見出し画像

観劇ことはじめ

劇場でお芝居を観る習慣のない人達は、演劇についてこんな風に思っているかもしれない。

ケース1:とにかくよくわからない
「演劇っていつどこで何がやってて、誰が出てて、おもしろいのかどうか、チケットはどう買うのか、もう色々、よくわからない」 
ケース2:初心者に世界が開かれてない気がする
「一部の好きな人たちだけの世界って感じがして敷居が高い」
「初心者は手を出しづらい」
ケース3:映画でよくね?
「映画より高いチケットを買ってほぼ無名の人の作品を観に行くリスクよ」

だいたいこんな感じかな。
三つ目が一番大きい理由かもしれない。 

気持ちはすごくわかる。

娯楽がこれだけ溢れている時代に、ネットで無料でもエンタメ見放題な時代に、おもしろいかどうかもわからない作品に高いお金は払いたくない。しかもわざわざ身なりを整えて電車に乗って劇場に足を運んで。アマゾンプライムもNetflixもHuluも家で寝起きのままベッドに横になっていつでも観られるのに、わざわざ…ねぇ?

その通り過ぎる。

チケット代の相場は安いもので2500円~、高いものは優に一万を超える。
安いものというと、キャパ200前後の小劇場で演出家も役者もほぼ無名であることが多い。
有名演出家の手がける作品やテレビ映画で顔を見るような役者さんが出演するものは、劇場の大きさにもよるけれどだいたい6000円~一万円前後。

評判のいい新作映画なら鑑賞後の満足感がある程度約束されるし、動画配信サービスやDVDならかなり詳しいあらすじやレビュー、望むならネタバレを確認してからの鑑賞も可能だ。
その点、演劇は博打。チラシを見てもHPを見ても、内容について書いてあるのは抽象的な文言であることが多い。なにせ、チラシを刷った段階では、劇作家も演出家も作品の全容が見えていないことの方が多いから。
(演出家によると思うけれど、稽古に入ってから台本の内容が変わることはかなり多いと思う。本番直前まで脱稿しない役者泣かせの作家さんもいると聞く。)

これは新作映画や音楽ライブなんかでも同じだけれど、ネタバレを気にして、公演期間中にSNSにレビューを書く人は多くない。コアファンの場合、いいか悪いかだけツイートする人は多い気がする(とにかく観に行くべき!みたいな)けれど、これはお互いコアファンだから通じるものであって、観劇初心者にこれだけの情報では心許ないのは言うまでもない。そもそも観劇そのものへのハードルが高いのだから。

演劇は映画に比べて事前に入手可能な情報が圧倒的に少ないから、自然と「これじゃ、自分の好きなタイプのお話かどうかすらわからない…高いお金払って、面白くなかったら嫌だなぁ…」という思考回路になる。
そりゃあみんな、時間もお金も無駄にしたくない。わざわざ演劇を選ぶ理由がわからないという人の声にも大いに頷ける。

つまり、知りたい情報に瞬時にアクセスして即楽しむことができる現代のエンタメにおいて、演劇はあまりにアナログで、あまりに遠回りなコンテンツなのだと思う。
(そうして辿り着いた演劇というコンテンツ自体は、その場で役者と観客が交信できる、遠回りどころかただただダイレクトなものなのだけれど。)

ならば何故、演劇を観るのか。

もちろん、観客の数だけその理由がある。
例えば圧倒的に多いと思われるのがこれ。

「推しが…推しが出てるから…!」

この理由を以て、面倒なチケット争奪戦もスケジュール確保も天候に恵まれずとも遠い劇場まで行くのも二時間座りっぱなしなのも、ぜーんぶチャラにできるのだ、推しがいる人間にとっては。

例えば「アイドル俳優を使って演劇興行に集客することの是非」というような、興行としての問題やそれに対する意見はネットでもたまに目にするし、実際色々問題はあるのだと思う。
あるのだとは思うけれど、ただのイチ演劇ファンの私個人にとっては、この理由は劇場に足を運ぶに足る、じゅうぶんすぎるほどじゅうぶんな理由じゃないかと思っている。

好きな俳優、好きなアイドルが出てるから。大いに結構。

それをきっかけに演劇自体の魅力に取り憑かれるということも、よくあること。
そしていつの間にか、劇団や劇作家、演出家に興味がいき、その視点で作品を選ぶようになったりもする。

