時代がそうなることを僕は願っています。


5.「コンクリートから人へ」をいま一度考える

民主党政権が発足した当時、僕はまだ高校生でした。
だから、その当時の政治のことや、ましてやコンクリートや建設業の世界で何が起きていたかといったことは、よくわかりません。
ただ、僕が当時住んでいた東北の田舎から見たテレビの画面や、報道を見て選挙に向かう両親の様子からも、多くの人が何かの熱に浮かされたような期待感を持っておりながら、それが徐々に崩れて出し、東日本大震災によって決定づけられたように思っています。

数字の動きだけを見れば、民主党政権が建設業に与えた影響というのはそこまで大きくないように思えます。
建設投資額の推移は上のグラフでも見せましたが、民主党政権が発足しようとしていまいと、建設業というのは長年縮小の一途を辿っていました。
今年の夏の水害や、東日本大震災の時の報道を振り返っても、民主党が削減した防災費用によって被害が必要以上に拡大した、という声が見られます。
確かにそういう部分もあるでしょうが、それでもこの国にストックされている大多数のインフラをつくり、維持管理してきたのは自公政権です。
そういった論調は少し飛躍しており感情的すぎないかな、と思います。

民主党政権と「コンクリートから人へ」の功罪があるとすれば、それは建設業界を不必要に混乱させ、コンクリートという仮想の悪者を立てることによって問題の本質から目を反らしたことにあると思います。
当時の学会誌などを読むと、多くの有識者や大先生が言葉強くこのキャッチコピーを批判している投稿が見られます。
自分たちの生活がかかっているのだから、当然のことです。

その中で、当時土木学会コンクリート委員会委員長であった京都大学の宮川教授が寄せた声明が土木学会のHPにアップされました。
ご自身が生涯をかけたコンクリートを否定するようなプロパガンダに対する怒りを抑えて、問題の所在を冷静に見つめていた名文ですので、ここで紹介させてください。

コンクリート構造は、技術者が適切に設計・施工・維持管理を行い、本来のオーナーでありユーザーである市民が適切に使用した場合、きわめて信頼性に富む構造形式です。(略)
はじめてこの❝コンクリートから人へ❞というキャッチコピーを聞いたとき、私は当惑を覚えました。そして、このキャッチコピーを使用される方の意識のありかたに深く考え込んでしまいました。ここでは広い意味での公共投資とすべきところが、きわめて単純にコンクリートという一言で表現されています。本来のコンクリートが意味するところとは全く違うのです。コンクリートが公共施設の建設においてきわめて重要であり、ほとんどの市民がその名前を知っていることを、逆に悪用されてしまったのだと思います。(略)
ところで、市民の皆さんはコンクリートについてどう思っているのでしょう。私の知る範囲では、コンクリートそのものに悪意を持っていないように思います。しかし、私たち技術者はこれまでに、市民の皆さんにきちんとコンクリート構造物の良い機能、言い換えればすばらしさを説明できていたのでしょうか?(略)
そのためには、使っていただく市民の皆さんのために、本来あるべきコンクリート構造物の生涯シナリオを提案することが、われわれには必要だと考えています。(略)
皆様とともに、自信と誇りをもって、コンクリート技術の着実な進歩のために、コンクリート委員会の活動を一層進めて参りたいと思っています。これまでに変わらぬご協力を心からお願い申し上げます。
           宮川豊章「❝コンクリートから人へ❞に寄せた返信」

なんだか、読んでいて涙が出そうになった。
「コンクリートから人へ」の建設業における真意が、昭和以前の建設業のようにハコモノへのむやみな投資をやめて、技術者やハード主体の思想から国民主体のインフラマネジメントに移行しよう、ということであれば、大正解なのです。

ただ、そこから目をそむけて悪者を立ててしまったり、二項対立を煽るようなコピーは、もう流行らないのです。
コンクリートが普及して百年、これだけ社会に溢れている材料なのに、人々からの距離は少し離れてしまったのかもしれません。
それを縮めるための努力を、技術者としても国民としても続けていきたいと思っています。


6.平成期におけるコンクリート技術の発達

そうは言っても、僕は技術者だから、技術の向上に努めるのが第一の仕事です。
ここでは平成期に起きたコンクリートの技術革新について、いくつかご紹介したいと思います。

・新構造 エクストラドーズド橋とバタフライウェブ

* トゥィンクル(揖斐川橋)

