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『ココロとカラダとタマシイのこと』育児にはげみながら、精神科医の卵をしております。から…

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『ココロとカラダとタマシイのこと』育児にはげみながら、精神科医の卵をしております。からあげがだいすき。

マガジン

  • イガクセイ日記

    イガクセイ(医学生)の間に感じた考えたあれこれを残していくマガジン。

  • こどもの宇宙

  • タマシイ

    タマシイ...不思議なこと全般をかいていこう。ちょっとスピリチュアル、こうゆうの大好きなのです。

  • カラダ

    カラダについて学んだこと、感じたこと、考えたことをのこしていくマガジン。西洋医学を中心に、ヨガや整体なども織り交ぜていこうかな。

  • ココロ

    ココロについて学んだこと、感じたこと、考えたことをのこしていくマガジン。主に精神医学や臨床心理学の範囲になるのかな。

最近の記事

手厚い支援と自由

精神疾患における中途半端な診断基準やガイドラインというのは、臨床現場の自由を奪い、本来されていた個別化医療の機会を減らしているんじゃないか。 発達障害(ASD ADHD)などの正常と異常がグラデーションで地続きで、どこから異常(診断すべき状態)かをとりあえず定めてみたって雰囲気の基準をみて、 またそれに付随する支援サービスなどの制度設計をみて、 ちょっと悶々とする。 本来なら100通りの仮説が同様に検討されなきゃいけない状況で、たまたま詳しく調べられた数例だけを取り上げて

    • 結局、私何がしたいんだっけ

      研修医1年目が終わった。 ずっと憧れていた精神科研修は、実際研修医の立場で回ってみると、期待を裏切られる結果となった。 一方で、ずっと敬遠していた脳神経内科は、思いの外面白く、のびのびと自然体でいれて、客観的にみても適性があるようだった。 単純に、脳神経内科に行くべきかなと思う。 でも突き詰めると、脳神経内科で扱うような疾患、例えばパーキンソン病や脳卒中などに果たして興味があるのか・・・そこまでない。 脳神経内科が素晴らしいのは、脳のことがよく知れて、集まる医師達が知的

      • ひとの『精神』をしっかりみようと思ったら、やっぱり身体のことは切り離せないのかな。 実臨床を見ていると、心理学的な背景を大切にしているのが、意外にも精神科より内科の場合が多々あって驚く。 私は何になるのかな。どこにいっても在り方は変わらないんだけど、何科の医師になるんだろう。

        • とっても具体的な教育法は、わかりやすい。でも具体的であればあるほど、目の前にいる自分の子どもに、適応できるものとは限らない。 だからこそ、巷にある沢山の教育法をかき集めるのを一度お休みして、そもそも自分にとっての教育とは、その目的とはって、演繹的に考えてく時間も大切だと思う。

        手厚い支援と自由

        • 結局、私何がしたいんだっけ

        • ひとの『精神』をしっかりみようと思ったら、やっぱり身体のことは切り離せないのかな。 実臨床を見ていると、心理学的な背景を大切にしているのが、意外にも精神科より内科の場合が多々あって驚く。 私は何になるのかな。どこにいっても在り方は変わらないんだけど、何科の医師になるんだろう。

        • とっても具体的な教育法は、わかりやすい。でも具体的であればあるほど、目の前にいる自分の子どもに、適応できるものとは限らない。 だからこそ、巷にある沢山の教育法をかき集めるのを一度お休みして、そもそも自分にとっての教育とは、その目的とはって、演繹的に考えてく時間も大切だと思う。

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        記事

          全ての子どもはユニークな個性をもって生まれてきて、そしてその個性を世界と調和させて生きることができたら幸せだと考えています。 そのために自分で考え、判断し、行動し、内省するための土台作りをするのが教育の一つの側面なのかもしれません。 (友人との会話でわたしが話した内容から)

          全ての子どもはユニークな個性をもって生まれてきて、そしてその個性を世界と調和させて生きることができたら幸せだと考えています。 そのために自分で考え、判断し、行動し、内省するための土台作りをするのが教育の一つの側面なのかもしれません。 (友人との会話でわたしが話した内容から)

          教えるときのコツ

          人が生きていく上で、誰かになにかを教える場面は多々ある。 わかりやすいのは、学校の先生や親が子どもを教育する、医者が患者さんに医学的なことを伝える(患者教育という言葉で言われたりする)、新しく引っ越してきた方に地域のことを教える、見知らぬ他人に道を訊かれて教える... そんなありふれた「教える」に共通した、教えるをうまくいかせるコツがあるとしたら、 ①穏やかに、②繰り返し言う、③気長に待つ なんじゃないかと思う。 そして、もう一つ、面白い事実として、教えてると思って

          教えるときのコツ

          座敷童子

          茶道具屋の扉をあけると、停めていた車の真後ろに男の子がいた 黒目がちな瞳でこちらをみている 「子どもがいるから!車動かしちゃだめだよ!」 車の中にいる家族にそう合図する 年齢は3〜4くらいだろうか むきゃきゃっと笑っていそうだけど決して音は聴こえない 「パパとママは?」 近づくと口周りとシャツに醤油のような汚れがついているのに気付く その口から言葉は出てこない 「こんな車の近くにいたら、あぶないよ」 しゃがみこんで、同じ目線で、丁寧に伝える 彼はにこにこ

