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プリンセスになれないのに‥

 プリンセスウェールズの話題が(多少遅ればせとはいえ)飛び込んできて、思わず動画で内容をチェックしていた時に、ふと浮かんだメッセージ‥「プリンセスって誰もがなれる存在ではないのに、(近年の先進国と呼ばれる西欧に住む?)女の子誰もが一度は憧れさせられるよね?」事実自身が親になった時ですら、和多志は我が娘にプリンセスドレスを当然の如く着せたりしていた。当の娘は実際全くそんなものに興味すら示さなかったのに‥。まるで洗脳されていたかのように「娘はキラキラドレスが着たいはず。ティアラのようなヘアアクセサリーが好きなはず。」と、よくハロウィンの仮装ドレスを手前勝手に選んでは何も分からない幼い娘を着飾らせて「母として」自己満足していたものだ。

 驚くほどの洗脳社会‥。不謹慎という思いがよぎりつつ和多志の俯瞰視点は止まらず‥翻って、日本の皇室と呼ばれる存在も果たして今の日本に絶対必要なのか。 眩いばかりの豪華絢爛なティアラを頭上にあしらった〇〇様と呼ばれる日本の姫君の存在は、正直何のためにあるのか。 彼らは和多志が生まれる前から存在した歴代の由緒正しき人々の末裔や縁者たち。現プリンセスウェールズも同じく。それは即ち歴史が作り出した幻影に過ぎないものを、一般民である和多志たちが生まれ落ちた時から「崇め奉り、憧れ、敬う」対象として教育=洗脳されてきた存在に過ぎないのではないのか。これこそ「王室・皇室宗教」と呼べるものではないだろうか。彼らの生活を実際に支えているのは他でもない國民なのだから。

 彼ら(高貴とされる存在)が訪ねる先々で、庶民は感動し、時には拝み涙し、なんて尊い存在なのだと更に彼らへの信仰や敬愛を深める。コロナ前の和多志も、一時は元天皇皇后両陛下(現上皇さまご夫妻)の各地慰問先のお姿に感動することもあった。でも、今はもう彼らに象徴されるこの世の「階級」社会にうんざりしている。彼らは彼らのドラマを満足気に、時に辛そうに演じている演者たち。それでいいのかもしれない。彼らはそれを経験するためにこの世界にやってきた魂たち。そして、和多志たち庶民の一部は、もう彼らを今まで通り崇め奉る「宗教」をやめると決めたまでのこと。宗教を信仰するもしないも自由なのだから。國民が王室・皇室に永続的に仕えなくてはならない義務はどこにもない。

 今後時代の流れと共に、彼らの公金生活にもいずれ終わりが来るであろうと考える。血筋・血統で人々が選別、優遇される世界線に和多志はこの先住まないと決めたので、そういう「分離・階級・優勢思想」の世界線が好きな人だけ彼らのために貢ぎ続ければ良いと思う。和多志にはプリンスもプリンセスもいらない。ただ大好きな人たち、心温かく優しく利他に溢れた精神的に高貴な人たち、横ならびで誰もが公平に豊かさを享受できる世界で和多志はこれから生きていく。誰も崇拝しないし、誰にも膝まづかないし、盲目的に尊敬もしない。和多志に必要な人しか世界線に存在させないことを自分に誓おう。その場限りの握手や短い言葉がけで無条件に涙するような存在は、和多志にはいらない。何の価値もない。

 皆が氣づいたほうがいい。自分自身の存在の尊さとその能力の高さを‥。一部のとびぬけた富裕層や貴族皇族、教祖や大起業家などが最高最上の高待遇でこの世を渡りゆく姿を目にしつつ、それは和多志たち庶民の憧れの対象では決してないことも。それは愚かしい幻影の人々の姿である。彼らは我が身を「天上界に住む何もかも認められ赦されもする特別な存在」とでもみなしているようであるが、和多志の目からはすでに「砂上の楼閣に住む哀しい薄羽カゲロウたち」にしか見えない。もう彼らを無意識的に支えることはない。もう彼らを特別視することもない。そしてもし彼らに赦される罪があるとするならば、和多志たちには自分たちの無限の能力や存在の奇跡、そしてこの世の真理を見出す権利がある。

 なれないとわかっている「プリンセス」に憧れさせるこの幼稚で邪な洗脳文化はまもなく終わりを告げる。全ては、彼ら哀しき存在たちの目論みであったことに、今多くの穢れなき魂たちは氣づき始めている。そこに分離や諍いはなく、恨みつらみや憎しみといった負の感情もない。彼らは彼らでこれまで通り勝手に生きて行けばよい。支えたい取り巻きたちがいるのなら、彼らにとっては幸いであろう。ただ賢明かつ浄化された清らかな魂たちは、その穢れた存在たちにこの先一切加担することなく静かにその次元から立ち去るのみである。彼らから、やがて和多志たちの存在は消えてなくなり、見ることはもとより触れることさえできなくなるのである。さぁ今こそ「神は我が身(我神)」と氣づき次元上昇せよ。

 

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