幡野さんのcakes(京都の放火事件が起きて、世間からの誤解に怯えています)を読んで思ったこと(1)

幡野さんのcakesの記事(いつの間にか有料になっていたので、ちょっと皆さんお読みになりにくいかもしれませんが)を読んで、色々考えてしまいました。
まとまらないけれど、書いてみようと思います。
(書いてみたら、本当にまとまらず、とても長くなったので、2つに分けます💦)

記事に書かれていた幡野さんご家族が出会った統合失調症であろう方。以前、奥様と息子さんが怖い思いをしたというツイートを読んだ時にも、もしかすると精神疾患をお持ちなのだろうかと思っていました。

私は今、クリニック勤務で、症状が激しい統合失調の方に診療で出会う事はほとんどありませんが、街中でお見かけすることは、ごくたまにあります。病識を持ちにくい病気で、治療に導入しづらい場合もあるのは現実かと思います。
では治療に導入できたから解決かと言ったら、そうとも言えません。治療をしないよりは落ち着かれる方がほとんどですが、治療をしても、なかなか症状が落ち着かない方もいます。症状があっても、徐々に病識を持てるようになり、時に症状に振り回されそうになりながら症状なんだと言うところに立ち戻って下さるように努力してくださっている方もいます。症状自体が目立たなくなってくる方もいます。
同じ病名でも、本当にそれぞれで違います。

それはうつ病や双極性障害と診断された方も、不安障害と診断された方も、皆そうです。特徴的な症状はあって、診断基準を参考にして、診断し、なるべく偏りがない治療をと思っていますが、どの診断基準にもぴったりとは当てはまらないという方もいます。私たちが使っているDSMという診断基準も何年かごとに改訂されます。人間が作り、社会の影響を受け、診断基準も変わっていくのです。でも、その時の共通言語として、診断基準は有用だと思っています。それを元に、情報や、標準的な治療を医師が共有していくことで、医療の質は保たれています。
そこも大切にしつつ、でもそれに収まりきらない部分があることも大切にする。
病気によっても、個人によっても、もともと持っているなりやすさと環境因(ここでは生育歴、今現在の環境両方含んで使っています)の割合は、違いますから。

病名が持つ情報というのかな、それを大切にする。
でもはまりきらない部分も当然ある事。
そして精神科領域と呼ばれる病は、時に症状とその方の元々のあり方とが交錯し、その判別は困難なことも多い事。
難しいのですが、それらを常に頭に置きながら、それぞれの方とお目にかかっています。

ただ、違う観点から見ると共通点があります。
精神疾患を抱えていらっしゃる方は、再燃の可能性を常に抱えていらっしゃいます。
それはご本人にとっても不安な事でしょうし、周囲にとっても不安な事でしょう。
例えば今のうつ病の治療は、症状が治まった「寛解」の状態にとどまらず、社会に復帰する段階である「回復」の状態を目指します。でも回復しても、やはり再燃の不安はあり、それが精神疾患をお持ちの方の社会参加のハンデになっています。

このハンデは二つの要素で成り立っていると思っています。
一つは実際に起こる病状の悪化。それは明確なストレスであったり、理由がはっきりわからないこともあります。
そして、もう一つは、再燃しかけている段階で調節する余裕を持つことが難しい、今の社会の在り方です。急にストンと悪くなる方もいますが、病気と付き合っていくうちに、少し前の段階からちょっと調子がいつもと違うな、と感じることができるようになる方も多いです。でも、その段階で勤務を調節できるような職場は殆どありません。(その分、そういう職場のことを聴くととても嬉しくなります)
だから皆さん、かなりご無理なさって仕事をし、再燃に至ってしまうこともあります。何とかそうならないように、その中でも工夫はいつも探していますが、力及ばないことはあります。
そして、疾患をオープンにすると就職自体が難しい場合も多く、クローズにしたまま無理をして働いたいる方も多いです。
最近は、障害者枠も増えましたが、精神障害者の方は少し敬遠されやすいかなという印象を持っています。雇う側も予測がつきにくいというリスクがあるからでしょう。(あくまで印象です)

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