友達に誘われて、とか、友達が出てるから、とか、無料のチケットが手に入ったから、でも、大好きな俳優を生で見たい!でも、きっかけはなんだっていい。演劇は、行かなきゃ始まらない。あなたが動かなきゃ始まらない。

私は演劇にずっと憧れているし、正直ずっと恥ずかしい。

恥ずかしいなんて、語弊があるかもしれない。
でもこれは本当にそうなのだから仕方ない。
とんでもなく恥ずかしくて、最高に尊い、最強にかっこいい。

私にとって演劇は、どーしようもないところもある奴だけど、好きで好きでしょうがない恋人、みたいな感じ。

この人、朝は起きないし頭ボサボサに無精ひげで私の友達との集まりに来ちゃうし、部屋は汚いしすぐ落ち込むヘタレだし、もうどーしよーもないんです。でもね、なにしててもなんでも面白おかしくしちゃう人で、その目線が最高。一緒にいて飽きないんです、いつもすごく楽しいし、それに優しい。私が風邪引いてたら心配してすぐに飛んできてくれたりする。めちゃめちゃいい奴です。

こんな具合だ。
どうだろう。なんとなく伝わるだろうか。

まるで夢追い系ダメ男子をほっとけなくて支えちゃうしっかり者系女子だ。(違うか)

演劇って恥ずかしい。
恥ずかしくないですか?
恥ずかしいですよね。

え?なんでみんなの前で大きな声出して怒ったり泣いたり笑ったり歌ったり踊ったり、キスしたり服脱いだり人殺すフリしたり殺されて死んだフリしたり、大人が子供になったり人間ですらなく動物とかになっちゃったり、なんで出来るの?しかも全力で?は?恥ずかしくない?

恥ずかしいんです。
いっぱい恥ずかしいと思ってください。
そしてそれをしかと見届けましょう。

だって現実では私たちが恥ずかしくて恥ずかしくて出来ないことを、大勢の前で恥ずかしげもなくやってのけるという特殊能力を持っているのが役者さんなのだから。
(役者さんはみんな元から恥知らずなわけではなく、恥ずかしい!なんて恥ずかしいんだ!というところを、数回飛び越えた上で舞台に立ってると思います。末端でお芝居を経験した身としてそこは書いておきたいところ)

様々な感情や倫理観が邪魔して行動出来ない私たちに代わって、それを身体も心も存分に使って表現する様を見て私たちは物語や感情を疑似体験したり、カタルシスを得たりする。
エンターテインメントはそういうものにお金を払っているのだと思う。

演劇は映像に比べて特に、一回一回がナマモノで「その場で起こっていること」感がハンパない。最前列にいたら汗や唾が飛んでくることもあるだろう。台詞を間違えた役者の「やっちまった」な表情が垣間見えることもあるだろう。その空間で起こっていることを劇場にいる人たちだけが共有できる、なんというか「共犯性」のようなものは、観劇のひとつの醍醐味だ。

日本で演劇って、一部の人の娯楽になっている。だからなのかわからないけど、チケットがべらぼうに高い。あ、気になる作品あるからちょっと週末に観に行っちゃお~って気軽に買える値段じゃない。子育て中の主婦である私にとって、以前は月に何本も観ていたものを年一回行くかどうかにセーブするのはとても寂しいしストレスなのだ(個人的には経済的自由度の低い主婦には学生割引ならぬ「主婦割」を声高に叫んでいきたい。シュプレヒコール!)。
ブロードウェイやヨーロッパの演劇が盛んな地域では、仕事終わりにちょっと寄っていこうかな~くらいの、もっと身近な、生活に組み込まれたエンターテインメントだと耳にする。日本ももっとそうなったら、チケット代も相対的に下がるんじゃないのかなぁ。文化的にも教育的にも国として必要と判断されているから、製作の現場に対して助成されるお金も日本とは全然違うのだと思う。

演劇って、日本ではあまり馴染みがないけれど教育的にもいいと言われている。娯楽としてはもちろんだけど、物語を体感することで人間関係について考えを深めることができたり、コミュニケーションの訓練にもなるからだ。
観るだけでもその効果はあるらしいのだけど、実際に演じることを体験するとその効果は格段に上がるのだという。

