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叶えたい「夢」はシンプルだったけど、どうにも大人になっていた

いしかわゆきさんの『書く習慣』という本を読んではじめた、『「書く習慣」1ヶ月チャレンジ』。本日は28日目です。

Day 28 「もしも1つだけ夢が叶うとしたら」

「夢」って、ぼんやりしてるよなあ。と思う。「将来の夢」という言葉に引っかかりを覚えることなく話せていたのは、そもそも「将来」というものがぼんやりしていたからなのかな。いや、でも小さい頃は小さいなりに、大人になったら……。と真剣に考えていたはずだ。

「将来の夢」が「今後の目標」になり、さらに歳を重ねたらどうなるんだろう。
つまりは、今のわたしに「叶えたい夢」というものがピンとこなかったというお話です。

強いて言うなら、平穏無事に生活したい。

いや、これが夢でいいのかな? しかもひとつだけ叶うとしたら。という、結構大事な選択が。
どうせなら作家になりたいとか詩人になりたいとか、謎のカリスマ書店員になりたいとか、なんかそういうのにしてた方がいいかなとは思う。
だけど、それは今後実際に名乗るためにどう動いていけばいいか。を具体的に考えているし、それってなんというか……「夢」感がないよね……。
いや、謎のカリスマ書店員を名乗る予定はないんだけど。

日常生活はわたしひとりで回っているわけではないから、わたしがのほほんとしている時に家族のピンチがやってきたり、逆も然りだったり。
そういう意味では、「平穏無事」ってかなり実現が難しい状態を指すような気がする。
わたしの生活環境でだけかもしれないけど。

それなら「夢」でもいいかなあ。平穏無事って書くだけだと定義があいまいなところも「夢」って感じがする。

よし、やっぱり夢が叶うとしたら「平穏無事な暮らし」だ。それを選ぶ。決めた。

子どもの頃みたいに純粋で突飛なことは言えなくなっちゃったけど、ちょっと大人になったわたしにとってはなかなかに手の届かないもの。
でも、叶うならとってもうれしいもの。

夢ってそういうものなのかもしれない。

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