橋というのは、僕が最も好きな構造物ですが、新しいタイプの橋が平成の日本で生まれました。
それが「エクストラドーズド(extradosed)橋」で、一見すると吊り橋(厳密には斜張橋)のような見た目をしています。
通常のプレストレストコンクリート(PC)桁橋では、橋桁の中にケーブルが入っており、吊り橋では橋桁の外に配置されたケーブルが主塔に集約するような見た目をしています。
エクストラドーズド橋はこの中間・良いとこ取りのような形態で、桁の中にも外にもケーブルが配置されています。
主塔が低く、ケーブルの角度が水平に近いのが吊り橋との違いです。

世界初のエクストラドーズド橋は1994(平成6)年竣工の小田原ブルーウェイブリッジで、最大級のものは上の写真でも見せた2001(平成13年)竣工の揖斐川橋です。

近年では、バタフライウェブという構造形式を採用することによって主桁の重量を軽減でき、さらなる長大化を実現することができるようになっています。

バタフライウェブを採用した田久保川橋はfibというコンクリートの世界最大の団体から表彰されており、きわめて高い技術レベルであると評価されています。
橋というのは土木構造物の花形ですが、最先端の技術が適用される絶好の場となっています。
田久保川橋はバタフライウェブのみを採用していますが、これをエクストラドーズド橋と併用したものが武庫川橋です。新名神を走る際は要チェック!


・新材料 低熱ポルトランドセメントの開発と次世代コンクリート
1997(平成9)年、JISに新しいタイプのセメントが追加されました。
それが「低熱ポルトランドセメント」というものです。
セメントの種類とは、簡単に言うと、水和(化学反応)のスピードと熱で分類できます。
道路補修のように少しのコンクリートが早急に必要な場合には早く硬化するセメントを使えばいいのですが、ダムのように大きなコンクリートをつくろうとすると、自分自身が固まるときの反応熱でひび割れてしまいます
このスピードを左右するのがセメントに含まれるエーライト(ケイ酸三カルシウム)とビーライト(ケイ酸二カルシウム)という鉱物です。
低熱ポルトランドセメントでは、ビーライト量を大きくすることによって水和熱を抑え、かつコンクリート用薬剤との相性も良く、高い流動性を発揮することができます。

低熱セメントの使用によって、水分量がきわめてひくい状態での高流動・高強度コンクリートの実現が可能になりました
また、ビーライトの生成はエーライトよりも必要な熱エネルギーが少なく、環境に与える負荷も低減できます。
低熱セメントは性能面でも環境面でも未来志向型の材料であり、セメント業界が平成に残した最大級の技術開発であると考えています。

低熱セメントのような高ビーライトセメントの使用先の一つに、UFC:超高強度繊維補強コンクリートというコンクリートがあります。
その名の通り、繊維で補強されたきわめて強いコンクリートで、通常のコンクリートの10倍近い強度を持ちます。
これにより構造物の軽量化や高耐久化が期待でき、上の記事のように施工環境に制限があることの多い日本の補修工事では少なからず活躍しています。

僕の母校の桜並木道はウッドデッキになっているのですが、桜の根を守るために浮いた構造になっています。
このとき、歩行者による荷重を支えるのに木材では心許ないので、木に似せて作ったUFCが採用されています。
それがこの記事のトップ画像で、上半分がUFCで、下半分が木でできています。
言われなければ気づかないけれど、こういうところで活躍するのがコンクリートの良さかな。


・化学混和剤の進化
コンクリートの材料は水・セメント・石・砂・空気ですが、ここに少量の化学薬品を添加することによってさまざまな性能を付与することができます。
それが化学混和剤と呼ばれるもので、コンクリートの高性能化に欠かせません。
現代のコンクリートのほとんどに化学混和剤が使用されています。

その中でも、平成期につくられた代表的な新混和剤は以下の2つだと思います。

①超高強度コンクリート用の化学混和剤

コンクリートの強さというのは、セメントに対する水の量が少ないほど強くなります。
これは1925年にI.Lyse博士が提唱しており、原理的には非常に単純で、また古い理論です。
一方、セメントのような粉は静電気で凝集しがちで、これを溶かして流動性を与えるためにはある程度の水分量が必要です。
この時、減水剤と呼ばれるタイプの混和剤を利用することによって、流動性を保ちながら水分量を減らすことが可能になります。
1995(平成17)年には高性能AE減水剤(多くはポリカルボン酸系化合物が主体)という新種の混和剤が新たにJIS規定され、上記のUFCのような超高強度コンクリートには不可欠な材料になっています。