以前書いた読み聞かせについてのnoteでも少し、演劇教育について触れたので、そちらもよかったら。

私自身は演劇を経験したことでコミュニケーション能力が上がったのかはちょっと定かではない(なんならコミュ障気味だ)けれど、演じるときに必ず通るポイントである、人の気持ちの動きに敏感になったり態度の奥に隠れた何かに思いを馳せたりすることは、コミュニケーションを円滑に進めるために一役買っているのかもしれない。

このリンク先のページでは、「なぜ演劇でコミュニケーション力が育つのか」を、

その1.演劇のトレーニングは、コミュニケーション力のトレーニングそのもの
その2.現実ではない、ウソの世界
その3.舞台は一人ではできない。仲間と協力して成功するもの。
その4.リスクがあるから、向き合う。そして達成感が得られる。

以上の4つの観点から解説している。興味のある方はよかったら。

台本のある演劇もそうだけれど、コミュニケーション力の向上について顕著なのは「インプロ」と呼ばれる即興演劇での訓練かなと思う。
私自身はインプロの経験はなくインプロショーを観たことがある程度なのだけれど、台本のない即興劇では、瞬時に状況を把握し臨機応変に対応することが高いレベルで必要とされることくらいはなんとなくわかる。経験者からの言葉を聞くと特に「肯定力」(見せものとして成立させるためには相手を否定してては進まないので、とにかくお互いの出してきた球をしっかり打ち返していくことが大事)が必要とも感じた。

インプロを応用した社会人向けのワークショップもあるので、コミュニケーションに悩みを抱えている人はそんなところに参加してみるのもひとつの手かもしれないと思う(私も行ってみたい)。

話がかなり脱線した。観劇の話に戻そう。
そう、「推しを観るために劇場に行ってもいいじゃん!」という話をしたところだった。演劇コアファンにはあれこれ言われそうなところもあるけれど、ひとまず「推し」の存在に後押しされて一歩を踏み出せばいいと思う。みんな、生のお芝居はおもしろいよ!

演劇のジャンルはいろいろあるけれど、ざっくり分けると

・ストレートプレイ
・ミュージカル
・オペラ
・即興劇
・朗読劇
・歌舞伎、能、狂言
・大衆演劇
・人形劇

こんな感じだろうか。(ざっくりすぎでごめんなさい)
ストレートプレイというのは基本的に会話劇中心の、歌や踊りのない演劇と捉えてもらえればいいと思う。その中には、細かく分ければコメディやウェルメイド、最近では2.5次元なんかもあるかな?2.5次元は主にミュージカルかな?(ごめんなさい詳しくないので細かくはわからない)

思いつくだけでもこれだけあるので、今「演劇なんて」と思っている人も、行ってみたら「なんと!」という想定外のお気に入りができるかもしれない。

ここまで結構暑苦しく書いてきたので、演劇自体をちょっと引いて見ている人にはさらに引かれる結果になったかもしれない、という懸念は拭えない。
でもこれはnoteのジャンルのひとつである、好きなものを好きとただただ熱く語るという、「noteの片隅で愛を叫ぶ系」案件なのだ。どうか見逃してほしい。

さらに言ってしまえば、私はそこまで演劇に詳しいマニアでも何でもない。
(好きなジャンルが偏っている、ほぼ好きな劇団や演出家の作品しか観ない、観てる本数もたいしたことない)

でも詳しくないから好きじゃないということにはならないと思う。
詳しいひとだけがファンとして認められるというのは窮屈だ。
それぞれがそれぞれの濃度で好きなものを楽しめる(そして語り合える)世界は平和だ。ラブ&ピース。

この暑苦しい私の観劇のススメが、「ちょっと観に行ってみたいけど知らない世界な気がして一歩が出なかった」という人へ届いたら、幸いだ。

#演劇 #芝居 #舞台 #エッセイ #コラム #観劇 #コンテンツ会議 #とは

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

子供の就寝後にリビングで書くことの多い私ですが、本当はカフェなんかに籠って美味しいコーヒーを飲みながら執筆したいのです。いただいたサポートは、そんなときのカフェ代にさせていただきます。粛々と書く…!