感謝

ツイッターを休むと言って2日。たくさんの方からのメッセージが続いていて、とても不思議で。こんな風にたくさんの方が受け取っていてくださったということ。
不思議で、ありがたくて、どう受け取っていいかわからないくらいで、でも素直に受け取らせていただこうと思います。
みなさん本当にありがとう。

そして、私は自分が弱くて良かったと、何だか思いました。

私は弱いからあんなツイートを書いていた。
何かを整理する必要があって書いていた。
消化できない何かを、少しでも形を変えたくて書いていた。
自分もしんどくて、もっとしんどい方たちが気になって書いていた。
しんどい方たちに何もできないもどかしさを、祈ることに変えて書いていた。
いつも心細いから、少し嬉しいことがあると、シェアしたくなって書いていた。

私には薄いグレーのASDがあるし、注意欠陥もあるので、こだわったり、でもまとまりがなかったり、鈍感だったりする。混乱しやすかったりもする。自分のドジには慣れたけど、でもイレギュラーなことやマルチタスクはとても苦手で、すぐ混乱する。
エネルギーがなくて、休みの日は寝込んでしまうこともある。時間があっても勉強できない自分へのもどかしさ。
そこにちょっとした消耗する状況が続いていて、余計に出ないエネルギー。
自分勝手で、めんどくさくなって、でもその割には頑固で、こだわりと関係しているのかもしれないけど譲れないことは譲れないところもある。
小さな苦労もあって、その中で人を恨んだこともあるし、今でも許せない人は許せない。嫌いな人は嫌い。その人たちと折り合うことは放棄している。
私には、たくさんのみっともなさがあることを認めざるを得ない。

だから、この仕事がありがたい。それでも仕事ができる状態で、こんな自分に収入を得られる仕事があって、その仕事を通してたくさんの方と出会う機会を与えられて、その仕事が好きでいられて。これは私の力で得たものではない。出会う機会を与えられた私は本当に幸運だったと思う。
私は本を読むこと以外に趣味もないような人だった。これができますということが特にない。あ、小さい頃は楽器をやっていて、大学までオーケストラを続けていたけれど、大学で始めた人が私より上手になっていくのを、ため息と共に見ていた。地方の大学で経験者があまりいなかったから、みんなそんな私を立てていてくれて、ありがたかったけれど。謙遜ではなくて、おそらく発達性運動強調障害の軽いものがあるのかなと自分では思う。本当に不器用で運動神経がないから、何をやっても下手くそで。そんな自分にコンプレックスがあって。
でもそれはこの仕事をするときは障害にならなかった。
この仕事がなければ、自分を保てなかったとも思う。病を通じて葛藤している方々をどう応援するかを考える中で、きっと私は一人ではないと、どこかで思ってきた。
仕事に寄りかかり過ぎているかもしれない。私は仕事と自分の人生を切り離せない。
でもだからこそ患者さんに迷惑をかける診療は、力不足は否めなくても、共依存になるような診療はしてはいけないと、それだけは心している。
患者さんの人生を尊重するための診療にしたいと思っている。

話が逸れてしまいました。

改めて。

たくさんの方から気持ちを届けていただいたことが、とてもありがたいです。
こんな私の言葉をこんな風に受け取ってくださった方がいらしたことが、やっぱり不思議で、
でもこんな私だから、だったのかもしれないと、たくさんの言葉をいただいて思えたことが、本当に有難いです。

皆さん、本当に本当にありがとう。
心からの感謝を込めて。
そして、これから暫くも、こういう形で、書いていきます。
どうかおつきあいのほど、よろしくお願いいたします。

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