②超低収縮コンクリート用の化学混和剤
ただ、コンクリートというのは困ったもので、このように水分量を下げると自分自身の反応によって体積収縮してしまいます。
また、水分量の比較的多いコンクリートでも、水分が乾燥して失われることによって体積収縮してしまいます。
収縮はひび割れをひき起こしてしまい、耐久性上の問題になります。
これを防止するのが、収縮低減剤や収縮低減タイプの減水剤です。
コンクリートの中で、水の表面張力(収縮を引き起こすメカニズムの主要因)を下げることによって収縮を低減し、ひび割れを防止することができます。

* コンクリートの開口部から放射状に現れる収縮ひび割れ


・環境型セメント エコセメント
あまり知られていませんが、セメントはリサイクル技術のカタマリです。
1000kgのセメントをつくるときに、500kg近い廃棄物がリサイクルされているって、ご存知ですか?

2002(平成14)年、エコセメントという新種のセメントがJIS規定されました。
これは、1トンの製造につき500kg以上の廃棄物を使用してつくるセメントと定義されています。
言ってしまえば、半分以上がゴミからできている材料です。
セメントに必要な化学組成は、カルシウム、アルミニウム、マグネシウム、鉄分などですが、これらは多くの廃棄物に含まれています。
また、セメント製造時には1450℃の超高温で焼成しますので、ダイオキシンなどの有害物質の発生や不完全燃焼を起こすことなくリサイクルが可能です。
当然、廃棄物の種類や量というのは工場・地域・時期によってまちまちなので、一定の品質を常に満足するためにはセメント工場での高度な品質管理が求められます。

僕が思うに、平成の前と後で、セメント産業の在り方は大きく変わっていき、それはセメントをつくることが目的から手段になることだと予測しています。
これからは、コンクリートの材料として天然資源を利用してセメントをつくるのではなく、廃棄物をリサイクルするプロセスの副産物としてセメントをつくる時代がくると考えています。


・環境型コンクリート1 海水練りコンクリート
地球上の水のうち、海水が97.5%で、僕たちが生活や工業に利用している淡水の割合はわずか2.5%だそうです。
コンクリートの製造につくられる水は上水道水・自然水・スラッジ水(余ったコンクリートの洗浄水から得られる水)に分けられますが、いずれも淡水で、海水は使用できません。
理由は単純で、塩分を含む海水は鉄筋の腐食を引き起こすからです。

ただ、淡水の入手が困難な場合など、特例的に海水が使用された例はいくつかあります。
その代表的な例が沖ノ鳥島であり、海中部の工事に海水練りコンクリートが使用されたと報告されています。

石油や多くの食料と同様に、水という資源も将来不足することが懸念されています。
海水をコンクリートに積極的に利用する目的で海水練りコンクリートの研究が近年行われ、2013~14年には日本コンクリート工学会が「コンクリート分野における海水の有効利用に関する研究委員会」を発足しています。

こういった流れの中で大林組は、海水を使用した消波ブロック(いわゆるテトラポッド)の開発を行っており、例えばこのような無筋コンクリートでは海水の積極利用が見込まれます。

* ちなみに僕はアクアリウムにミニテトラポッドを使っています。コリドラスが巨大魚に見えるぞ!

将来的には、鉄筋を有するコンクリートにおいてもフライアッシュなどの化学抵抗性を高める混和材量や適切な化学混和剤を有効活用することによって、海水の使用が可能になることが望まれることでしょう。


・環境型コンクリート2 低炭素型コンクリート
これは正直セメント屋にとっては耳の痛い話なんだけど、無視できない話です。
セメント産業というのは、とにかく二酸化炭素・CO2を出す産業です
理由はすごく単純で、セメントの製造プロセスを1本の式で表すと、下のようになるからです。

CaCO3→CaO+CO2

左辺の炭酸カルシウムはセメント原料である石灰石、右辺の酸化カルシウムはクリンカというセメントの中間製品に該当します。
じゃあ、産業の中でセメントがどれくらいの割合で二酸化炭素を排出しているのでしょう。

* 製造業における温室効果ガス排出量の比較

上のグラフは、製造業において各分野がどれだけ温室効果ガスを排出しているかを二酸化炭素量で換算したものです。
セメントが含まれる窯業・土石業は約1割、セメント業だけだと5%前後の排出量に相当します。

そのため、コンクリートに由来する二酸化炭素を削減する簡単な方法は、セメント使用量を減らして、高炉スラグ微粉末やフライアッシュ等の代替材料を使うことです。
これらのコンクリートは「低炭素型コンクリート」と呼ばれ、材料に由来する二酸化炭素の発生量が少ないものと考えられています。

