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「午後の紅茶」の思い出

人の記憶ってすごい。
昔のことを思い出してほんわかした気持ちになったり、幸せな気持ちになったり、逆にありありと思い出しすぎて怒りの感情が増幅されたり。
ずーっと昔に聞いた曲を思い出して、その当時の状況を思い出したり。
普段は特に思い出すことはないが、ふとしたことがきっかけで頭の奥底に眠っていた記憶が呼び覚まされるということはよくある。

このあいだ、ふと立ち寄ったコンビニで飲み物を選んでいると「午後の紅茶」が目に入った。
大人になって紅茶をストレートで飲むことの良さを覚えてからは、もっぱら無糖のストレートティばかりを購入している。「午後の紅茶」も数年前から無糖を発売し始めたようで、私もかなりお世話になっている。冷たいのにとても新鮮なアールグレイの香りが残っていて、結構お気に入りである。

しかしその日は、昼食を食べ損ねた上、これから出先で1時間ほどミーティングをすることになっていた。このままでは頭は動かない。少し糖分が欲しいなと思い、いつもの無糖ではなく、赤いパッケージのストレートティーを買うことにした。
実はこのストレートティー、20年近く飲んでいなかった。なんとなく良い思い出がなく、今までずっと避けていたのだ。


この赤いストレートティーには私が小学生の頃に大変お世話になった記憶がある。

教育熱心な母親の元で育った私は、小学校3年生から卒業まで進学塾に通っていた。5年生くらいになると受験勉強が本格化し始め、母親が車で学校まで迎えに来てそのまま塾に行くという生活を送っていた。塾に向かう車の中でパンやおにぎりを食べて、17時からの塾に間に合わせる。
その時にいつも用意してくれていたのが、この赤い午後の紅茶ストレートティーだった。本当はミルクティーの方が好きだったが、「どんなパンにも合わせやすいから」と母親はいつもこのストレートティーを買ってきた。

いつもなら避けるものを、今日はなぜだろう、なんだか買ってみたい。
好奇心が勝ってしまい、私はとうとう18年ぶりに赤いパッケージの「午後の紅茶」を購入した。


コンビニを出て、さっそく飲んでみた時のことだ。

ペットボトルの蓋をあけるなり、懐かしすぎる甘い香りが爆発的な勢いで脳まで届き、目の前がチカチカっと白く光ったような気がした。
びっくりしながら一口飲むと一気に紅茶の香りが身体に充満する。身体の隅々までその香りが駆け廻り、軽い衝撃を受けた。そしてすぐに、胸のあたりがきゅーっと締め付けられるように苦しくなった。

あの頃の、塾に行きたくなくて仕方なくて憂鬱だった気持ちが、そしてこの紅茶を飲むときの車の中の光景が、まるで走馬灯のようにぶわっと蘇ったのだった。
眠っていた何かが目を覚ましたような、なんだか生々しい感覚がした。

怖い先生もいた。テストもまったく出来なかった。
意地悪なクラスメイトもいた。
宿題も全然終わらなかった。
塾のかばんは毎日重くて、それだけで大変だった。
休みたいと言っても休ませてもらえなかった。
受験勉強の毎日が本当に本当に憂鬱だった。

それでも毎日この紅茶を飲んで、私は塾に通った。


紅茶の香りで思い出したものは、やっぱりそんな良い記憶じゃなかった。
でも、今まで無意識のうちに蓋をして、記憶の奥のそのまた奥にしまい込んだ、大切な私の一部だった。

そうだった、そうだった。
私はこうやって、あの頃から生き抜いてきたんだった。


二口めには、もうさっきのような衝撃はなくなっていた。
懐かしい味わいがのどを通って胃まで届く。甘くて、冷たくて、すっきりした液体が、空腹だった身体に染み渡った。
なんだかちょっぴり新しい自分になった気がして、私はまた一歩踏み出した。

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