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富の循環 第一回 お金の本質(7641文字)

マガジン内、有料コンテンツの『富の循環』の
内容の一部をご紹介  

 マガジン内、有料コンテンツの『富の循環』の内容の第一回を期間限定でご紹介します。倫理的立場から、あるいは生命の立場から、「富」についてあらたな切り口で語ります。

目次

豊かな生活とは   

はじめに

第一回 お金の本質
1)「お金」の姿
2)「お金」を成すもの
3)「モノ」「ヒト」「カネ」 の関係
4)「能力の表現」とは
5)「お金」との向き合い方

第二回 お金の指向性
1)「お金」の役割とは
2)言語とお金と心情のクワドラント
3)言語情報と心情の関係
4)富の采配
5)文法とクワドラント 

第三回 内なる錬金術
1)「内なる錬金術」マインドの核心
2)「錬金マインド」の「マインドセット」
3)「錬金マインド」を開くもの 
4)「金持ち父さん貧乏父さん」クワドラントの単純な態度
5)「内なる錬金術」を身に付けるとは 

第四回 錬金術と打ち出の小槌
1)打ち出の小槌を振る前に
2)錬金術師と打ち出の小槌
3)「錬金マインド」を身に付ける
 ①ネガティブな感情にヒントがある 
 ②胸キュンの境地にヒントがある

第五回 価値の創造 
1)「幸福」とは
2)「豊かさ」とは
3)「富」とは
4)「幸福」と「豊富」の境界 ―「裕」―
5)『金持ち父さん貧乏父さん』クワドラントと四つの文字
6)中心へのアプローチ

第六回 美徳の教え 前編
Ⅰ.前半ダンマ 内部の状態
Ⅱ.後半のダンマ 取るべき行動

第七回 美徳の教え 後編
Ⅰ.前半ダンマ 内部の調整
Ⅱ.後半ダンマ 内部外部の境界の調整

第八回 錬金マインドと小槌の効能
1)「富」を引き寄せるアイテム
2)身体の「錬金術」
3)「抗酸化」という「錬金術」
4)陰陽五行の「金」の力
5)叡智の結晶「錬金マインド」を起動する
6)小槌が振られるタイミング
7)「錬金術」と「小槌」の種明かし

第九回 『富』とビジネス
1)『富』へ至る道とは
2)ビジネスの定義
3)不労所得の課題—本当の『富』とビジネスの真意を探る—

第十回 富の構造
1)全ての入り口は「自覚」から
2)「マインド」の浄化
3)「循環」とは
4)「マインド」の三つの嗜好性
5)豊さと富に向けて「シントロピー」の考え方
6)「富の力」と「循環の能力」



 私たちが、今後持続可能な社会を構築するための本当の「豊かな生活」とはいったいどんなスタイルであるのか、そして、そもそも「豊かさ」とは何か、それを支え担うものは何か、このような問題について考えていきたいと思います。

 この『富の循環』では、経済学を中心とした社会システムの構築論とは別に、人生における意味や生きがい、個々人の本当の意味での成熟を促すような気付きとはどのような事なのかを中心にお話をしていきます。

 『富』の一端を担い経済構造を支える『お金』というシステムを考え出した私たち人間社会が「豊かな生活」へと進むべき鍵とは一体何かを倫理的思慮や道徳的観点から検証していく予定です。 

 「人生のスキルとは何か、仕事上で必要なビジネススキルや豊かな生活、そして人生とは何か」についてより良く生きるための方法を解説していきます。

コンテンツについてのご説明
はじめに、note コンテンツ『富の循環』についてご説明いたします。

このコンテンツの発想は、当研究所の研究のメインテーマでもあります、『こころの立体モデル』から導かれています。

これからnote にてシリーズ化される内容も、ほぼ『こころの立体モデル』から生み出されているといっても過言ではありません。

『こころの立体モデル』については、それぞれのシリーズで触れております。詳細につきましては、今後、コンテンツ内に配信して参ります。

この度は、ご興味をお持ちいただき、誠にありがとうございました。

それでは、内容をお楽しみください。

※内容更新情報

更新個所を下に順次記載いたします。

令和2年11月5日 富の循環 第二回 お金の指向性 2)言語とお金と心情のクワドラント の図に動画を加えました。
令和4年2月9日 富の循環 第一回 お金の本質 1)お金の姿 「交換経済」の原理だけでなく「信用経済」の原理からも考察を追加しました。




はじめに


 さて今回から、『富の循環』についてお話して参ります。私は経済学者でもありませんし、金融関係に強いわけでもありません。ファイナンシャルアドバイザーの資格もありません。それこそ現代における『お金稼ぎ』についての知恵やスキルは持ち合わせていません。

