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わたしはせいいちに恋をした。 【映画『南瓜とマヨネーズ』】

『南瓜とマヨネーズ』を観て、私はどうしようもなく、持っていかれてしまった。

原作・魚喃キリコ、監督・冨永昌敬
主演・臼田あさ美、共演・太賀・オダギリジョー

ライブハウスで働くツチダは、ミュージシャンの夢を諦めきれないせいいちとの生活を支えるためキャバクラでも働き、さらには店の客と愛人契約を結ぶことに。
バンドを脱退しスランプに陥ったせいいちとの関係がギクシャクするなか、忘れられない過去の恋人ハギオと再会し、次第にのめり込んでいく。

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ツチダを痛い女だとか、メンヘラだとか
せいいちをただの甘ったれたミュージシャンかぶれだとか
ハギオを最低男だとか(うんそれはそう)
結構そういうレビューもあったりするみたいだけれど
そんなのわかった上で、なんだよ。
わかった上で、彼らが愛しくてたまらなくなる映画だよ。

みんな現状をどうにかしたいけどどうにもならない。
そのままならなさ。
自分自身でさえ、ままならない。

溜まってしまった淀んだ想いは
丸めてゴミ箱へ捨てるかタバコの煙になって吐き出すか。

それでもいつしか溢れて、こぼれて
どうしたらいいかわからないから君に投げつける。
でもすぐに後悔するんだ。

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恋が始まるときは、きっと誰でもどこかくすぐったくて
気が付いたら勝手に上がってしまう口角を
恥ずかしいから周りにバレないようにくちびる噛んでみたりして。

迷子の誰かさん

指と指が触れたらギュってにぎって
目と目が合ったら照れくさいから笑ってごまかす。
縮まる距離に心がざわめき
私のおでごが君の顎のあたりに近づいたら
もう吐息が聞こえるくらい。

迷子の、迷子の誰かさん

当たり前になってしまった毎日を
大事にできなくなったのはいつからだろう。
わたしが見ているものと、君が見ているものが
違ってしまったのはいつからだろう。
きっとそんなの初めから違った。
違っていても、好きだったんだ。

迷子の、迷子の、迷子の誰かさん

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せいちゃん。せいちゃん。

ぼろぼろと涙を流しながら君の優しい歌声を聴くツチダを
今すぐ、今すぐ抱きしめてほしいって
ねぇせいちゃん、それは神の視点を持ってしまった観客のわがままですか。

楽屋で君の顔を見た時からもうすでに泣きそうなツチダを
平気な顔でいつも通り振舞おうとするツチダを
ねぇせいちゃん、「すげー顔になってんぞ」って言って
涙でぐしゃぐしゃのツチダのほっぺたつねって、頭を撫でてほしいって
それはツチダに感情移入しすぎた痛い観客のわがままですか。

わかってる。せいちゃんはそんなことしない。
あんな優しい笑顔で、三回まわってにゃあと鳴く、
にゃあ、、、にゃあ、、、って歌うせいちゃん。
ツチダの想いも、自分の想いも
小春日和の日差しのような柔らかいその声で、全部くるんでくれてるんだ。

まーいごの、まーいごの、まーいごの、だれかさん…

その声があれば、私は迷子にならないよ。
ずっと聞いていたいよ。
ずっと聞きたかったんだよ。
ツチダがそう言っているような気がして
勝手にそんな気がして、私も一緒に、泣いた。

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子供の就寝後にリビングで書くことの多い私ですが、本当はカフェなんかに籠って美味しいコーヒーを飲みながら執筆したいのです。いただいたサポートは、そんなときのカフェ代にさせていただきます。粛々と書く…!