求められているものを

また新しい一週間が始まる。

昨日はいい一日だった。

その前の一日は自分をどうしたら良いかわからない一日で、気持ちも体も重くて、
昨日の朝も、ちょっと無理して動いていたけれど、
午後から講演会に参加した。
そこで、何だかフッと心が柔らかくなった。
そんなに何度もお目にかかった先生ではないのに、ご挨拶した瞬間にふっと心が柔らかくなったのが、とても不思議だった。先生のお人柄なのだと思う。出会えたことに本当に感謝だなぁ。
初めてご挨拶する先生方も、それぞれの生き方を、空気を持っていらして、その空気に触れることができたのは、本当にありがたいことだったと思う。自分のやるべき事を知って、それをなさっている方々だな、と。それは私にかけているもので、それに向かって少しずつ進んでいきたいと思うけれど、、、
そういう意味で、講演の内容も得るところが大きかったのだけれど、講演を通して講師の先生の一本通った芯とそれに沿って行動する姿勢を感じることができた事もとても大きかった。
裏方で働いていらした皆さんも、聴きにいらした皆さんも、それぞれを生きていらっしゃるんだろうなと、そんな事を思った昨日だった。
それぞれが精一杯それぞれでいる事のかけがえのなさ。

そして、今日。
心を落ち着けて、深呼吸をして、
何かを得るためではない日々にしたい。
何かをいたずらに焦って付け加えようとしない日々にしたい。
流れの中で起きる昨日のような出会い、きっと今日ある診療の中での出会い、そこで受け取らせてもらえるものは、感謝して、味わって、受け取りたい。
でも一方、必要なことはそんなに多くない。
私は、自分にとって何が必要か感じる前に、何かを得ようとしていたような気がする。
あれもこれもと。

医者にとって知識のアップデートは大切で、やらなくてはいけないものなのだけれど、
それは必須なのだけれど、でも、、、
得ようとするあまり、私は失ってきたような気がする、大切なものを。
得ようとする目的が違っていたのだろうか。
新しいものを知った私に満足したくて、こんな事も知っていますよと言える自分になりたくて、知ろうとしていなかったか。どこかで自分を大きくするために、大きく見せるために知ろうとしていなかったか。
だから、自分にとって必要なものを知り、知る努力をし、それを行動につなげていらっしゃる方々は、素晴らしいなと思う。必要なものを知っている方は、また適切に開いていらっしゃる。閉じていないのだ。
それは自分というものへの信頼感があるということと繋がっているのかもしれない。必要のないものを追いかける必要はないし、でも防御壁を作って自分を守る必要もない。

私は、まだまだしょっちゅう、硬い壁を作ってしまう。
そして壁を作ることに、壁を維持することにとてもエネルギーを使ってしまう。
そんな風に閉ざしながら、何かを付け加えようとするから、余計に疲れる。

私は私になるために知りたい。
私を知るために、知りたい。
必要でないものを知るために、知りたい。
削ぎ落とし、シンプルになるために知りたい。

それには、流れに身をまかせてみる、力を抜いた感覚が必要なのかな。
必要なことは起こる、起きている。
それに応えることなのかな。
フランクルの言葉を思い出す。
「大事なのは、私たちが人生に何を求めるかではない。人生が私たちに何を求めるかだ」
「私たちは、人生の意味とは何か、と問うことをやめるべきだ。反対に、人生の方が日々、絶えずわたしたちに問いかけているのだ」

問いかけられているものを生きる。
それがそれぞれがそれぞれを生きるということなのかな。

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