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日光のルーツを巡る旅(4) 

前回は、勝道が男体山を極め、中禅寺を建立したお話でした。
では、その続き。

勝道「上人」誕生!

789年、勝道55歳の時に、平安遷都をしたことで有名な桓武天皇に上野国総講師に任命され(藤原敦光著「中禅寺私記」による)、上人の称号を授かりました。
これは、最澄の比叡山開山や空海の高野山開山より早く、まさに、山岳仏教の先駆けとも言えるのではと思います。


本宮神社(ほんぐうじんじゃ)

翌790年(異説もあり)には、神橋近くの四本龍寺の隣に、本宮神社を建立しました。
そして、この神社が、実は、二荒山神社のルーツなのです。

本堂神社
弥生祭の三神輿渡御祭
今は近くにカフェもあります

神仏習合

ここまでの話で、なぜ僧侶が神社を?と思いませんか?

これは、当時の神仏習合という信仰の形なのです。
具体的には、神様は、仏様(本地)が衆生を救うために姿を変えてこの世に現れた(垂迹)と考えるものです。

つまり、単に、仏様も神様も両方信じていたのでなく、仏様も神様も一体のものとして信仰していたのです。 

日光における神仏習合について詳しくは、次回お話しますね。


(つづく)

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