太田幸司

プロ野球スーパースター烈伝⑥太田幸司

今回は高校球史に残る準々決勝からの連続45イニングを1人で投げ抜いた「元祖・甲子園のアイドル」こと太田幸司投手です。

太田投手は1968年のドラフト1位で近鉄入りします。その人気はプロ入り後も全く衰えることはありませんでした。甲子園のアイドルの人気ぶりはすさまじく、近鉄が本拠地として使っていた日本生命球場では、入団を機に女性用トイレを増設。

また球場に向かう電車内では、チームメートが太田投手をガードしたほどでした。

また、チームメートが選手寮を訪ねてきたファンに「太田はパチンコに行った」と言ったところ、寮の近くのパチンコ屋が瞬く間に追っかけの女性ファンで一杯になったそうです。

その人気の高さから、太田投手を主人公にした実録漫画「ケッパレ!太田投手」が週刊少年ジャンプで連載されてもいました。

プロ入り初年の1970年から1972年までは、ファン投票1位を獲得してオールスターゲームへの出場を果たしています。初年の1970年のオールスターゲームでは、3試合連続リリーフ登板をしています。

これは一軍で前半戦を終えて1勝のみという成績にもかかわらず、球場やテレビで観戦する太田さんのファンに配慮して出さざるを得なかったという事情もありました。

後に近鉄監督になる全パの西本幸雄監督(当時阪急ブレーブス)は「いかに被害を少なくするか」苦心したそうです。ただ、この3試合を期にプロとしての実力も徐々につき始めたそうです。

1974年から西本さんが近鉄監督に就任し、太田投手は才能を開花させていきます。その年に初の二けた勝利、翌年は12勝という成績を上げています。

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引退後は解説者を経て、2009年8月17日には、新たに発足した日本女子プロ野球機構のスーパーバイザーに就任。2010年に開幕した女子プロ野球の運営・広報活動に携わっていました。

そのお姿を久しぶりに見たのが、2019年8月に行われた記者会見で、「女子の4球団を運営するために株主であるわかさ生活1社だけで100億近い費用を投じており、今のままだと来年以降のリーグ継続は困難」だとして企業や団体に対して、新規参入を呼びかけるという、なんとも淋しいシーンでした。


両親2人の介護を一人でやってます。プロレスブログ「せかぷろ」&YouTube「チャンネルせかぷろ」主宰。現在ステージ2の悪性リンパ腫と格闘中。