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はじめに

簡単に自己紹介を

1977年に父ケンジと母ヨシミの第3子として広島で産まれる

兄が二人

これまた背が高い二人で、似ても似つかない(どうでも良い)

広島は廿日市(はつかいち)とゆう土地で育つ(安芸の宮島でご存知の方もいるかもしれないけど、周り海で環境は今思うと最高だし、けん玉発祥の地とされている)

そして途中、父の転勤で高知へ
ここはもうほぼ覚えてない

小中学校は廿日市(はつかいち)で通い、小3から野球を始める(生粋のCARPファン)

少年野球では背が小さいのにピッチャーを任せられる

さほどセンスも無かったが、運が良くレギュラーの座を獲得

きっと運だけ

その後廿日市(はつかいち)の中学校へ

この頃全く美容に興味のない坊主頭

中学校でも野球部へ入部

同じ野球部に兄がいたからか、運良くレギュラー獲得

肩も強くないのに、決まってサードかショートを守らされる

大体、中学校2年生くらいで女子にモテ始める

なぜかわからない
これも兄のおかげか…

高校は広島の端っこ(山口県寄り)へ通学する事となる
(当時、女子の割合が6割いたからこの高校を選んだのかは定かではない)

この頃、既に野球のセンスが無いことをわかっていたので、野球部には入らない事を決めていた

いわゆる帰宅部(現在はこれ何部?)

そして周りの環境もあって、ふとした瞬間で(分からないが)ファッションについて興味を持つ

正直「ファッションについて」とは、おこがましい程のクソ坊主である

まぁこの年代はみんな当たり前かもしれないが、「女子にモテたい」とゆう理由から、オシャレしたい、かっこよくなりたい、が芽生える

中途半端に芽生える、が正解


高校に通い家の近くでバイトを始める
なぜかスーパーの鮮魚コーナー(いわゆる魚屋だ)

この頃のバイト代は何に消えていったのかわからないが、魚を三枚おろしに出来る、とゆう事は習得したらしい

今でもおろせる(だからなんだ)


なんだかここまで「簡単に自己紹介」と言ったが、長くなりそう

そして何より「女子にモテたい」しか言ってないクソ坊主だ


元に戻す

高校は普通科

何の戦略も考えも夢も目標もなかった

ただただ、友達と遊ぶのが楽しかった

遊ぶと言っても“盗んだバイクで走り出す”そう、尾崎的なヤツだ
うん、そう“タバコをふかしー”的なヤツも含まれる(時効にしてください)


友達と遊ぶのは何か安心したものがあったのか、ただ家に居場所がなかったのかは、分からない

けど、当時は友達といることが楽しくて仕方なかった

徹夜で麻雀したり、近くの駅にたむろしたり、宮島ではキャンプして簡易ボンベを爆発させるとゆう事件もあった

楽しいとゆう反面、どこかつまんないとゆう思いもあった…なんか不安だったのかもしれない


高校3年の時に、就活をした

母ヨシミの昔からの言葉がどこか心の奥底で残っていた

「手に職をつけなさい」

なんだか今になって有難い言葉だと思う

そんなこんなで、美容師か調理師になろうかなと、ゆるりと決心する

いや、この時点では正確には決心してない

さらに言うと、迷ってる時点でブレてる

これが就職するまでの流れ


この後は、次のnoteでまたお話しする事にします


つづきはこちら↓


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