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51歳の大学生になるまでに乗り越えた恐怖

やってみたいことは頭の中にある。

だけど、なかなかその一歩が踏み出せない・・・

歳を取れば取るほど、そういうことは増えるのかもしれません。

あなたはどうですか?

大学進学のきっかけとなった大きな気づき

実は私は今、放送大学という通信制の大学で勉強しています。

心理のコースですが福祉のことも学んでいます。

実は数年前から頭の中にこのアイデアはありました。

けど、なかなか「よし今だ!」という一歩が踏み出せなくて、

「本当に学ぶ必要ある?」
「本当に続けられるの?今でも忙しいのに」
「いやいや、あんた何歳やと思ってんの」

などなど、自分の中で自分がツッコミを入れまくり、ウダウダしていました。

だけど、やっぱり行かねばならん!

そう思ったのは、「統合失調症の方たちへのまなざしがもっとリスペクトに溢れたものになったらいいな」という夢ができたからです。(2022年のこと)

でもでも、それでもまだ「にしても必要なのか?」という私のケチ根性は無駄な動きをしたくないのでブレーキをかけまくる。

その厳重なブレーキを外すきっかけにはある気づきがありました。

「結局私はアカデミックな空気感が大好きでそういうところに関わっていたいくせに、自分の無能さがバレるのが嫌で本当に行きたいところには行かないようにしている」

これに気づいてガビーン!となりました。

実は10数年ほど前、私は自然療法士をしながら、週に2、3日はある研究室の秘書をしていました。

(自然療法士として独り立ちできるまでずっとそこで働いてた)

精神科医と臨床心理士からなるチームで、やさしくて素敵な方ばかり、勉強になることも多くて秘書に向いていたとは言い難いですが楽しく働けました。

今思えば、そこに自分が身を置いているだけで嬉しかったんですよね。

私は憧れの場所にいたんです。

その時は気づいていませんでした。

ずっとやりたかったことをやりなさい

私が自分の無能さを避けて本当の挑戦をしていないことに改めて気づいたきっかけに「ずっとやりたかったことをやりなさい」(ジュリアキャメロン著)の影響がありました。

(大ファンの神秘学研究家岡崎直子さんのおすすめで知った)

その中にこんな一節があります。

影のアーティストはアーティストという種族に惹かれるが、自分も生まれながらのアーティストであると主張できない。

アーティストと影のアーティストの差は微妙なもので、才能ではなくずうずうしさが、ある人物をアーティストにし、ある人物を影のアーティスト(夢を白日のもとにさらすと消滅してしまうのではないかという恐怖から、影に隠れているアーティスト)にするというケースがよくある。

影のアーティストは影の職業を選ぶ場合が多い。自分が本当に好きな職業ではなく、それに近いものや、それに関連する職業に就くのだ。

「ずっとやりたかったことをやりなさい」ジュリア・キャメロン著より抜粋

この本を最初に読んでから1年以上経過してから、「あ!あれ私のことやん!!」とある日気づいたんですよね・・・

研究所の前は、ソニーミュージックでアーティストと仕事をしていましたから、それもある意味影の職業だったのかも・・・

(音楽を仕事にしたいわけではなく、もっと大きな意味で自己表現を仕事にしたかったんですが)

自己表現を仕事にするという意味では、今叶っています。

こうして自分の考えや経験を皆さんに伝えて、それを興味を持って読んでくださる方がいて、それが心理コンサルタントという仕事になっていますし、マンガエッセイを描いていろんな方との繋がりが広がっています。

だけどだけど、それでもやっぱり本当の願いは避けていた・・・

上記の本の抜粋にあるように
「夢を白日のもとにさらすと消滅してしまうのではないかという恐怖」
が間違いなく私の中にあったからです。

「いや私も大学で心理とか哲学を学んでたらまたなんか違ったかもしれないけどね。
でもよくここまでやってきたわよ私も。
結構願いを叶えてる方だと思うしね、結構上手くやってるよ。
うんうん。うん・・・」

そう自分に言い聞かせて本当にやりたいことへの挑戦はしない。

その最大のメリットは「決定的に傷つくことは避けられる」ということ。

夢は叶わないんだという事実と向き合わないで済むということ。

てことは、夢は叶わないものだと信じてるということ・・・

そういう選択をしているな。私・・・、と気づいちゃったんですよね。

こんなにもあらゆる手を使って私は自分の本当にしたいことに気づかないようにしてきたのか・・・とあいた口が塞がらなかったですよ。

で、どう現実と折り合いをつけながら前に進むか、悩み出したらキリがありません。

えーい!とにかくできるところからやってしまえ!ダメならダメでいい!

という勢いで放送大学に今年の春から入学したわけです。

挑戦するために必要な覚悟

何かに挑戦するということは、傷つく覚悟のいることだと思います。

新しい挑戦をするということは、今の自分を捨てることですし。

でも、その失う覚悟、傷つく覚悟をして行う挑戦は、失敗しようが成功しようが、とんでもない身のあるものになります。

夏にnote創作大賞に挑戦して、落選したという経験でそれを痛感しました。

だから大学も同じです。

できれば大学院まで進学して、福祉心理学関連の研究をしたいという夢があります。

頭の中では「いやいや何言ってんのさ」とツッコミを入れるまだ怖がっている自分もいます。

入試のない通信制の大学に入っていますから、他の大学院に行くとなったらどれだけの山を越えなきゃいけないんでしょうか。

自分の無能さを痛感するのが怖いです。

でも、この怖さも私の大切な原動力ですから、これからも「怖いよ〜!!」と心で叫びながら、恐怖と共に前に進んで行こうと思っています。

あ〜こわ。(ブルブル)

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