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遅れてきた青春 【映画『幕が上がる』】

青春、と言われて思い浮かべるのはなんだろう。

やっぱりまずは部活かな。スポーツ、音楽、部室、体育館に校庭。
人気のない校舎に響くブラスバンド、坊主、夕暮れ、泥にまみれたユニフォーム、帰り道のガリガリ君。
友達と別れて抜け道に自転車を走らせたら、遠くに君の後ろ姿。隣には人気者のバスケ部キャプテン。
知らなかった。見たくなかった。回れ右をして遠回りして帰ろう…

くー、甘酸っぱい!

あれ。ちょっと悪い癖が発動して妄想が暴走したので軌道修正しよう。

青春っていうと、やっぱり10代の、高校生前後の、部活やら初恋やら学校生活やら失恋やら、そんな話が多い気がする。
じゃあなにか?高校時代の話じゃないと、青春と呼べないのか?

否…!

否でしょ?否だよね?
I・NA・DA・YO・NE?
(若い人はDA・YO・NEを知らない)


青春なんてもんは、そりゃあ若さも大事かもしれないけれど、それだけじゃない。
後に、あの頃のあの感覚はもう戻ってこない、戻ってこないけれど、自分の人生にとってかけがえがない、他に替えが利かないほどキラキラしていた(外見じゃなくて心がね)、そう思い返さずにはいられない、そういう時期のことを言うのじゃないか。

映画「幕が上がる」
原作平田オリザ、監督本広克行、出演ももいろクローバーZ
弱小高校演劇部が、元「学生演劇の女王」である新任教師(黒木華)と出会うことで全国大会を目指すようになる、ひと夏の成長物語。

散々「青春に年齢もクソもねえ!」って吠えてたのに(そこまで言ってない)、ドンピシャ高校生の話でごめんなさい。

これは本当に、THE・青春映画。物語の登場人物たちも青春真っ只中なら、演じているももいろクローバーZも真っ只中。
彼女たちは実際に平田オリザさんのワークショップを受けて演技の勉強をしたとのことで、そこらへんが新任教師にしごかれて演技がうまくなっていく演劇部員たちとリンクしていて、作品にリアリティを持たせることに一役買っているように思う。
彼女たちは笑ったり泣いたり怒ったり、ひとつひとつの感情に一生懸命で、可能性を信じていて、心がまっすぐで、笑顔が眩しい。青春というパズルのピースとして完璧。

で、かく言う私ですが(オバサンが度々出てきてごめんなさいね)、高校時代はそんなキラキラした時間まったく過ごしてない。
ただなんとなく学校行って、なんとなくバイトして、なんとなく恋をして、なんとなく楽しんでいた。
そういう日々が悪かったとは思わない。思わないけれど、思い出しても苦々しいことの方が多い。

そんな私の青春はいつか。それはたぶん、20代前半にお芝居の世界に足を突っ込んだ頃のことだと思う。
無謀だったかもしれない、でもやりたい気持ちが勝った。
そうしてその場所にいたとき、いつもいつも、心臓が飛び出そうなくらい緊張して、下手くそな自分に落ち込んで、自信がなくて、泣いて、でもそれ以上に笑っている時間の方が圧倒的に長かった。
結局のところ、私は何も成し遂げられなかったし何者にもなれなかったけれど、それでもあの頃のことを思い返すと、ヒリヒリとした繊細な感覚と、ワクワクして鳴り止まない胸の音が蘇る。
それは間違いなく、青春と呼ぶに足る体験だったと思う。

映画「幕が上がる」を観たとき、私の青春が、完全に蘇った。
彼女たちの懸命さと、あの頃の自分の懸命さがリンクして、もうビンビンに共鳴してしまった。
もちろん演劇経験者だから、という欲目はあるだろう。しかしそれを差し引いても、観た人の胸に何か込み上げるものを連れてくる、観た人の心を揺さぶる、青春映画になっていると思う。

お芝居は熱量だ。そこで起こっていること、その熱量を感じられることが、お芝居を観る醍醐味なんだと思う。
「幕が上がる」には、熱量があった。そこには青春を生きる、高校生がいた。
ほんの一瞬の輝きであるからこそよりいっそう尊く、よりいっそう眩しい。

「私たちは、舞台の上でなら、どこまでもいける。」
平田オリザさん、最高の台詞です。

彼女たちのひと夏の挑戦は、きっと観る人に元気を与えてくれるはずだ。

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