金融リテラシーが叫ばれる昨今。そもままでいいの、とお考えになっている方も多いことと思います。確かに、法的なことや金融の仕組みを学ぶ姿勢は大切です。これをするにあたって、と申し上げた方がいいと思いますが、では、何のために「お金」を稼ぐのか。このソースは、この原点に返るこころみといってよいでしょう。

「お金」を稼ぐという直接的な目的の前に、本来の「お金」の在り方を再認識し、本質的な「お金」と向き合う学びを通して「お金」への意識を変えることで人生の生き方も活かし方も変わる、と進言したいと思います。

お金は、いろいろな捉え方があります。お金は「資産」、お金は「富」、お金は「天下の回り物」、お金は「貧富の差を生む」、お金は「嘘をつかない」、お金は「愛」、お金は「穢(けが)れ」、「お金で買えないものは無い」「金の切れ目が縁の切れ目」など。

「お金」は生活には必要不可欠ですし、私たちの経済を担っているのは基本的に「お金」です。「お金」に困らない生活は、貧困に喘ぐ状態でなくても「あれば便利」というのが一般的な感覚で、できれば経済的に自由になり、一生お金に困らない生活をしてみたいと誰もが思うはずです。

そこで、本質的な「お金」と向き合うために、今回のマガジン『富の循環』では、お金が生み出された仕組みから、お金の価値、そして、そもそも「お金」とは何によってもたらされ、お金の本質的な使い道とは何か、持続可能で拓かれた社会に向けた、本当のお金の在り方とは何か、これらのテーマについて、話を進めていく予定です。

この得体の知れない「お金」ですが、はじめに、そもそも「お金」とはどのように生み出されたものかを紐解いていきましょう。

1)お金の姿


 先ほどお話したように、「お金」には様々な印象があるのですが、実は「お金」の本来の姿は、私たちが生み出した概念の本質を突いているのです。どういう意味かはこのマガジンをお読みいただければ、最終的に「お金」の本質がお分かりになると思います。

何事も新しい考えが生み出される背景には必ず動機(こころの欲すること)があるはずですが、どのような欲求があって「お金」が生み出されたのか、動機やそこに表出する感情の真意から「お金」の本質を汲み取っていきましょう。

歴史的には「お金」という概念が出来上がったのは、物とモノとを交換したことに原点があるようです。つまり物々交換です。しかし、近年の研究では物々交換ではなく、その役割は「信用」や「信頼」のための情報のやり取りを記載する、信用経済から発展していったと言われ始めています。

しかし、「お金」の由来がどうであれ、いずれにしても、その第一の動機は、自分の欲しいモノを手に入れたい、という「目的欲求」につながっています。

私たちは、何か欲しいものがあるとき、それを頭に思い描きます。そして、欲しいものがまわりになければ、自ら作るか、あるいは探して手に入れるか、それしか方法がありません。その欲求を満たすために、「信用」を手に入れ、物を手に入れるというスタイルが出来上がったと考えられます。

そして、第二に、自分自身の「信用」を対価とした「対価概念」が現れました。それは、約束を守っていく「信用」自体の価値概念が派生したと考えられます。これは、「信用」そのものの原則のようなものでしょう。

一方、一般の大多数の経済学者が指摘する、物々交換では、物を持ち寄った当事者同士が話し合いで決めていたと思います。お金という概念がない時にも、物を交換取引をする過程で、どのようなことが生じるか想像してみましょう。

そこでは様々な遣り取りや駆け引きがあり、最終的にお互いが納得した上で交渉が成立することになります。おそらく数千年前の物々交換と、現代における物々交換でもこのあたりの意識感覚はさほど変わらないでしょう。また、本来のお金の概念とされる「信用」にしても、信用に足るかどうか、話合いもあったかもしれません。

このように、「交換」にしても「信用」にしても、それぞれに違う物や立場に対する価値「対価」への一定の「共通理解」があることです。納得感といってもよいと思います。

この概念は、違う物や立場どうしでもお互い(交換する人物同士)が同等の価値観を持つという「相互等価」の価値感覚であり、「お金」はそれぞれの人が持つ、持ち物への価値を自分が欲しいモノとの間で概念化し「お金」という形で表現している、ということです。

そして、経済が物々交換であったとする主流派は、お互いに欲しいモノが無いときには交換ができない「不自由さ」から「共通理解」として「お金」という「相互等価」の概念を作り出したとしています。