低炭素型コンクリートは、ゼネコン各社がこぞって研究開発に取り組んでおり、ここ5年ほどの間に各社ブランドの低炭素型コンクリートを開発しています。(スーパーゼネコンだと、清水を除く4社すべて)
低炭素型コンクリートのメインの材料は、高炉スラグ微粉末と呼ばれる高炉製鉄で発生する副産物です。
セメントにはカルシウムやアルミニウムが必要だということは前述したけれど、高炉スラグ微粉末はセメントと似たの組成を持っているため、セメントに代用できるというわけです。
もちろんセメントとは異なる分もあるので、専用の化学混和剤などの活用によって使いやすさをカバーしており、これが各ブランドの差別化になっています。

ただ、上で挙げたグラフを思い出してほしい。
製鉄業から出た廃棄物を使えば、確かにコンクリートの作製において発生する二酸化炭素量は削減できるかもしれません。
でも、そもそも製鉄業は二酸化炭素を最も排出する産業じゃなかったんでしょうか?
製鉄業のゴミをコンクリートに押し付けて二酸化炭素を減らした気になっているとしたら、僕はそれは技術者としての大局観に欠けていると思います。

何より、高炉スラグ微粉末という材料はそもそもセメント製造時に最もリサイクルされており、コンクリート製造時に高炉スラグ微粉末を足す試みというのは、セメントよりも前に足すか後に足すかというだけで、産業全体で見た場合には微々たる差です。
また、セメントの使用量が減るということは、セメントでリサイクルされるはずのゴミがどこかで溢れているということです。

コンクリートのプロだからこそ断言できますが、一方で、高炉スラグ微粉末というのは素晴らしい材料です
コンクリートの長期耐久性や化学抵抗性を上げ、水和熱を減らす効果を期待するときには不可欠な材料です。
ただ、短期的な社会要求に惑わされて必要以上に利用を促進することは、あまり歓迎できることじゃないなと考えています。


7.次の時代のコンクリートへ

平成の次の時代には、どんなコンクリートが求められるのでしょうか。
これまでの動向を踏まえた上で、少しだけ予想してみたいと思います。

・高品質から高付加価値の時代へ
「セメントとコンクリートの研究をしています」と言うと、よく、「高性能なセメントとかコンクリートをつくっているんですか?」と聞かれます。
僕はこれに対して、半分正解で半分は間違っていますと答えています。

コンクリートというのは、構造材料であり環境材料です。
石灰石という日本で100%国産できる資源からつくられる、世の中で最もありふれた材料です。
そういった材料に求められるのは、コストや環境負荷を度外視して性能を発揮するよりも、地球や社会に無理のない範囲で提供できることです。

これからの時代、建設業にかけられるお金や資源はますます減少していきます。
セメントを作るのにかけられるエネルギーもまだまだ下げなければいけないし、ゴミだってもっとリサイクルしないといけないかもしれません。
そういった社会の要望を果たしつつ、品質の安定したセメントやコンクリートを提供することがこれからはもっと必要だろうと考えています。
もちろん、激甚化する自然災害に備えて、もっと強くて高性能なコンクリートを開発する努力などはこれからも必要なのですが。

僕たちは、コンクリートでiPhoneやスペースシャトルをつくることはできません。
だけれども、そういったイノベーションが活躍する街や社会を底から支えることができるのは、コンクリート以外には無いと確信しています。


・コンクリートを人へ

* 北海道 旧国鉄士幌線 タウシュベツ川橋梁(写真:FIND/47より)

コンクリートで美しい風景をつくることはできるのでしょうか。
コンクリートという材料は、とかく自然破壊の象徴のように扱われ、冷たい・重い・人工的といったイメージを持たれがちです。
それが行き過ぎたために、ハコモノ建設の代名詞のように捉えられ、無用なポピュリズム政治に利用されてしまいました。

上に載せた写真は、「タウシュベツ橋梁」という、旧国鉄時代につくられた橋です。
北海道の山中深くにあるこの橋はとうの昔に放棄され、現在は湖に沈む橋として著名です。
長年の風雪と水の浸食を繰り返し受けて独特の丸みを帯び、露出した鉄筋は退廃的な美しさを醸し出しています。

また、「工場萌え」という言葉は記憶に新しいですが、建設現場の夜景というのも絶景です。
八ッ場ダムなどは、インフラツーリズムの一環として夜間工事のツアーなどを開催しており、国土交通省はこういった動きを推進する予定です。

