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そうだとしたら、素敵なことでしょう。

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奇跡はいつでも/青葉市子

失うものは さようならの代わりに
あなたの好きな世界を連れてくる
そうだとしたら 素敵なことでしょう

夜眠る前も、朝の起き抜けにも
この歌を歌ってお湯を沸かして飲んでいる。

時間というのは単なる概念でしかなくて、それをカレンダーや時計に落とし込んだ昔の偉人たちはそれはそれは大きな発明だった。

カレンダーがあるから先々のことも予め誰かと共有できるし、時計があるから違う性格でまちまちなバックボーンの人とも待ち合わせをすることが出来る。

沖縄の人はそれでもゆっくり、ゆっくり、来るのかもしれない。
せっかちな人は時間ぴったりに電話をよこすかもしれないし、心配症な人は2時間も前から待っているかもしれない。

新年の目標も、新年だからたてられる。ちょっと大きなことを言う。
そして、新年の目標は、年末になって思い出される。

わたしは元々そういうの苦手なんだよね。

美容院の予約とか、定刻出勤とか、
スケジュール帳が埋まっていくと身震いする。

朝起きて、自分に聞けることが一番いい。
それをするためにこうした働き方をしているし、それをするために複数の手を磨いている。

必要な場合、約束した場合は、ちゃんと予めの予定を守るし
予めの予定を取り合うことが便利なのも分かるので、そうしたい場合は私にもある。

でも、それがずっと続くことが当たり前だと思えない。
ただただ生きてるだけで埋まり続けるスケジュール帳が当たり前だなんて、受け入れられない。
本当に、定刻出勤のお仕事は向いてないと思うので、役割分担が可能な社会になって有難い。

年始の目標も、
年始だから、ではない。

今、決める。自分で。決めたらもう始めたようなものだと、なぜかわたしは解釈している。
なんだろう、決めたら、実際に行動をする前からもう変わっているような、そういう感じ。

抱負や目標は出そうとすれば出せるけど、
今日明日、来月、今年、とかの話ではない。
心に5年後10年後の計画をしている。
それがいつ動いてもいいように頭の引き出しに入れている。時々、出して磨いている。
「あ、今だ」「あ、この人だ」って時がきたら、ちゃんと出せるように磨いておく。
そういう生き方なので、今年の抱負は?と聞かれても、次の日には変わるかもしれないし、何年も同じこと言うかもしれない。

だから、とても不真面目で不誠実に見えることもあるだろうし、実際にそういう不勤勉さはあると思う。
でも、私は生涯の中でここは成し遂げるよ、というのは、とてつもなく時間がかかっても、目指し続けているつもりなのだ。
いくつかのそういう仕込みが、何かの拍子にパッと花開いたら素敵だと思っている。

これは他でも書いたかもしれない。
「運命」とか「出会い」の感動は演出も大事で、コミュニティ内でさり気なくさり気なく、そういう空気をつくるのが難しいし、本来やりがいだと個人的には感じている。お金儲けのことは分からない。私には、たぶんお金儲けとしてのコミュニティはできない。

生き方も、わたしはそうなのだ。
こんなことが起きたら素敵じゃない?を、いくつも仕込んでいる。
それは今日明日の成果とも違うし、大成とも少し違う…。

とある芸能人が、新年の抱負は「生きる!」ただそれだけを毎年言っていると言っていたのは、少し共感するところがある。

そもそも、ちゃんと「生きる」を続けることはとても尊い。

どう生きるかは、時の流れで変わるかもしれないし。それでも生きようね、という自分との約束。
何にもなれなかったとしても、こんなに生きてきたよと言うことができるなんて、なんて素敵なんだろう。いい目標だなぁ。

もう少し先の未来の世界では、きっとカレンダーや時計なんかで“時間を計る”ことはできないのだと、太陽と星々との関係を改めるだろうと思う。
そしていつかきっと誰かが新しい時間について定義をするのだろう。
人々はゆっくりと、そうそれは少しずつだけれど、新しい時間を使いこなしていく。

過去も未来も現在も、いまここにあるんだとしたら、よりフォーカスしないといけない。

今私はいつのどこにいて、それからどこに行くのか
何を得に進むのか、向かう先に本当にあるのか

奇跡はいつでも 誰にだって
微笑んでいるわ
目覚めのひと息を 自由にひたして
思うままに駆け出すといい
光にあふれた世界をここに

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