個をどこまでも深掘った先

そういえば、ずっと前から、こんなことを言われてた気がする。

「良き師をもちなさい」

「メンターをみつけ、ひたすら模倣し、いつしか自分のオリジナルをみつけなさい」

「目標をさだめ、そこから逆算して、今やるべきことをやりなさい」

これ、今でもきっとよく言われることなんじゃないかな。

ただ、わたしの場合、この教訓をたびたび思い出すのは、それに馴染めずにここまできてしまったからだと思う。

この手の話をきくたびに、ノってるときは鼓舞される一方、ノってないときは「しんどいなぁ」ってなる。

これまで、歴史上の人物や、身近な先生や先輩というものに、心の底から憧れたことがあんまりないのに、、、メンターなる者はどこに生息してるのだ一体。

そもそも、何かしらの個体(たとえば、スティーブジョブスとか、カブトエビとか、AIとか、ビットコインとか)に、四半期以上はまったことなんてないぞ。

どの村にいけば、メンターや目標はゲットできるの?



実はこれ、冗談でなく、長年の悩みだったりする。

世に言う成功者っぽい人たちや、だいすきな自己啓発本の著者たちは、こぞって冒頭のことをオススメしてくれる。

一方、オススメされたことを素直に試すも、気がつけば放り出してる。だって、まず目標とする人や物事が見つからないのだから。

熱狂できる人やモノは、探しても探しても見つからず、焦りや空虚感ばかりがつのってくる。

わたしはおかしいんじゃないか。あるいは、わたしのいる環境がよくなくて、もっと誰もが憧れる環境にいけば、師と仰げる出逢いがあるのだろうか。

そう思って、就職活動をするときは、どの業界でもいいから、

1.トップファームであること
2.自分が結果をだしやすいとこ
3.広い世界をみれそうなとこ

という軸で動いてたっけ。

運良く、希望通りその業界ではトップファームであるところにいき、公私ともにその業界の「すごい」「一流」と言われる人に会ったりしたのだけど、どうしても興味や感動がつづかない。

なんでだろう。

もっと心の底から敬って、興味を持ち続けたい!

それでも、なかなかそれができない。

もちろん、偉いとされる人に会ったら、言葉や態度で尊敬の念を表する。

でも、そうやってコミュニケーションの型として、また礼儀として、相手を尊敬する言語を使っても、心の奥底では、皆同じ人間であり生き物じゃないか〜みたいな感覚があって、それはごまかせない。

だから、敬い仰ぐっていうのは、心の底から湧く自然なものというより、社会に適応するための一つのコミュニケーションの型といった感じに近い。

なんでだろうか。

これは、わたしの周りに尊敬されるべきところがないからとかではない(そんなわけない)。

むしろ、わたしのレセプターの問題なんだと思う。 〝具体的なもの〟〝枠組みがはっきりしているもの〟にたいして反応が鈍いのだと思う。

そういったものの代わりに、自分の感覚が、いつも捉えて離さないものがある。

それはもっと抽象的で、モフモフしていて、不思議なものたち。イメージの世界のものであることが多い。

たとえば、ボーッとしているときにみえるヴィジョンとして、キャンパスに適当に絵の具をこぼした跡みたいなのがあって、それがよく見てみると、形や色合いが変化してる。

その変化を追ってくと、光の具合が変わって、ある瞬間の彩度やコントラストに、今めっちゃ惹かれる...というものがあったりはする。

そういった風景あるいは現象に感動することがある。

これは、内的世界だけじゃなくて、外の世界でも起こる。

たとえば、小さい頃、四万十川に浸りながら、遠くの山々を眺めていたときのこと。
急に山と自分が一体化して、そしてまた引き剥がされ、一つの個体にもどるといった感覚を覚えたり....

またあるときは、友達とガリガリのコンクリートの上を走っていて、つまづいた瞬間のこと。
「こんなガリガリのコンクリートでこけるのだけは勘弁して〜」と思ったからだろうか、急に世界の動きがスローモーションになって、こけるまでの3秒くらいが、まるで30秒以上かかってるかのような体感になったり...

そしてまたあるときは、アマゾンガエルの猛毒を、表皮に塗りたくって、ゲロゲロ吐きまくったあとに、瞑想をして、生まれてはじめて脳的エクスタシーを感じたり...

小さい頃はじめて大病院にいったときのこと。生まれてはじめて腕がない人をみて、腕はなくなり得るものなんだって気がついて、それまで生きてきた世界が一変してしまったり...

みたいなことが、自分の頭をいつもたくさん占めてる。

現象とそれによって沸き起こった心のインパルスばかりが記憶と意識に残ってしまう。

こういったことで大半が占められているのだから、そらメンターどころではない。

仮にメンターっぽい人物がでてきたとしても、数時間たてばきっと、また別の何か感覚的なものを味わってしまっている。

だから、冒頭のアドバイスをいつまでも実行できずにいる。

10年以上試して、一度もうまくいってないんだから、そろそろ方向転換してもいいと思ってる。

個を、この感覚を、どこまでも深掘っていった先に何があるのか

これからは、こういった視点を、堂々と大切にしていこう。

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thank you as always for coming here!:)

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co.ayu

『ココロとカラダとタマシイのこと』学士編入の勉強をしてたら運よく合格できました!時たまカウンセラーをしております。パプリカがだいすき。

コメント8件

その軸というのがイマココという理解でよいのだろうか。。?成長というのは色んな要素を「取り込んでいく」ことだと思ってたけれど「取り込まれていく」というのは、僕にとっては新しい考え方だ。でもそっちの方が、運命的な雰囲気があって好きかもしれない。
例えば、そこで、君の考え方では、、「カービィがワドルドゥを吸い込んでビーム能力を手に入れた」という現象について説明するとき「カービィはワドルドゥ[外部]になりたくて(模倣したくて)ワドルドゥを吸い込んだ」のではなくて「カービィは内なる導き(異変を解決すること:本人は必ずしも自覚していない){内部]に従った結果、ワドルドゥを吸い込んで彼にビーム能力が取り込まれた」と解するので良いかな?検証をお願いしたい。。
そうですね!そんな感じのイメージで物事を捉えています。わかりやすくかいてくださってありがとうございます!!
自分のことのように感じました!うまく言えないけど、ayu.coさんと同じように感じて生きています。
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