でも、僕はこういったコンクリートの美しさが感じられる場合の多くは、あくまで日常や生活とは「異質」なものとして捉えられているようにすぎないと思います。
タウシュベツ橋梁は、構造的にはその性能をとうに失っており、老いているから美しいのではなく、滅んでいくから美しく感じるように考えられます。
ダムなど建設現場の夜景を美しく感じるのは、煌々と明かりに照らされている照明と人気のなさのコントラストにあると思います。
しかし、街にあふれている経年劣化したコンクリートで、だれもが美しいと思うものは、そうそうありません。
これは、煉瓦や木材や石でできた構造物が備えていて、コンクリートでできた構造物が実現できていない唯一の性能です。

ちょっと古い研究ですが、花崗岩貼り・タイル貼り・コンクリート造の建物の写真をそれぞれ用意して、写真を加工して汚れをわざと際立させて経年劣化した後の姿をシミュレーションした写真を作成すると、(少なくとも日本人は)エイジング(=老化)したコンクリートは好ましくないと判断する傾向にあります。
それは、コンクリートの表面がのっぺりとしておりテクスチャに乏しいことや耐久性に乏しくひび割れや汚れの印象を持たれることが理由のひとつです。
小林先生が指摘したように、戦後のコンクリートでは一件一件の施工が丁寧にできなかったことの裏返しでもあります。
また同時に、コンクリートという材料は日本に普及されて、高々1世紀しか経っていないのです。

この新しい材料が、われわれの文化に根を張っていけるかどうかは、次の時代に試されるところだと思います


・おわりに
こうして振り返ってみると、平成の30年には、それなりにいろいろなことがコンクリートに起きたようです。
建設投資バブルは終わり、急ピッチでつくったコンクリートの初期不良が目立ちはじめ、コンクリートはメンテナンスフリーであるという間違った神話は完全に崩壊しました。
2つの大地震からコンクリートという材料の良さも限界も知ることができ、被災者に顔立てできるような技術を確立するべくコンクリート技術者は日夜努力を続けています。

これからの時代、建設業やコンクリートは、ますます大変な未来を迎えることになります。
小林先生が予言したコンクリートの崩壊は目の前に迫っているのに、そこに本腰を入れられるほどに時間もお金も足りなく、熟練の技術者は近々ごっそりと引退してしまい、技術伝承を確実に行うことは喫緊の課題です。
コンクリートに使用できる良質な資源はとうの昔に枯渇しており、品質以外のさまざまな社会的要求もクリアーしないといけません。

それでも僕は、これからのコンクリートのことを考えると、心の底からわくわくします
コンクリートは金属のように強くはなく、木材のようなしなやかさはなく、ゴムのような柔軟性もなければ、プラスチックのような軽さもありません。
ただ、コンクリートという材料は、技術者の誠意に応えてくれる材料であり、地図や街並を変えることのできる、この世界で唯一の材料です。
コンクリート工学がこの国で始まって、まだ一世紀しか経っていません。
次の時代にコンクリートには何が起きるのか、まだまだ楽しみなことだらけです。

皆さんがコンクリートを好きだろうと嫌いだろうと、これからの社会でコンクリートが使われようと使われまいと、ストックとして存在する大量のコンクリートとうまく付き合っていかなければいけないのは誰もが同じです。
その理解の一歩として、このながーい記事が少しでも役に立つことを願っています。

それでは、また。

ー参考文献ー
・小林一輔:コンクリートが危ない(岩波新書),1999
・セメント新聞社:日本のコンクリート技術を支えた100人
・土木学会:日本が世界に誇るコンクリート技術,2014
・溝渕利明:コンクリート崩壊(PHP新書),2013
・戸田ら:劣化外壁面の補修シミュレーション-画像による美観回復性の評価,日本建築学会講演梗概集,1996
・コンクリート工学会:コンクリート工学(特集 平成のコンクリート技術開発),56巻,第5号
・Assessment of Water Resources and Water Availability in the World ; I, A. Shiklomanov, 1996
・国立研究開発法人国立環境研究所:日本の温室効果ガス排出量データ,2017
・内閣府HP
https://www.cao.go.jp
・セメント協会HP
http://www.jcassoc.or.jp/index.html
全国生コンクリート工業組合連合会HP
https://www.zennama.or.jp/index.html
【写真提供元】
Pixabay
https://pixabay.com/ja/
ぱくたそ
https://www.pakutaso.com
FIND/47
https://find47.jp



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