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シンジョウってどんな人

みなさん、こちらの記事をお読みいただいてありがとうございます。
シンジョウと言います。
何をやっている人かと言うとプロコーチをやっています。

「クライアントさんに人生のゴールを見つけてもらってその達成のために必要な心や脳の使い方を上手に教えていく」、というそんなコーチです。

独学ではなくきちんとしたコーチングをしたいと思い、認知科学を応用したコーチングを学び習得し、今では苫米地式コーチング認定コーチとして活動しています。

とは言ってもそれだけだとどんな人間なのか全然分からないと思いますので、自分がどんな人間なのか、そしてどんなことをやろうとしているのか、そんな想いを綴っていきたいと思います。

シンジョウって誰?

「新庄」ではないです

改めまして、シンジョウと言います。
シンジョウと書くと、苗字の「新庄さん」を思い浮かべる方が多いと思うのですが、実はそうではないんです。

「中野 新常」です。

変わった名前ではありますが、本名ではありません。

ビジネスネームです。

特に本名を出したくないって話ではなく以下のような理由があります。

なんとですね、若い頃から、親に、「(本名が)字画を見たらめちゃくちゃ弱い名前だった。このままだと弱い人間になるから改名しろ」なんて言われて育ってきたんですよね。

物心ついて自分の名前に慣れている頃、親が名前変えろって言ってくるのも凄い話だなとは思いつつ、字画なんて占いに近いものだと思い、あまり気にはしてませんでした。

でも、実際に本名の字画は良くないというのは本当らしく、取引先で字画を占える人に言われたのが「あと数年で倒れる」でした笑

どんだけ良くない字画やねん!という感じです。

ただ、独立する際にふと考えたんですよね。
自分で自分の名前をつけるって、自分で自分自身の運命を作るみたいで楽しいなって。
そのため、どんな名前がいいかなって使う文字と字画を色々と調べました。

そして付けた名前が、この「中野 新常」というビジネスネームです。

「常に新しく」という意味も気に入りましたし、ネットで調べただけですが字画もめちゃくちゃ運勢が強そうだったのでとても気に入ってます。

ただですね、漢字で「新常」っていうとなんかとても固い印象を与えてしまうので、カタカタ表記で「シンジョウ」としています。

以後、お見知り置きを。

半生を話すに当たって

では、ここで少し自分の半生を話したいと思います。

この点、私は過去よりも未来を重視してます。

自分で半生を語ると言っておきながら突然何を言っているのって感じかもしれませんが、基本的に、自分は未来思考で生きています。

過去に何をやってきたからこんな未来になる、とか、過去からの積み重ねで未来を作っていくという考えではなく、時というのは、川の流れのように未来から流れてきてやがて現在になりそして過去となってどんどんと遠ざかっていくって考えています。

まずは大きな未来を作り上げて(ゴールを設定して)、そこを目指していくと考えているからです。

そのため、あまり過去から物事を考えることはしていません。

これは、自分がやっているコーチングにおける重要な考え方の1つなのですが、「過去は一切関係ない」のです。

すなわち、過去や現在に関わらず、未来に自分の望むゴールを作っていけるというコーチングを行なっております。

だからと言って、「過去のことは一切話しません!自分の自己紹介として未来のことを話しますね!」って言われたら、「何言ってんだコイツ」ってことになると思いますので、前置きが長くなっちゃいましたが過去である半生をお話ししたいと思います。

泣きたくなるほどの怒り

その言葉を聞いた時、私は腹を立てすぎたあまりに泣いてしまいそうでした。
それと同時に世界の果てにある真っ黒で、何も見ることもできない大きな絶望を覗き込んだような気にもなりました。

そして、今、自分の目の前にいる男性に対して、つまり、私のことをここまで立腹させた言葉を発した男性に対して、心からの憐れみを覚えたのでした。

当時、私は高校生。16歳になったかならないかの頃。

このくらいの年齢の若者によくあるように、青臭い自分探しの真っ最中でした。

自分探しが何に繋がるかも、何を生み出すのかも分からないまま、とにかく自分の心の中に生まれてくる何かを、どうにかして形にしたい、表現したいと思って、言葉にしてみたり、文章にしてみたり、物語にしてみたり、絵にしてみたり、色にしてみたり、行動にしてみたり、とにかく色々と表現活動を試しているところでした。

今思えばとんでもなく恥ずかしい時期です笑

いつかは失うものだと分かっていて、だけど失う前にどうにか形にしたいと思っていました。

そんなことをしていたせいなのか、勉学がとにかく疎かになっていきました。

そんな中、とある大人の男性に説教を受けたのでした。

彼がどんな関係の人でなんでそんな話をする経緯になったのかは覚えていないのですが、親でも親戚でも学校の教師でもなく、ただ中年の男性だったということと、初夏の暑苦しい夕方であったこと、実家の掛け軸が飾ってあった6畳の床の間であったこと、そして紺色の薄い座布団に座っていたことをうっすらと覚えています。