その形が、石であれ、貝殻であれ、金銀小判であれ、そして、現代の「お金」の姿も、原初の発想は何ら変化していません。

ですから「お金」の原初の発想は「それ(お金)」自体に直接的な「価値」は無く、価値交換「能力の表現」方法であったということです。

一方、「信用経済」の場合、「信用」そのものに「価値」が付加されていると言えます。相手のことを何者か知っている、「ああ、あの人だったら、信用できる」という一定の了解があったに違いありません。

したがって、「信用」や「交換」は、いずれにしても「価値」を映す鏡であり、「お金」も基本的に私たち人間が「それお金」に「価値」を与えているにすぎません。「それ」は、「信用経済」の石板、ミクロネシア・ヤップ島の「フェイ」であれ、「交換」とされている「金」や「銀」のようにそのものに価値があるとみなされる物が使われたとしても、それが「価値」であるという同じ発想から生じています。

では、「お金」の本当の姿とはなにか。もう少し詳しくお話しましょう。

2)「お金」を成すもの


 「お金」は、「お金」自体に直接的な「価値」は無く、価値交換「能力の表現」であるとお話しました。そして「お金」は、

①  「目的欲求」

②  「対価概念」

③  
「相互等価感覚」

で成り立っているとお話しました。つまり、次のように表現することもできます。

「目的欲求」=意志

② 「対価概念」=能力

相互等価感覚」=感覚

そして①~③を経済の三つの要素におき変えると、

① モノ

② カネ

③ ヒト

 となります。さらに「意志(モノ)」「能力(カネ)」「感覚(ヒト)」を[からだ]、<あたま>、(こころ)に対応させると、次のようになります。

①「意志(モノ)」=[からだ]

②「能力(カネ)」=<あたま>

③「感覚(ヒト)」=(こころ)

 意志がモノとなるのは、モノを手にしたり作る場合イメージする何かが必ず先行します。「全てのモノは二度創られる」というように、これは、理念もそうですが、基本的なイメージやヴィジョンがあることで、モノを手に入れることができます。これをここでは意志として[からだ]と表現しています。

注)「目的欲求」は「目的」となるイメージやビジョンが形あるモノとして浮かぶイメージ、ある程度確定した形を[からだ]と概念化しています。「欲求」の方は、感情の源泉に近いので、(こころ)になります。

 そして最終的に、お互いが納得のいく価値感覚をもつことで交渉が成立します。これは基本的に「感覚」です。この「感覚」を持つことが「お金」の発想につながっていきました。「お金」は「モノ」に対して対価を払える能力があるかということで、それは対価と同価値の何ができるかという<あたま>のパフォーマンスを問われています。

 最後の「ヒト」は、ここでは集団を意味する用語としてご理解下さい。つまりお互いのということで、二人以上で集団と考えてもよいと思います。集団の中で「相互等価感覚」が生じることを意図しています。そして本来の「感覚」は集団の「ヒトビト」の(こころ)の中にあります。

 ですから「お金」は実質的な「価値」はなく価値への意味を持つ「能力の表現」ということになります。そして、「価値への意味」をもつ最も大切な「価値」とは(こころ)の「感覚」にあります。

3)「ヒト」「カネ」「モノ」の関係


 ですから、(こころ)の「感覚」を経済の「ヒト=価値」とおきかえて、「お金」にまつわる「価値(=ヒト)」「能力(=カネ)」「意志(=モノ)」の関係を明らかにしていきましょう。

 では、「価値」を「お金」とした場合、その「意味」とは、なんでしょうか。

世界恐慌の場合を考えてみましょう。その時は、お金が紙くずになりました。リーマンショックで株価が値下がり、多くの会社が倒産しました。身近な感覚では、ガソリン価格があります。1円あるいは10円などの小刻みな変化で同じ物なのに相場が変化するのです。これらは結果的に見えてくる現象です。

普段「お金」自体がある「価値」を持っているとみなされているならば物のみならず情報やアイデアも含めて「相互等価」という概念があればお互いの納得の上で商談が成立することになります。これは「お金」として「金」「銀」などを使用していた時期はその安心感もあるでしょう。

しかし、少なくとも今のお金自体は「価値」を持っていません。「価値」を与えているだけであり、その基本的姿勢は「信用」に依っています。特に紙幣はただの紙です。特に現代社会では完全にお金は「価値」とは別の働きをしています。そしてたとえ「お金」が「金(きん)」というそれ相応の価値があるとされる物でもその本質は同じです。そもそも信頼に足る価値がなければ、意味も無くなってしまうでしょう。

それは、相場という概念からも理解できると思います。相場というのは人間の<あたま>で判断する取り決めです。しかし、その本質は感情が先行しています。相場の動きはヒトビトの(こころ)の動きであり、それを見て価値判断を<あたま>がしているからです。

