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羅生門の鬼と出会った日

鬼気迫る祖母の語り、「羅生門の鬼」


母は病弱だったので、たびたび入院した。幼いわたしを実家にあずけるとはじめて、母は安堵して入院できた。その実家では母が退院するまで、祖母がわたしの母役になる。実は祖母は芸達者なストーリーテラーだった。いろいろなレパートリーがあったが、その中でわたしが最も気に入ったのは「羅生門の鬼」だった。子供は怖い話が好きだが、それは祖母の演出がリアルでついつい話にひこずりこまれるからである。

その話とは、大江山の鬼退治で名を馳せた源頼光四天王のひとり、渡辺綱の「羅生門の鬼女退治」だった。羅生門で渡辺綱に腕を切り落とされた鬼が、綱の乳母に化けてその腕を取り返しに来る。しかし綱が見事にその鬼女の首を取って退治したのは、謡曲『羅生門』の物語にある。老婆と化かした鬼が腕を取り戻しにくる場面は、謡曲『茨木(いばらき)』にも登場する。この2つの話をうまくミックスしたものだ。しかし、そもそもは『今昔物語集』巻第29第18に登場する。ある盗人が門の上で死人の髪を盗んでいる老婆を見つけ、その老婆の衣を奪って去るというストーリ。芥川龍之介の作品『羅生門』は、その逸話をモチーフにして創作された。

祖母はこの話が大得意で、何度も何度も聞いた。5人の子供を育てる間に語りのトレーニングを十分に積んでいるので、話しっぷりは自然だ。話りは小道具片手に慣れた口調で演出しながら語る。すでになじみになった話なので、最高に盛り上がるところに差し掛かると、先回りして「△△△!」と叫ぶ。しかし祖母は動じない。祖母は語りに絶対的な自信をもっていた。最高に盛り上がるシーンでは、真近くまで顔を寄せて、わたしに「ドーン」と衝撃を与える。だから何度も聞いて話の展開を知っていても、怖いシーンになると「怖~い」と言ってしまう。祖母は大満足だ。その話を聞いた日、わたしは決まって鬼がわたしを食べようと追いかけてくる夢にうなされた。

時代が経過し、祖母が亡くなり、母も90年代に亡くなった。成長したわたしは、留学や海外赴任につき、帰国してからは東京の仕事があり、長く京都を離れていた。しかしある時、幸運にも京都に職を得て、久しぶりに戻った。着任する前になじみの地域を歩き、離れている間に変わってしまったことに衝撃を受けた。祖母や母が生きていたら、どんなに心を痛めただろうか。そんなことを考えながら歩いていると、ここは羅生門ではないか…。

羅生門復活、兜跋毘沙門天像が京の都を守ってくれる

今の羅生門は小さな公園に小さな碑があるだけだった。平安京では都の表玄関として建てられたりっぱな「羅生門(羅城門)」があったが、約1000年前に失われたといわれる。ここは楼上から憤怒の形相で都に邪鬼を入れぬよう兜跋毘沙門天像が守っていた。その後、兜跋毘沙門天像は東寺(教王護国寺)の金堂に移されたと伝わる。

かつて「羅生門」には、京の都をまもる兜跋毘沙門天像があった。平安京のメインストリート、朱雀大路の最南端に位置し、東西に延びる九条大路(現・九条通)を境界として平安京の内と外を分ける門だった。当時の都人は、この羅生門から一歩足を踏み出すと「異界」で鬼がいるところだったのだ。今の京都を見ると、わたしが祖母や母から聞いていた京都と違っていると感じる。本来の京都を取り戻すために「羅生門」を復活させなければ!兜跋毘沙門天像にも、羅生門に戻っていただき、京都の町を見守ってもらいたいものだ。

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