一人前になるってことは、心が病んでも自分を犠牲にしてでもそれでも国のために働くってことだ

その男性は、高校生の自分にそう怒鳴りつけました。

この言葉に対してどう感じたかは、先ほど書いた通りです。

おそらくこの男性は、「自分探しなんてやめて勉強しろ」と言いたかったんだと思うんです。

ただ、そう説得したかっただけだと思うんです。

しかし、その言葉の中には悲痛さや怒りや絶望や、そういったあらゆるネガティブな感情が複雑に絡み合っているように感じました。

重いボーリング玉を投げつけられたように感じた、この言葉から、この人自身が本当に自分を犠牲にしすぎて病んでいるんだろうなということがズキズキと伝わってきました。

そして、それはこの人だけがどうという訳ではなく、世の中全体がおかしくなっているんだろうなと思いました。

正直、そんな世の中なのであれば一人前になんてならなくて良いって思いました。

これは今から20年以上も前の話です。だいぶ時代も流れ、流石にここまでの考えの人というのは今ではあまりいないかもしれません。
でも、形は変わっても、まだまだ同じような闇や病みは世の中に残っているように感じます。

そして、とにもかくにも、日本の経済もこの時からまだまだ立ち直れていないのです。それは経済だけでは無く、世の中全体に流れる澱んだ空気が流れることなく止まっているように感じます。

自分で「国」を作ろう

世の中が病んでるなら、病んでない世の中を作ろう。
自分で「国」を作ってしまおう

高校生の自分は安直にそう考えました。

どんな風に作るのか、色々と考えた結果、どこかの地域や島とかを買ったりして、そこにテーマパークみたいなものを作って、そのテーマパーク内で通用するようなチケット(疑似通貨)を流通させて、テーマパークの他に居住施設や日用品を買える施設も作って、最終的には、そこを自分の「国」にしようと考えたのでした。

でも、法律を調べたところ、いくつかの法令に引っかかってこれだと無理だということが分かりました。これだと通貨偽造罪だけでなく、それ以外の結構重い犯罪に該当してしまうのです。

「国」を作るとなると法律が絡んで来るんだなと思った自分は、法律の勉強をすることに決めます。
法律の勉強するなら弁護士にでもなろうかと思い立ちます。

そこで、弁護士に強い大学に行くことを決めます。
それが確か高校3年の春先くらいだったでしょうか。

そして、50あったかないかくらいの偏差値を70くらいまで上げて、第一志望ではありませんでしたが、それでも希望する大学に入りました。

そして、大学に入り、弁護士になるために司法試験の勉強を始めたのでした。

でも、ここで困ったことが起きます。

辞められない呪縛

当たり前といえば当たり前なのですが、法律の勉強をしても合法的な「国」の作り方なんてことは学べないのです。法律というのは確かに「国」の基礎ではあるものの、それでも法律を勉強しても「国」は作れないのです。

徐々に法律への興味は薄れていきます。
でも、なかなか辞められません。

親に弁護士になると言って無理して大学に行かせてもらって、しかも司法試験の塾に行くためのお金まで払ってもらっています。

なかなか辞めることは出来ませんでした。

大学卒業後も、就職もせず、司法試験の勉強を続けます。
流石に、卒業後は、親の支援をもらうのは気が引けたため全部自分でやっていくことにしました。

フリーターやりながら勉強の時間を確保しつつ、少ないお金の中から塾の費用も捻出して、時間も金もない極貧暮らしを続けていきます。

ただ、自分のゴールと一致しないせいか、とにかく勉強が頭に入りません。

しかも、仕事がなかなか無い時期などは、勉強どころか飯食べられなくなるんじゃないかなんて思ったりする時もありました。

「なんでこんなことやってるんだろ」って悩みすぎて眠れない夜も何度もありました。
当初の夢だった「国」を作るという夢から遠のいてしまっていた毎日。

そこで、将来、こんなことができたらなっていう夢を持って生きてきました。例えば、山手線沿線に一戸建てを持つ夢だったり、有名な高級住宅街に新しく建てていたマンションを眺めては「こんなところに住みたいな」って思ったり。

そんなことを思いながら、なかなか興味を持ちきれない法律の勉強を続けていました。

ただ時は進みます。
そんな中途半端な状況のまま、結局は30歳手前までフリーター極貧暮らしを続けてしまったのでした。

「そろそろ就職しよう」

流石にもうすぐ30歳になる。
もう司法試験は諦めて就職しようと決心しました。

30歳手前までフリーターで社会人経験無し。司法試験も鳴かず飛ばず。

「なかなか普通のちゃんとした就職は難しい」
多くの人にそんな風に言われました。

そこで自分は思いました。
「普通のちゃんとした就職が難しいなら、普通じゃない自分なりに納得できる就職をしよう」と。目指すのは、「普通のちゃんとした就職」じゃなくって、すぐにでも出世して会社全体を見れるポジションになれる就職、そう決めたのでした。

結果はどうなったか。

世の中、そんなに甘くありませんでしたって結果になったと思いますか?

