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誰かと寄り添って生きていく意味 【松尾スズキ『東京の夫婦』】

どこかの夫婦は、結婚をして、夫婦になって、妊娠して、出産して、家族が増える。そんな風にトントンと、一段一段階段を昇るように家族を作っていく。
またどこかの夫婦は、結婚したら当然のように子供ができて、当然のように親になって、当然のように子育てで悩んだり夫(または妻)の愚痴を言うのだと思っていたけれど、でも実際は子供ができなかった。欲しくて欲しくてたまらなくて、心も体もしんどい思いをしながら不妊治療をしている。そんな夫婦もいる。
またどこかの夫婦は、初めての子育てに戸惑い、焦り、疲れ、互いを思いやることもできず、離れ、不安や怒りは子供に向けられ、家族という形は融けて見えなくなっていく。

いろんな夫婦がいて、その夫婦の数だけドラマがある。

子供を作らない、と決めた夫婦も、もちろんいる。

松尾スズキ「東京の夫婦」
宮藤官九郎や阿部サダヲ、今をときめく星野源などが所属する劇団・大人計画を主宰する松尾スズキのエッセイ。
51歳で31歳の一般女性と再婚した松尾さんが、結婚や離婚、子供、介護、家族、震災、生きること、死んでいくこと、そういう、人生を進めていく上で避けては通れないことを、松尾さんならではのおもしろとくだらなさと、鋭角な目線と吐き捨てる毒と、それから優しさと愛でもって、綴っている。

敬愛する松尾さんのエッセイ。夫婦に関するエッセイ。
18のときに松尾スズキという奇天烈な才能と出会って衝撃を受け、以後演劇に関するあらゆる情報を吸収し、足繁く劇場へ通うこととなり、果ては自らも舞台に立つということを選んでしまった私にとって、さらには現在、「うむ。夫婦とは何ぞや」と頭を抱えてしまうことの多い私にとって、これは必読本だった。

私は結婚して今二児の母だけれど、たまたまそうなっただけ、みたいな、どこか他人事な感覚がある。正直母親としての自信は皆無で、「自分に似てて嬉しい」、「自分の分身のような我が子がかわいくないはずがない」、そういうよく言われる台詞が、私にはわからない。
私は我が子の自分に似てる部分を見つけたら、気分が落ち込む。私は子供を産んでよかったのだろうか。私なんか人の親になるべきじゃなかったんじゃなかろうか。そういう地獄の問いかけに絡めとられて身動き取れなくなることがある。

松尾さんは言う。

僕らは、「子供を持たない」という約束の下、結婚した。
これは、主に僕の精神的欠落によるものである。
自分の遺伝子を持って生まれてきた子供を育てる、という、まあまあ、まっとうな人生に、まったくポジティヴなビジョンを見いだせないのである。

嗚呼、松尾さん、そうなんだ。私もなんだ。
子供がいる人間でも、これ、わかります。わかりみが過ぎます。
松尾さん、そういう人、結構いるんじゃないですかねって、私は言いたい。
それでもなんとかやってますよーって。
でもしんどいですわーハハハッ、って。

おのれが正しくない。という劣等感を持った人間を、それでも「ともに一生を過ごす相手が望まない子供を産んでも仕方ない」という理解の仕方を持ってM子は受け入れてくれた。その欠落を受け入れてくれたこと。それが僕とM子の結婚の背を押した。一番押した。間違いない。

泣いた。マジ泣きした。

自分の欠落を受け入れてもらえること。
それでも一緒にいたいと互いに思えること。

もう、これなんじゃないかと思う、正解は。
夫婦になる意味。誰かと寄り添って生きていく意味。

でもこれ、こうやって互いに思いあえる相手を見つけられること、それって、もう、奇跡とニアリーイコールだと思う。ほぼ、奇跡。

そういう奥さんと共に生きている現在の松尾さんのエッセイは、これまでよりも角が取れて少しだけまあるくなったような、これまでなら毒々しさで包まないと読者に差し出すことのできなかった松尾さんの優しさが素直にぴょん、と顔を出したような、そんな幸せなエッセイだった。

こんな奇跡を手に入れること、信じられないと思う人もいれば、「うちはそうだわ」ってあっさり実感する人もいるだろう。

信じられない、と思う人。ね。
そんなの無理に決まってる、って。思ってしまうの、わかる。
結婚してるもしてないも、子供がいるもいないも関係ない。
望むらくは、いつかそんな奇跡を手にできたら。

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