つまり「お金」は世相の評価と情動によって生み出される「意味」を持ちます。それは「情報」と言っても良いかもしれません。

では、本当の「価値」とはどこにあるのかというと、立体モデルからも明らかなように、人の(こころ)にあるということになります。

4)「能力の表現」とは


 もう少し、違った角度から説明をしましょう。今見てきたように、(こころ)の「価値」観と密接に関係している「意味」を映し出すツールが私たちの非常に身近な存在としてあるのですが、それは、いったい何だかお分かりになるでしょうか。

それは・・・


言葉

です。

言葉は「意味」を問います。私たちは「お金」という交換ツールを生み出しましたが、それ以前、はるか昔から『言語』という形で、お互いの「意志の疎通」をしていたのです。これには『共通理解』が必要です。「お金」も「相互等価観」をベースにした『共通理解』です。これは首尾一貫しています。

これは<あたま>の領域です。等価という価値判断は、実体であるモノ(外面)と、想像であるヴィジョン(内面)、そこに、株の相場や為替というその他の操作概念が関与して「お金」の価値を決定していると考えられます。それはさまざまな情報であったり、世相の移ろいや文化の違いなどで必ず左右されます。

「お金」の本質は4つの事柄から生まれていることが分かります。「目的欲求」は、こころの立体モデルでは、「理の面」 の意志を担う物であり、「対価の概念」と「価値の判断基準」はそれぞれ「知の面」  と「感の面」 を担います。「相互等価観」はこれら3つを担うもので、これにより循環します。

※ 三つ面については、また改めて解説します。『こころの立体モデル』にそのような側面があるとご理解ください。

5)「お金」との向き合い方


 私たちは、「お金」という紙切れが欲しいのではなく、「お金」と交換することによって得られる「価値」が欲しいはずです。では、「お金」がないからとか、「お金」がもったいないから、という、「お金基準」ではなく、「価値基準」で「お金」を使うようにするとどうでしょうか。

金額を優先して買い物をするのではなく、欲しいかどうか、買いたいかどうかを基準に買い物をするようにすると、とても気持ちが豊かになると思います。「お金」は正直なその人の人となりを映す鏡であるとも言えます。「お金」に意味付けをすると、正直にそれを(こころ)に映すことになるからです。

「お金」は「価値」を映す鏡、「価値」とは私たちの(こころ)でした。その(こころ)に反応して「お金」の能力の状態が変化するのです。「お金」があれば、もっと裕福になれるのに、「お金」があれば、贅沢ができる、あれが買えるこれも買える、このように考えがちです。

しかし、この考えでは、おそらく「お金」は増えることはないでしょう。なぜなら、「お金」に「価値」は無いからです。つまり、意味のあるものに「価値」が生じ、「価値」のあるものに「意味」が生じます。両方とも相まって相互の関係を持っています。意味の無いものは価値もありません。

そして、「お金」の原点を考えると、その価値観とは、実は「お金」に関する過去からの印象であり、その積み重ねが「お金」に対しての意味を生みだしています。「意味」とは右と左がイコールであり、平等と公正の立場をとっています。そして言葉は、意志を伝える役割があり、それは伝達、そして表現です。

これは言語学で解釈されているもので、『知の面』(後ほどご説明します) の4つの役割を示しています。それは「尺度」、「伝達」、「表現」、「蓄積」という流れです。その中で、お金の役割は、このそれぞれを担っています。


「お金」は、尺度から蓄積まですべてに関与していますが、特に社会経済では「能力の表現」が際立っているのです。そして、「お金」は欲しい「モノ」と「価値」を取り持つ「情報」という一側面もあり、これは『言語』そのものの感覚と酷似しています。

これからは、「お金」に遣われる生活ではなく、本当に「お金」を遣う生活を心掛けてみることが大切でしょう。

では、これらの「お金」の指向性として、「お金の遣い方」や管理はどのような方向に伸展させるべきなのでしょうか。

次回は、そのようなお話しをして参りましょう。

最後までお読みいただき
ありがとうございました。

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これから変革の時代がやってくる!!本当の「豊かさ」とは何か。お金の在り方を知り、心身的な視点から構造的に読み解いていく新たなこころみ。幾何学的な解釈をもとに図説を多用し、かつて医師であり錬金術師だったパラケルススが、錬金術を豊かにイメージしなおし、人間と宇宙の関係を捉えなおしたように、「豊かさ」とお金に斬新な付加価値を生む!マガジン購入でシリーズ10回分全てお読みいただけます!

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