実はですね、、、
社会人経験0で業務未経験の状態からほんの数年で、東証一部上場会社(当時)の執行役員にまでなれました。

もともと法律の勉強はしていたので、会社の法律を扱う部署である法務部門に入りながらも、全く未経験の人事・財務・経理・総務などの会社の屋台骨とも言える複数の機能を持つ部門全体の責任者をすることになりました。

会社そのものも、売上100億円足らずのところから4倍の400億円へ、従業員も100人足らずから500人へと順調に成長していきました。

自分自身15億円を越えるような案件を担当しクローズさせたりしてきました。

複数の会社の取締役や監査役も兼務して経営にも携わりました。

そのうち、山手線沿線に一戸建てを所有したり、フリーター時代に新築だった憧れのマンションなどに住んだりもしました。

これらはかつて自分の夢だったものたちでした。
特に意識して達成した訳ではありません。でも、自然と気づけば達成していたのでした。

これはとても不思議な感覚でした。

司法試験はあんなに年数もかけて苦労をしても何の結果も得られなかったのに、夢(ゴール)なんていうのは、上手くハマれば叶ってしまうものなんだな。

達成感の中で私はそう思いました。

ゴールというのは、上手にハマれば、つまり自分が本当に望んでいるのであれば達成していくものだ、そう自分は確信したのでした。

新卒の人に「やりたいこと」がない

「最近の新卒の人たちの話を聞くと、自分自身の「やりたいこと」を持っている人があまりに少ない。だから、目標設定に苦労する。」

事業部門の責任者からそう言われた時、それは結構まずいことだなと思いました。

もちろん個人差はあると思います。

でも、若い人ほど「やりたいこと」がないという傾向は少なくともあって、それはこの世の中全体で見ても良いことでは無いと思いました。

「やりたいこと」がないというのは進む方向性がないということです。

自分も自分で「やりたいこと」を見つけ、それが上手くハマった時には成功して、それから外れる時には失敗した経験がありました。

なので、「やりたいこと」が無い人が多くなることは、会社そのものだけではなく、世の中全体的にそもそも進展が期待できない状況なのでは無いかと危惧しました。

世の中的に見ても、「日本発信の新しい何か」というものをあまり見かけなくなってきたように思います。

現状維持というより右肩下がりの現在において、必要なのは今を「大きく変える何か」。そして、それの源泉となるのは「やりたいこと」。

ただ、そもそもその「やりたいこと」も見えなくなっている時代なんだなと。

これは、そろそろ本格的に何かしていきたいと思いました。

一方で、技術の進歩は目を見張るものがありました。
例えば、当時はちょうど仮想通貨が盛り上がり始めていた頃でした。

国家が発行した通貨以外でも、流通することのできる通貨のようなものが現れたという事実。これはかつて自分が考えていた「国」を作るということを再度検討できるようになってきたんじゃ無いかと思いました。

また、同じくらいの時に、同じ会社で役員をしていた会計士の方との縁で、認知科学を基礎としたコーチングメソッドに出会いました。これは、アメリカで生まれのメソッドをルーツにしており、NASAやアメリカ陸軍、空軍、海軍、海兵隊などの連邦政府諸機関やアメリカTOP企業フォーチューン500社の62%が採用して多大な成果を上げたものです。
その特徴は、心から望む「ゴール」を見つけ出して達成してくという強力なメソッドでした。

あまり日本ではメジャーなメソッドではないのですが、自分自身の経験とも重なり、「これだ!」と実感することができました。

それが苫米地式コーチングです。
苫米地式コーチングの凄いところは、テクニックやノウハウを教えるというものではなく、「脳や心の上手な使い方を上手に伝える」という本質的な影響を与えやすいメソッドであるということです。

ちょっと変わるというより、ダイナミックな変革を起こすことを得意としたメソッドです。

実は、いつかは独立しようと思っていました。
あとは、材料が揃うのを待つだけだと。

そして、自分の中で材料が揃った、そう直感しました。

そして独立へ

独立を決めた自分は、ここまで自分を取り立ててくれた社長に会社を辞めたい旨伝えに行きました。

「社長、やりたいことがあるため会社を卒業させて下さい!」

「中野くん、会社やめたいのは分かったけど、何をやりたいの?」

『国』を作りたいんです!

なんかもうめちゃくちゃな辞めたい理由でした笑
社長も、「色んな人の独立の相談とか受けてきたけど、中野くんのが1番酷かったよ笑」と完全に呆れた顔で言いました。

でも、呆れられるくらいの方がちょうどいいなって思ってました。
それくらいのことをやりたくて辞める訳ですから。

そうして、自分は上場会社役員の地位を捨てて独立することになりました。

「国」を作るというゴールももう一度見直して再度設定し直しました。

これから個人個人のやりたいことをベースにした「新時代」を作っていこう、と。

そのために、コーチングや情報の発信、そしてこれからも出てくるであろう新しい技術などを使って世の中の仕組み作りをしていこうと。
これらをいろいろな角度から実施していこうと思っています。

ぜひ、あなたのやりたいことをやっていく人生のお手伝いができたら嬉しいです。

こんな長い文章を最後までお読みいただきまして本当にありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

シンジョウ(中野 新常)
X:https://twitter.com/shinjou_coach


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