行き着いた、愛のこと。そしてこれからもっと知りたい。
愛ってなんだろう。
これはわたしの人生テーマである。
勝手に思っているだけだけど、人生テーマなのである。
なぜなら、その意味をいつも探しているから。
好きな男の人に、
「好き」「大好き」と言った。
そして、「好きだよ」「大好きだよ」と言われた。
好かれるのは、うれしいものだった。
でも、はたして。愛ってなんだろう、と思った。
こんなに普遍的でうつくしいことばなのに、どうしてことばの意味にしっくりこないのかなと感じるたび、わたしは冷たい人間なのだと思った。皆が知る愛を、わたしは知らないのだと。
たぶん、きっと、「大好き」がもっともっとおおきくなって、100倍くらいの気持ちになったら「愛」になるのだろう、と思った。
でも「大好き」が100倍まで膨らむことはなかったから。
わからないままなのだった。
「ずっと一緒にいたい」とか
「失いたくない」とか
「わたしのことすき?」
「ねぇ、どこにもいかない?」とか。
それらのことばはどこにでもあった。
愛を語ることばなのではないかとも思った。
けれどもなんだかこれは
好きゆえの不安から生まれることばだった。
つい、このあいだのこと。
わたしは、自然に愛を語る人に出会った。
そして、愛とは、男女における恋愛についてのことばだけではないことを知った。
そう、わたしはついに、愛に溢れる人をみつけたのだった。
誰にでも、何にでも。
モノにも、自然にも、仲間にも、こどもにも、そしてわたしにも、惜しみない。
流れるような、溢れるような、つつみこむような、気待ちのよい風のような。
そんなエネルギーを感じた。
愛は、無理に与えたり与えられたりしないし、
無理に届けたり受け取ったりしない。
そのまま浮いたり、漂っていることもある。
愛を存分に注がれても、恐縮なんてしないし、
注いでもらったからお返しするものでもない。
キラキラとしたうつくしいエネルギーだった。
大切に慈しむ、愛おしさを奏でるメロディーだった。
愛に溢れる人と一緒に居たら、わたしですら気持ちの良いエネルギーが湧き出る。そのエネルギーがわたしの愛だと思った。
いま手に取るものが愛おしく思う。
壊れてしまうから大切にしたいと思う。
儚い一瞬にわたしの全てを出してみたいと思う、
そんな毎日がやってきた。
いまは、それを味わう。
その毎日をたいせつに紡ぐ。
ひとりでも、愛に溢れる。
顔が緩み、自然に微笑む。
ただ歩いている時も
目醒めのまどろみの中も
いつまで続くかな、
わたしの愛の日々がはじまった。
キラキラとしたエネルギーを、
わたしもふりまいていたい。
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