不足もまた私の財産だということを

不足物もまた私の財産だということに、私は気がついたのに、いつも忘れてしまう。
例えば私に友達があまりいないのは(1人いる)友達を得る行動の代わりに私が選んできたものがあるからだ。
誰かの話に相槌を打つ時間ではなく、自分の心の中で一人妄想に浸る時間を選んだのは私自身で、そういうのの積み重ねで今の私の状態がある。何か足りないということは、その代わりに何かを得たということ。私にとってはそう。
そして、何かが欲しい、何か足りないと思う気持ちは生きる原動力だ。
生物には必ず欲がある、生きて繋ぐために。
それを望んだ訳じゃなくても、体と心に自然と欲が発生しそれを満たすことを生物はみんなやってる。足りない欲しいと思うことはとても辛いことだけど、その不足がなければ満たされることもない。様々な満たし方を模索して人生の時間を埋めることも出来ない。全てが満たされきっているなら、もはや生きる意味なんてない。つまり不足があることはよいことで、それを満たすために藻掻くことで、あるいは忘れるために別のことをすることで、人生は楽しくなるんじゃないのかな。
ということに私は気づいているから、美容院で、私に友達がいることを前提とした話をされた後に、ああ、友達がいるって普通のことなんだなぁ、欲しいなぁ、なんて感じて、焦る必要は無いはずなのに、私は私の考えたことをしょっちゅう忘れて同じ悩みをループするくせがあるから、今日も友達の作り方、なんてくだらないことをググッてしまった。
それだけで十分なのに〜。

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