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強く、賢く、そして優しく

 いつの頃からか、和多志は自分に言い聞かせるような「理想の自己〜三箇条」を胸に秘めるようになっていた。そう言えば亡き母がかつて生まれた和多志を命名した時のエピソードを語った際に、「稲穂」のようにしなやかで強風にもポキッと折れない強さをもつ人となるように‥との思いを込めたと言っていた。今更ながら、母よ‥素敵な名前をありがとう。

 和多志が求めた「強さ」‥今思うに、これは「勇気(Courage)」ではないかと…。とはいえ幼い頃から曲がったことが大嫌いな性分で、そのせいでこれまで随分と他者と対立したり避けられたり陰口を叩かれてきた。小学生時代には「あからさまな仲間外れ」にもあったが、当時の和多志は特に深く気にせず不登校児になることもなかった。また裁判官になりたいと切望した時期もある(苦笑)。

 「賢さ」については…和多志は自身が「愚か(馬鹿)者」に成り下がりたくない…という強い思念を長らく抱き続けている。‥と同時に、周囲の「愚か(馬鹿)者」と一切関わりたくないとも。それは「知(識)的に優位でありたい」という意味ではなく、人としての「智慧をもち」「智慧ある人々と人生の豊かさをシェアする生き方」を意図している。つまり「智慧(Wisdom)」である。

 「優しさ」はもちろん「他者への思いやり」。ただこれも今現在の自身としては「自他への思いやり」に変換済みである。自分への優しさが最優先で、その優しさが溢れ出た分を他者へ循環させていくのである。そして、これは単に「優しくする」行為そのものを示すのではなく、「優しさをもって接する」つまり「深い共感(Compassion)」にその本質をアンカーするものである。

 実はこれら三箇条には、自分なりの優先順位がある。タイトルの語順通りに、①強さ②賢さ③優しさと続く。これはもう、無意識レベルでの魂の望みとでもいうべく…摩訶不思議な個人的嗜好としか言いようがない。たとえ賢さと優しさを失っても強さだけはせめて失わずに生きたいと思う我がスピリットと言う訳だ。万一優しさを知らずとも、勇気と智慧は手に入れたいとも思っているらしい。

とは言え…3箇条全てを兼ね備えた自己像が理想であることに異論なし(笑)。

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