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11.トラウマとの付き合い方・・・失敗から学ぶ姿勢

はじめに

皆さんは過去に何か辛い思いをしたことがありますか?

そう・・・だれでもそれなりに「辛い思い」はあると思います。過去における心の傷を「トラウマ」と呼ぶことはご存知だと思いますが、これらの経験は、他人には些細と思われても本人には辛く感じることがあるのです。

実際に心に残る傷が癒えず、思い出すと身体的な動悸やめまいなどの発作が生じることがあります。これは、本人にとっては非常に辛いことで、症状の軽重にかかわらず、過去の過酷で困難な体験によってこれらの症状がもたらされていることは間違いありません。

今日は、トラウマのメカニズム、そしてその解消方法などについてお話しましょう。

疼痛との関連

 少し専門的な医学的お話から入りましょう。僕は心療内科とリハビリテーションも専門なので、心理学領域における理解と身体の障害を克服していく過程についてある程度の知識を持っています。

そこで、外傷という観点から、痛みについて最前線のお話をしていこうと思います。心の痛みと身体的な痛み、そしてトラウマが、実は、もう一つとても重要な痛みとリンクしていることについてお話をしていこうと思います。

痛みの多面性

 人は身体の外傷的な傷だけではなく、心の傷によっても痛みを伴うのですが、「トラウマ」については、もう一つ<あたま>に残された記憶の傷も関与していると考えてよいでしょう。

ここで、簡単な図をお示ししましょう。

このように、痛みには多面的な要素があるのです。

それが、

感覚-識別の[からだ]の痛み

情動-意欲の(こころ)の痛み

認知-評価の<あたま>の痛み

の3つです。それぞれ次のような役割があります。

[からだ]の痛み
[からだ]の痛みには、身体が痛みを感じる痛みの場所、強さ、持続性など、痛みの種類を識別する痛み感覚です。これは、感覚器官としてのセンサーの役割ですね。

(こころ)の痛み
そして(こころ)の痛みには、怒り、恐怖、悲しみなど、痛みによって急速に引き起こされた感情の変化、不快感に関与します。これが、心理的な情動の変化を司るセンスです。

<あたま>の痛み
最後に、<あたま>の痛みといっても、これは単なる頭痛とは違います。過去に経験した痛みの記憶、注意,予測などに関連して身体にとっての痛みの意義を分析、認識します。これをセンスィティビティーとしましょう。

トラウマとは

 トラウマは、一般には心的外傷といいます。しかし、このように外傷による痛みの多面性を意識すると、トラウマは(こころ)だけではなく、<あたま>も関与していることが分かります。

特に<あたま>の関与は重要です。<あたま>は、記憶に関係して過去の出来事を印象的に把握する能力を持っています。

そして、(こころ)はその時の記憶に残る感情や情動を保存しています。これらを共に保つラインが<あたま>と(こころ)の境界ラインです。つまり図中では、赤い部分と緑の部分の間、ということになります。

動作の3段階

 認知から行動に至るために心理学や脳科学で考えられている「動作」の流れがあるのですが、こちらは、知覚→概念化→実行で、動作の3段階というものです。

実は、この構造は痛みの多面性と同じように見立てることができます。
つまり、それぞれ

実行する[からだ]が青

知覚する(こころ)が赤

概念化する<あたま>が緑

のフィールドを表します。

 トラウマの原因が、例えば身体的虐待行為にあるとすれば、[からだ]からの痛みが知覚され情動に及びます。虐待でも「言葉の暴力」といいますが、この場合は認知-評価の概念化から知覚の情動に及びます。

いずれにしても最終的に(こころ)に情動が保存されることから、心的外傷という名称があるのです。

いかがでしょうか。

ちょっと重たいお話でしたので、後半は少し気分を切り替えて、トラウマとの付き合い方についてお話しましょう。

工作の3段階

 心理とか医学とか堅苦しいことは抜きで、少し気軽にお話したいので楽しいことを考えたいですね。

僕は工作が大好きで、何かを作っているときはとても幸せです。といっても最近はあまり時間をとっていないので作品は少ないのですが、子供も小さいので、時々一緒にペーパークラフトなどを作ってます。男の子なのでやっぱり車が多いかな・・・。

これは、最近、上の子と一緒に作った自作のペーパークラフト。

これは下の子が3歳になったときにプレゼントした小さな自動車。

工作をするとき、最初にすることは、こんなものを作りたいなぁ・・・という考え・・・。

と言いたいところですが、最初に「ある」のは工作が「好き、」という情動や感覚ですよね。これを「ある」べき感情として、存在の(be)でもいいでしょう。そもそもこれがなければ始まりませんね。

