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ソ・ダンの宇宙と38度線:『愛の不時着』

https://www.netflix.com/title/81159258

前提として、これ(を含む一連のトーク)を聴いてから視聴を決意し、観ています。

作品の強度と相関もあるとは思うのですが、基本的にはネタバレを肯定している、というよりも寧ろ「ネタバレが無いと」レコメンドが視聴のトリガーになることはない。少なくとも私的な範囲では。

ネタバレ無しでインセンティブを引き出すのには恐ろしいほどの技術を要するはずで、「口コミ」ベースで拡がる作品が「うまく言語化できないけど観て!」レベルの推薦でここまで拡散はしないのではないだろうか。そして、口コミで広まる作品は、巨視的なネタバレレベルで強度が損なわれるような軟な構造でもないと思っているからです。

で、徹夜までして数日で一気見しました。なんだこれは。

朝鮮分断問題という舞台背景を韓国側で作り上げている以上、ある種の南側によるプロパガンダは含まれているのかもしれません。それが『モロラジ』でも指摘されているような韓国側の諜報機関ユルすぎ問題に表れているのかもしれないし、あるいは堂々とこういったテーマに踏み込んだドラマを悲喜織り交ぜて作ること自体が、分断問題に対する「余裕」のアピールなようにも見えます(それは劇中における送還時の「耳野郎」の雨模様に対する台詞が象徴するように、分断問題そのものの根本的な解決とはまた切り分けて捉えるべきなのでしょう)。そしてソ・ダンのキャラクターが北朝鮮サイドであることも。

確かに、生まれ育った環境と自己規定とでがんじがらめになった小宇宙に生きる、あるいは生きざるを得ない人間を描写するにあたって、北朝鮮のパブリックイメージを使って属性を定義することでドラマは作りやすくなります。一方で、38 度線のような巨大な「境界」を超えない範囲のサンドボックスの中でなら、同様のキャラクターはどこででも成立していられるはず。だから韓国においてがんじがらめになっている人間としても描くことはできるとは思うんですけど、まあこれは朝鮮両国が舞台なので。また、ダンの敵にあたるセリの掴み取ろうとする「自由」の間には 38 度線というシステムを横たえているので、彼女はジョンヒョクの属する北朝鮮サイドに配置されることになります。

そんな設定上は単純な造形ともいえるダンが、メインの二人が帰還・脱北したあたりからあそこまで人間的に飛躍するのはすごく良いなと思いました。軍事境界線によって分断された世界、それによってもはや意味も分からないままに醸成と世代交代の進んだあの現状は、日本と朝鮮が言語的にも隔絶されている以上、字幕スーパーのドラマからは絶対に内在化することのできないものを含んでいるはずです。だから中心にいる二人の関係性はいわゆる若干の「韓流」性とも相まった、当事者性の希薄さからくるファンタジー(というのは些か礼を欠きますが)の域を出づらい感じもしていて。あれも少し位相をずらすと離散家族の問題にもなってくるからファンタジーと切って捨てることもできないんだけど、でもやっぱり現代日本からすると「特殊な不自由」の話に感じる。対して、ダンのエピソードはミクロスコピックな、あくまでパーソナルな刺さり方をするじゃないですか。システムあるいは世界の、宇宙の、外側が見えてしまったとき、憬れの人がその向こう側に行ってしまったとき、それまでのもやもやとした鬱屈がかたちをとった絶望と羨望のコンプレックスが、見える。

涙出るところなんて人それぞれだと思うんですけど、自分でもだいぶ訳わからないところで出たなっていうのが(しかも全作通して比較的強めに)11 話のエピローグなんです。それまで断片的に匂わせてはきているんだけど、11 話でようやくスイスでの「写真」エピソード周りの全容が浮き上がるときの。北も南も言語は一緒だからこそ(ここも同一民族の断絶っていう背景につながっていてすごいなと思ったんだけど)、独り言まで実はセリからダンに、あるいはジョンヒョクにも?全て筒抜けになっている。それがダンの横顔を含むあの構図で必然的に写真へと切り取られた後、イラッとした自分に気づいたダンが鞄からキットカット取り出したときに、さっきまで目の前にいた女が麓の売店で「憂うつな時には激甘なものを食べるといい」って声をかけてきた人間、自分がキットカットを買うきっかけになった人物と同一だったと気づいて、それでもキットカットの封を開けてひと口でガリっと行くっていうあの描写で、なんかぐわっと来ちゃって。システムの中に押し込められていながら(第 11 話本編ではダンの同窓生とのやり取りで描かれてもいる)、システムの外からもいきなり装甲トラックみたいなのが潰しにかかってきたような感覚(同じく 11 話本編中、スンジュンとのラーメンのくだりも「外側」の存在証明)。加えてわたし(視聴者)はその挟撃に彼女がその後 7 年間は呪われ続けることも知っているので、なんかもうぶっ刺さっちゃいましたね。

ある回想の伏線にここで一区切りがつくのと前後して、スンジュンとの関係性が一気に加速して行くのも良いんです。「誰のために涙を流すか/誰が自分のために涙を流してくれるか」は特に耳野郎のテーマでもあったと思うんですけど、ダンとスンジュンとの関係性はラストにかけて耳野郎との対比から変奏~重奏に変化していってる気もして。無論セリ&ジョンヒョクとの対比~重奏でもあるんだけど、もっと微視的な世界での耳野郎との共鳴ですね。

後半、韓国編はセリのメソメソに些か飽食気味でした。その分、メインペアの 1/5 くらいしかなかったようなダンとスンジュンとのやり取りを、もっと見ていたかった。でもそれはそれであのスピード感も薄れるんだろうな。二人でセリの指輪選びに行くエピソードは後付けだったんだろうか。気になるなあ?!

といったふうにキリがないんですけど。2 周目いけるポテンシャル普通にもってますよこれ。誰にフォーカスしても、どういう切り口からでも。トレイラーの字幕スーパーの世界観に騙されないでほしいです。『マネー・ショート(原題:THE BIG SHORT)』の副題に「華麗なる大逆転」ってつけてしまうのが、言語の断絶を使って文化を蔑ろにする日本のプロモーションなのかもしれません。それは「言語を殺すのが翻訳である」だとか、そういう観念以前の問題です。それに類する「韓流」のプロモ―ションフィルターを取っ払って、視聴に踏み込んでみてほしい。本当にすごいところに連れていかれます。観てよかった。

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