ブライアント

プロ野球スーパースター烈伝②ラルフ・ブライアント

私は以前プロ野球観戦も趣味の一つにしていましたが、15年前に観るのをやめました。今回は近鉄最強の助っ人外国人選手として歴史に名を刻むラルフ・ブライアント選手をご紹介します。

近鉄バファローズの試合に触れたい山口県民の私は、大きくなってから、ラジオを窓際につけて、ラジオ大阪の近鉄バファローズナイターを聞いて、そのままプロ野球ニュースで動画をみる、という事を続けていました。

日本シリーズの中継で久々に近鉄バファローズの勇姿が見られで狂喜したのもつかの間。ホーム球場だった日生球場が日本シリーズ開催要件を満たさず、やむをえず南海ホークスの本拠だった大阪球場で、広島の守護神江夏豊投手が立ち塞がり、のちに江夏の21球と言われた屈辱を味わう羽目になりました。

さて、ブライアント選手が近鉄に入団する前には、ちょっとした事件がありました。それは、近鉄の主砲リチャード・デービス選手が1988年6月7日に、大麻不法所持により逮捕され退団してしまったのです。

この突然の事態に近鉄が急遽リストアップした外国人選手が、中日の二軍で変化球に対応できず三振を繰り返していたブライアント選手でした。

しかし、中日の二軍スタッフはブライアント選手の将来性を高く評価しており放出に反対しました。ですが、当時は一軍登録の外国人枠は2名であり、中日はすでに枠が埋まっていました。

したがって、長打力はあるが三振も多いブライアント選手の出番はなかったわけです。中日は近鉄からの申し入れを受け入れ、6月28日、金銭トレードが成立します。その金額は格安だったそうです。

その後、ブライアント選手は2度の1試合3本塁打をはじめ、移籍後の74試合の出場で34本塁打を放ち、近鉄の最大ゲーム差8からの驚異的な追い上げに貢献します。そしてあの運命の「10・19」を迎えるのです。まさに激動の一年だった1988年を私は一生忘れることはないでしょう。

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両親2人の介護を一人でやってます。プロレスブログ「せかぷろ」&YouTube「チャンネルせかぷろ」主宰。現在ステージ2の悪性リンパ腫と格闘中。