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私的プロレススーパースター烈伝㉝クラッシャー・バンバン・ビガロ

今回は刺青獣クラッシャー・バンバン・ビガロ選手のご紹介です。ビガロ選手はプロレスラー養成所のモンスター・ファクトリーを経て、1985年12月にデビュー。

1987年1月、ビガロ選手はアントニオ猪木さんの新たなライバルとして新日本プロレスに初来日します。当初はモンスター・ファクトリーの主宰者である元プロレスラーのラリー・シャープをマネージャーとして帯同していました。この時の入場テーマ曲はなぜかジョーズのテーマでした。

ビガロ選手はスキンヘッドにまで施された刺青や、炎をあしらった全身コスチュームをトレードマークに、巨体に似合わぬ軽快な身のこなしで側転をするパフォーマンスなどで「動けるデブ」としてファンに認知されました。

その後日本だけでなくWCWやWWFでも活躍し、日本では全日本プロレスやWARにも参戦。1996年11月17日には、U-JAPANのメインイベントでキモ選手と総合格闘技ルールで対戦しています。

2000年7月に、火事に巻き込まれた近所の子供を大火傷を負いながらも助けたのですが、その後遺症もあり40代を過ぎてからセミリタイア状態となり、2005年の交通事故をきっかけにプロレスから完全引退しました。

2007年1月19日に、フロリダの自宅で45歳で死去。死因は公表されていないが、薬物の大量摂取による副作用と見られています。

ビガロ


両親2人の介護を一人でやってます。プロレスブログ「せかぷろ」&YouTube「チャンネルせかぷろ」主宰。現在ステージ2の悪性リンパ腫と格闘中。