見出し画像

2019/09/03 なんだか日陰のような話を書いています。

Twitterの名前を本名のaya(漢字だと彩です)に変更する朝から始まる日。
数日前から変更しようかな、と思っていたのですがなかなか勇気が出なかったのです。

名前を変えるだけでこんなにも緊張するとは(笑)
本当に小心者である。

変更した理由が色々とあると言うか、気持ちの面であるんですけど、どうしてこう言う時にうまく伝える言葉が見つからないのか、自分でも歯がゆいのですがなんとなく大きくざっくり言うと

覚悟

みたいなものなのかなあ、と思います。
Twitterの名前変えるだけで決まる覚悟があるのか(笑)と言われてしまいそうですが、その中にも色々あってですね・・・それがうまく伝えられないんだった(笑)

堂々巡りですね。

今までも本気だったけど、さらに本気出す!と言う感じでしょうか・・・。(うーん)

今日も仕事中いろんなことを考えてました。

何かを始めたり(それこそTwitterの名前を変更したり)何かをやめたりするタイミングなんてなんでもいいし、こじつけでいいんだよね

と思ったのです。

(あ、Twitterの名前変えたのはこじつけてないです)

タイミング見計らってるとどんどん時間だけが流れていくし、見計らってもタイミングなんてこないんじゃないかな、と。

私は今までタイミングを待ってばかりいたので、そう言う自分に対して思ったのです。


そして

【例えば仮に傷つくとしたら、どうでもいい誰かの言葉や行動じゃなく、本当に大切に思ってる人の言葉と行動だけでいい気がしている。
誰でもかんでもに傷ついてる暇ないやろがい。
傷つけようとしてくるやつなんか、いくらでもどこにでもいるからね】

とも思ったのです。(言葉遣い汚くてすみません!自分の背中押すために時々(?)わざとこう言う言葉遣いをしてしまうのです)

前に比べたら人の目も気にしなくなったし、人にどう思われてもどうでもいいと思えるようになったし、自分にとって大切な人とそうでない人への考え方のボーダーラインも定まってきた感じがするのですが、それでも時々本当にドロドロとした悪意にまみれてしまう時があるのです。

でも、本当の世の中って「誰かを傷つけて優越感を得たい人」っているんですよね。
それはきっと特別なことじゃないし、そう言う魔がさすような瞬間が誰にでも(もちろん私にも)ある。

だからいちいちそう言うことに惑わされているのはバカというかもったいないというか。

そして今日西野亮廣さんの本を読み返していたら

「いじめがなくならないのはいじめが娯楽だから。だからそんなクソみたいなことでも続けてしまう。だからいじめという娯楽よりも楽しいことを教えればいい」

(このクソはそう書いてあったのですよ?笑)って書いてあってなるほどなあ、と。

悪い噂を流したり、人を傷つける人も結局は「いじめ」なんですよね。
そして楽しくて気持ちよくてやめられない。

でもそれってそれ以外に楽しみのないつまらない人間だからなんですよね。

だから傷つけてくる人に対してそう言う1歩引いた目で見れば傷もそんなにつかないかなあ、と。

今だけじゃなくこの先もきっと傷つくことも、傷つけてくる人も(自分がそっちになる時もあると思う)いると思うけど、少し冷静になって受け止められるようになりたいなあ、と思ったのです。

そう言うのに左右されて時間を無駄にするのは本当にもったいない気がしてしまうので。

噂を立てたり、傷つけたり、いじめたり、それって自分に目がいってなくて人にばかり目がいっている状態ですよね。

だから私は人じゃなく私を見ていたい。

私が何をしたいか、何が幸せか、何が好きで嫌いか、今までもどれだけ頑張ってきたか。

誰かに向けている時間を私のために使いたい。

私が欲しい世界のために。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?