          座敷童子

          将来のこと

          35歳になっても将来のことについて迷っている。 2023年は念願の精神科研修があって、他にも内科や救急科やらを回って、 色んな人からいろんな助言をいただいた。 ひとつは、精神科より内科のほうが向いてるんじゃないかと内科の先生方にいわれたこと。 もうひとつは、開業して自身のクリニックを創ってほしい(単にどこかで外来でもいいのかな)と数人の患者にすすめられたこと。 最後に、声を聴いてると落ち着く、声を使う副業をしてみたらなどと上司や友人や家族にいってもらったこと。 ど

          将来のこと

          研修医

          患者さんが主訴という形で問いかけをして それに対してわたしたち医療者が応えていく わからないことは調べて、上級医に聞いて、 それでもわからないことは、さらに文献を調べて ときには全てに手が回らないこともある 教科書として正しいことをしてもよくならないこともある 生じてる課題の、真なる一次情報は患者さん自身だから、 一番よくみないといけないのは患者さんだ 文献や教科書や経験者の言うことよりも、 一番よくみないといけないのは患者さんだ 目には見えないものをしっ

          研修医

          転んだ人を笑ってはいけない、彼は歩こうとしたのだ。 引用: 米倉誠一郎(日本の経営学者、1953年5月7日-)

          転んだ人を笑ってはいけない、彼は歩こうとしたのだ。 引用: 米倉誠一郎(日本の経営学者、1953年5月7日-)

          メンクリ探訪

          仲の良い同期がこんなことを言っていた。 「医学部ってだけで、俺のオタク界隈の奴等に、どこのメンクリがいいか、めっちゃ聞かれるねん」 ほう、なるほどね。 なんの話をしているかさっぱりわからない。 「え、メンクリって、メンタルクリニックの略やで」 人は誰しも、なにかしら悩みを抱えていることが多いけれど、それだけでメンクリに行こうとはならない。ましてやセイシンカ(精神科)なんて、一度関わったら戻って来れなさそうな世界に足を踏み入れるとなったら、さらに慎重になるのが普通かと思

          メンクリ探訪

          サッカーと勉強と思春期と..

          ※個人情報が特定されないように、情報を改変しているので、このお話はフィクションのようなものと捉えてください。  お尻を腫らした大学生がきた。 サッカーの試合中、正面から向かってくる相手選手をすり抜けようとするも、足が引っかかって派手にこけたらしい。 触った感じがかたくて血腫だろうなぁと思っていて、エコーやCTでも案の定そうだった。 IVR(血管をつめて血を止める手技)するほどじゃないことを確認して、圧迫止血することにした。 (やっちまったぁー) みたいな顔をしてるの

          サッカーと勉強と思春期と..

          ずれ

          わたしは結構器の小さなところがあって、ついつい目先のことに囚われて、大切なことを見失いそうになるときがある。 仕事をしていく上で、ふと「(ふと我に返って)わたし浮いてないかな」「意見をはっきり言いすぎて生意気だと思われてないかな」「わたしは周りに迷惑かけてないだろうか」「指導医からはちゃんとヤバレジ(※使えない研修医の愛称)認定されてないだろうか」「指導医にデキレジと思われたかな(※使える研修医の愛称)」「患者さんに信頼してもらってるだろうか」「同期に比べて手技がまだ下手く

          Zero

          研修医の同期で、研究者もしてる子がいる。 私は彼女と話してるとなんだかとても楽しくて、そしておそらく彼女も私と話すのが嫌いじゃないみたいで、ふらふらと病院内を歩いてると目ざとく見つかって話し相手をさせてもらえる。 その日は(その日も)遺伝子の転写因子について、もはや講義なんじゃないかってくらいの濃さと親切さで解説されてたとき、 ふと何も考えずこう呟いた。 「その研究結果がわかったら...がんとか遺伝子異常でなる病気の人達が救われるよな」 「....」 その子の目つ

          手術

          突然のことで、全身麻酔を使った簡単な手術をうけてきた。 先々月までは毎日誰かの手術に立ち会って忙しく頭をフル回転させていたけど、今日は逆にできるだけ頭をとめてヒシッと緊張や不快感に耐えることに集中していた。 病院やオペ室の風景は日常のものなのに、点滴紐を垂らしてストレッチャーに乗った景色は完全に非日常なもので、慣れない侵襲に内心怯えながらも平気な顔する自分が、今までたくさん通り過ぎていった患者さん達を思い起こさせた。 不快なことというのは、それを意識すればするほど、不快

          そうゆう子どもさんに私はなぜ会っているかといえば、その悪いことをやめてもらうというのではなく、悪いことのなかに入っている「よいものの芽」がどのように伸びていくのだろうと思っているからです。 引用 河合隼雄 いじめと不登校 p.82

          そうゆう子どもさんに私はなぜ会っているかといえば、その悪いことをやめてもらうというのではなく、悪いことのなかに入っている「よいものの芽」がどのように伸びていくのだろうと思っているからです。 引用 河合隼雄 いじめと不登校 p.82