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小物のわたし、ろぐを残す。

この前、後輩がnoteを送ってくれて、それで、noteってなんてすてきな世界観なんだろうって思った。

それではじめた。


前から知り合いでnoteをしてる人はいたけれど、自分で始めてみようという気分にはならなかった。ぶろぐに対して前はよくなく思ってて、自分の思いを綴るものというよりもマーケティング要素の強いものだと思ってた。だから、日記ぽいこの感じはすごくよき。


もひとつ、(というかこっちがめいん?)noteを始めたのは、”小物の自分”のろぐを残しておきたかったてのもある。

ふと、将来はびっぐになるから現在の記録を残しておかなきゃと思った。

将来びっぐになったときに語るねたを準備しておかなきゃ。(語りたいの。そう。)多分、いまいまで思ってることって忘れちゃうし。

有名な人の過去の輝かしい経歴とか格言みたいのはたくさんあるし、当時を振り返っての回想みたいのはよくあるけど、当時のりあるな記録ってあまりないなと思った。でも、わたしはそういうのを読みたい。偉大な人たちの今の活躍は目標にはなるけど、そこに到るまでってすごく不安だと思うし、その人たちも不安ってあったと思う。

そういうのに押しつぶされなかった人は、とか、あるいは押しつぶされても這い上がってくる人は、目的のために意識し続けた人、考え抜いた人、動き続けた人がどんどん自分の階段を上がってるのではないかと思う。まだ、小物だから分かんないけど。


だから、このろぐはいずれ自分の今の考えの答え合わせになるね。とういうわけで現在、小物のわたしが大物になったときに振り返るために考えていることを書き連ねていかねば。こういうのって後から消したくなるよね笑小学生のときは日記を自分なりの完璧につけようとして、毎回、先週分の日記を削除して全く記録が残らなかったの。


さてさて、証明したいことりすと。

・人間は感覚的な生き物だから、論理がめいんの「感覚さん」をさぽーとしてあげる感じだと思うの。だから、感覚を重視しないヒトは嫌いというか勿体無い。それこそ人間の構造学的上、論理的でない。「会社のびじょんとびじねすもでる」の関係性みたいな。

・たくさんお金を稼いでる人がその上で「お金は全てじゃない」って言うのはなんでなんだろう。お金より家族とかが大事だとは思ってるけど、まだ、そんなにお金を稼いでないから分かんない。

・人間てひとりひとりがぱずるのぴーすみたいになってると思うの。それぞれが役割を持ってて、そこに当てはまってる時がその人が一番、幸福を感じられると思うんだよね。で、それは自分の好きなこと楽しいことを突き詰めてけばそうなれると思うの。

・世の中のあらゆることはひとつ(かあるいはなんこか)の法則で成り立ってて、だから、入口がどこであっても自分の専門がどこであっても別の分野への応用ができる。数学の公式があってそこにその時々の問題で提示された文字と数字を代入していく的な。

・無駄だと思われているところにこそ、勝機とかひんとがある。

・世の中、循環してることが大事。例えば、お金を他人のために使った方が自分にお金が入ってくるとか。

・あと、びっぐになるひとも始めは普通だと言うこと。


ろぐは毎回更新していこうっと。


とはいえ、こんなろぐを残さなくてもびっぐになればいいんだけど、書いててふとろぐってすばらしいと思った。これはいい意味で自分へのぷれっしゃーになる。痛気持ちいまっさーじをする的な。それと小さい頃から経験したことのないオトナにあれこれ諭されるのが嫌いだったから、語るときは自分が経験したことを語りたい(もう一度言うね。そう、語りたいの。おしゃべりすきだから。)

純粋に世の中で言われてて自分の共感できることが本当にそうなのかを自分の目で確かめたい。ちいちゃいころから、自分の目で確かめないと気が済まなかったの。(そんなわたしのままーの次の言葉は「やじゃー!」)

そして、ブログとかtwitterとかしたことなかったから、少し、気恥ずかしいね笑





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