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マッサージの不思議

いつも不思議に思うことがある。

マッサージをしていて、相手が特に気持ちいいと感じているときはたいてい、施術してるこちら側もとても気持ちがいい。

少なくとも、とてもリラックスしていて、楽な感じで、相手の身体を押している自分の身体が、作用反作用の法則でまた押されていて、それが心地いい。

これは、ヨガのアシスト(ポーズをさらに深めてもらうために、こちらが力を加えたり支えたりするもの)をするときも、あてはまる。

安定して、うまくハマったアシストができているときは、こちら側もむりがなく、リラックスしていて、気持ちいい。

この経験則は他にもあてはまることがありそう。

ここで、マッサージを、物理的な力の循環ととらえてみる。すると、非物理的な力の循環・・たとえば精神的な力の循環にも、これはあてはまるのかもしれない。

精神的な力の循環といえば、会話や視線のやりとりとか。

相手に心地よくなってもらいたいのであれば、まずは自分からリラックスして心地よくなる。

そしてその状態で、相手と言葉や視線を交わしてみる。

はじめはミラーリングやペーシングで相手に合わせてもいいかもしれない。それでも、段々と自分にとってのリラックスしたスタイルにうつっていく。

すると、もしかしたら、はじめは興奮していた相手でも、こちらのリラックスに合わせて、力みがゆるんでくるかもしれない。

これに似た体験をしたことがある。

中学生のときに、重症心身障害者や肢体不自由者の生活介護をしている施設に研修にいったときのこと。

ある知的障害をもつ女の子が、「お母さんに会いたい!」という趣旨のことをいって(おそらく)、泣いたり叫んだりしていた。

「まだ土曜日じゃないから会えませんよ」と職員の方はなだめようとするけれど、女の子は泣き止まない。

そらそうだ、お母さんに会いたい気持ちに、曜日は関係ないもんね。

女の子は、手あり次第にオモチャを投げたり、窓を叩いたり、誰かに突進したりしていた。

身体中で精一杯、女の子の感じてる不満を爆発させているように感じた。

わたしを含め研修生たちは、この施設にいる方達と交流することが役割だったのだけど、女の子の挙動をみて完全にひるんでいた。みな、部屋の隅っこでかたまっている。

動き疲れたのだろうか。女の子は、部屋の真ん中にすわって、おもちゃを近くにポイポイと投げていた。グスグスと泣きながら。

突き動かされるように、女の子の斜め前に座ってみた。

女の子がオモチャを投げたら、わたしもオモチャを投げてみる。

女の子がウワァーと言ったら、わたしもウワァーと言ってみる。

彼女が床をバンバンと叩いたら、わたしも床をバンバンと叩いてみる。

そうやっていくうちに、彼女とわたしの中で一体感が芽生えてきたような気がした。

わたしたちは、同じ群れの中にいる、とてもよく似た特徴をもつ生き物なんだーって、身体で語りかけている感じ。

はじめは、わたしが一方的に女の子のマネをしていたけれど、いつしか2人の挙動が循環してきたのを感じた。

わたしがニコニコしながらオモチャを投げてると、女の子の表情も段々と柔らかくなってきた。

わたしがオモチャを拾い上げると、女の子もオモチャを拾いに行こうとしたりした。

わたしが、ワァッ!っていうと、それに応えて、女の子もワァッ!といってくれる。

こうなるともはや二人の世界で、とても楽しくなってくる。

気がつくと、リラックスしたいつものわたしで、普通に言葉をかけながら、女の子とコミュニケーションしていた。

女の子は言葉を喋らなかったけれど、その女の子なりの発声やジャスチャーで、レスポンスしてくれた。

わたしが、他の研修生や職員の方に視線を向けてみると、女の子も同じように二人以外の世界に目を向けた。

するといつしか、他の研修生もいれて、何人かで女の子と遊んでいた。

もし、この世の中に、目に見えないエネルギーがあって、それが人の意識に関連しているとするならば、わたしと彼女の意識のエネルギーは、暖かくまろやかに合流してたのだと思う。

とっても楽しかった。

マッサージをしているとき、この時の記憶、この時感じたエネルギーを、思い出すことがある。

だから、マッサージは神聖なのかもしれない。



thank you as always for coming here!:)