サーファー_TOYOTA2000GT

生命力イラスト・想い出の車シリーズ②TOYOTA2000GT

今回ご紹介するトヨタ2000GTは、トヨタ自動車とヤマハ発動機が共同開発し、ヤマハ発動機への生産委託で1967年から1970年までトヨタブランドで生産されたスポーツカーです。

新車当時のトヨタ2000GTの価格は238万円。トヨタ自動車の高級車であるクラウンが2台、大衆車のカローラが6台買える程に高価でした。

1967年当時の日本における大卒者の初任給がおおむね2万6000円前後でしたから、21世紀初頭の日本ならだいたい1500万円から2000万円程度の感覚にも相当します。一般の人々にとっては高嶺の花の超高額車だったんですね。

それでも生産に手間がかかり過ぎてコスト面で引き合わない価格設定でした。この事から常に赤字計上での販売だったそうです。トヨタ自動車にとっては、高価な広告費だったようですね。

とまあ、このようにトヨタ2000GTは発売当時から高嶺の花だったわけですが、この名車のコクピットに私は若くして座る経験をしています。

とある場所に2000GTが展示してあったのですが、なんと鍵がかかっておらず(もちろんキーはないので、走りはしません)、ドアが開いていたのです。時刻は夜中でロビーには誰もいません。

今考えるとおかしな話なんですが、2000GTのまわりは、チェーンで仕切られてもいなかったんですね。だから「侵入」は容易でした。

まだ若かった私は「しめしめ」とばかりにドアを開け、コクピットのシートに滑り込んだのです。ステアリングを握り、運転した気になり、悦に入っておりました。

しかし、座席に座ってみてはっきりわかりました。「これは二十歳そこそこ(当時の私の歳)の若僧が乗っていい車ではない!」ということが、です。

それくらい2000GTという車は「神々しかった」のです。トヨタ2000GTとは車はまさに、乗る人の品格を試されるような名車だったと今でも私は感じています。

人間が車を選ぶというのは普通だと私は思うんですが、車が乗る人間を選ぶという体験は、後にも先にもこの時だけでした。

いかがでしたか?今回は30年以上経っても鮮明に身体に刻まれている想い出をお話ししてみました。


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両親2人の介護を一人でやってます。プロレスブログ「せかぷろ」&YouTube「チャンネルせかぷろ」主宰。現在ステージ2の悪性リンパ腫と格闘中。