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それでも植物園の「実質公園化」は止まらないのか?

「草の根民主主義」という言葉がふと浮かんだ。北山エリアの住民説明会に参加した。大きな組織のもとかき消されがちな現場の声を、住民が代弁してくれていると感じた。有り難かった。
それでも止まらない、止まれないのが行政…この数時間さえ乗り切れば次に進める…そう思って罵声を浴びながらあえて馬鹿を演じてみせ、やり続けるのが行政。そもそも罵声は浴びせられ慣れている…。登壇しているのは「事務屋」さんばかり。植物園と公園の違いをわかろうとも、わかりたいとも思っちゃいない。無理解、無関心という名の暴力。このまま続くのか?公有地が民間に刈り取られる時代が始まっている。果たして「植物園の実質公園化」はこのまま止められないのか?

ここで止められなければ次は有識者懇話会。どんなメンバーをそろえてくるだろう?

一昨年2019年の「開園100周年未来構想委員会」を思い出す…いやまったく期待できない。当の府立植物園園長は発言が許されず、職員も少数の希望者のみ見学が許されるなか、植物園関係者といえば名古屋市東山植物園長のみ、その他そもそも「花の多い公園」と植物園との違いがわかるとは思えないメンバーが「まずはトイレをきれいにしないと」なんて植物園の本質とは一切関係のないことばかり年度末に大急ぎで話し合って終わった。もちろんトイレはきれいに越したことはない。でも植物園にはそんなことよりも大切なミッションがある。

「お上という曇りガラス」に私たちは馴らされてしまっている。その向こうで物事が決まることにも馴らされてしまった。声をあげることもなく諦めただ日々のタスクをこなす人、ことの成り行きを眺めて面白半分にコップの中の人事にふける人、長いものには巻かれるだけという人…

もし以前と比べ時代状況が変わってきているとすれば、それはネットとともにあらゆる情報を隠しきれなくなってきたこと。可視化されること。嘘が即座にばれること。もし100年続いた植物園を守れなかったとしたら⁈ここで公園になることを止められなかったら⁈そんなことは考えたくもないが、後世への説明責任は当然私自身にもふりかかる。せめて、今のうちにできるだけのことをしたい。

よろしくお願いします

※2021.11.8 「北山エリア整備基本計画」「京都府立植物園100周年未来構想」「植物園整備検討に係る有識者懇話会(仮称)」に係る説明会(府立京都学歴彩館大ホール:定員400名)に参加して