それに「作りたい」という意欲や意志(will)が伴います。

あるいは3歳の子供の誕生日に作ったものは、手作りのものを何か「作らねば・・・」というマスト(must)感覚に近かったかもしれません。

次に、はじめて考えるという<あたま>の概念化段階に入ります。どんな物を作るか「アイデア」を練る「良い案」を考え、ほんとに「作るれるか?」(can)という具体的な思案立案の段階になります。

ここから実際に作ってみる。実際に行動に移す意志「作ろう!!」(will)感がより強まるわけです。

ここで、「動作の3段階」に加えてもう一つご説明しましょう。

「コトバ」と「ナイフ」と「のり」

 これも全く同じことなのですが、何かを作るとき必ず計画を立てます。
どうやら、僕にとって前回お話した「スケジュール」と比較すると、こちらの「計画」の方が自分にとってはとても楽しいことがわかります。時間軸の直線的な考えが今の自分にはあまり馴染まないのでしょう。

何かをつくり上げることだけに特化して「計画」を立てることは実に「好き」なことなのです。

この後、第13問「やりたいことがみつけられないとき・・・その時に」でこの辺の「好き」という感覚についてお話していきますね。これって結構大切なのです!

チョットお話が脱線しましたが、この「工作」の流れは、3つのキーワードがあります。

それが、「コトバ」と「ナイフ」と「のり」です。

物を作るとき、必ず頭の中で「概念化」をします。このとき頭の中では「コトバ」を使って考えます。コトバ自体も概念化の産物ですから物事を分けることに他なりません。

先ほどの「言葉の暴力」は、実は「ナイフ」と同じものです。「ナイフ」としての役割は切れた方がいいのですが、その使い方で「メス」にもなるし「ドス」にもなります。

言葉も同じです。言葉には善悪はありません。それを使う人の心根に依るものです。

切ること自体は、善悪はないのですが、どう切るのか、あるいはどう切られたか、という相互の関係から感情が生まれてきます。

名工は「二度測って、一度で切る」というように、乱暴なことはしません。とにかく丁寧に慎重に測り、切る時は迷いなく切る。

要は、コトバは丁寧に慎重に、その意識の上で大胆な行動が成り立つということです。

下の図は、今朝の「禅定」のあと「瞑想」して思いついたことを、僕の思い付きノート(ホワイトノートと呼んでます)に描いたものです。

双葉の絵と台地に根差す根が書いてあります。

その隣に六角形が描いてありますが、左が「コトバ」、そして右が「ナイフ」です。その下の菱形、これが「のり」。貼り付ける「のり」です。

これに、先ほどの動作の3段階を重ねて思い出していただくと良いでしょう。

「コトバ」も「ナイフ」も切り刻むことをします。刻んだ大切な材料をくっつけていくのが「のり」です。

「のり」は(こころ)

「コトバ」は<あたま>

「ナイフ」は[からだ]

修復作用の役割は「のり」しかありません。そして「のり」はベースにあり、台地と同じです。

大地が揺れれば、動揺する「不安」になるのが当たりまえです。しかし、そこは(こころ)の大切な心根を根差していく場所でもあるのです。

どうしたらこの「のり」を強化できるのか。やはりそれが「トラウマ」と付き合う方法にヒントをくれるのではないかと思います。

今回のお題が「トラウマとの良い付き合い方」となっていたのですが、この姿勢はとてもいいと思います。「良い」という考えが<あたま>と(こころ)のギャップをなだめてくれるキーワードになるからです。

このノートの中に、有意味性、理解(把握)可能感、対処可能感という三つの語彙があります。

これは社会学者「アーロン・アントノフスキー」という方が提唱した「健康創生論」の中に出てくる調査の結果でSOC感覚(Sense of Coherence:首尾一貫感覚)といいます。

困難なことがあっても自分の人生に生きがいがあると思える人達が持っていた感覚です。

それが「レジリエンス」に関係していることは言うまでもありません。

この関連はこれからの「プレトーク」でもたびたび出てくると思います。そして、これが、僕の「研究」、「こころの立体モデル」の仕事の一部です。

明日は、「整理、整頓を上手くする」、実はこれも「トラウマ」の解消と関係するのです。お楽しみに。

本日も最後までお読みいただき
誠にありがとうございました。




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