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[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝#88 ブルーザー・ブロディ

インテリジェント・モンスター

今回は「超獣」「キングコング」「インテリジェント・モンスター」などの異名をとり、アメリカではNWAの各テリトリーやWWWFなど各団体で実績を築き、日本でも全日本プロレスや新日本プロレスでトップ外国人レスラーとして活躍したブルーザー・ブロディ選手のご紹介です。

独自のレスリング哲学


ブロディ選手はリング上では超獣ギミックを一貫して演じていましたが、本来は家族思いの穏やかな人柄で、独自のレスリング哲学を持っており、インタビューでは彼本来のクレバーさを感じさせる発言が多く見られました。

また、試合だけでなく、自分の言葉と思想で自分の存在をファンに訴えかけた選手でありました。

衝突が絶えない


一方で、各地のプロモーター、ブッカーとは衝突が絶えませんでした。

盟友・スタン・ハンセン選手によれば、若手時代にトライステート地区でビル・ワット氏から不当な待遇を受けて以来、彼のプロモーター嫌いが始まったとされ、結果としてそれが、プエルトリコでの刺殺事件につながったといいます。

他方、ジャイアント馬場さんのような信頼に値するプロモーターのことも敵視していたといいます。

No.1になる


もっとも後年新日本から全日本へUターンした際、1988年4月の「週刊プロレス」インタビューにおいて、「馬場を裏切ったことは本当に失敗だった。馬場に申し訳ないことをした」と悔いています。

ただ、ハンセン選手はブロディ選手が新日の引き抜きに応じた理由に「彼が一番欲しがっていたのは、ギャラよりも「その団体のプロモーションのNo.1になる」という名誉だったと語っています。

試合直前にギャラアップ


また、ブロディ選手は金にはうるさい倹約家、無駄使いを極端に嫌う性格で、レスラー仲間で食事をするときも、見栄を張って他人に奢るようなことは決してなかったといいます。

ブロディ選手は試合直前にギャラアップを求めることがあり、アップしないなら試合に出ないと理不尽な要求を、新日本時代にはアントニオ猪木さんに叩きつけていました。

猪木さんも出場しないのは困るからと、いつも仕方なく承諾していました。

自分の物差ししかない男

のちに猪木さんはブロディ選手について「自分の物差ししかない男」と回想しています。

結局、1988年7月16日、プエルトリコ・バヤモンのバヤモン・スタジアムでのWWCの興行中、レスラー兼ブッカーのホセ・ゴンザレス選手と口論を起こし、ドレッシング・ルームにて腹部をナイフで刺されました。刺し傷が肝臓に達し、翌7月17日、出血多量により42歳という若さでこの世を去っています。





両親2人の介護を一人でやってます。プロレスブログ「せかぷろ」&YouTube「チャンネルせかぷろ」主宰。現在ステージ2の悪性リンパ腫と格闘中。