今の自分にそれでいいと言う。 でも可能性を手放さない。 どちらも大切なのだろうな。

今日も起きた。
シャワーを浴び、お弁当の準備をし、洗濯機を回し、のいつも通りの、昨日とほぼ同じことをしての今。
昨日は生活クラブの注文の最後の段階が終えられていなかったようで、いかにぼんやりと家事をしているのか、痛感させられた。
朝4時に起きて家事をして、クリニックに行って診療前に書類を書いて、診療をして、帰宅は8時過ぎになることが多くて、そこから食事の支度を済ませていない時はして、食べて、しばらく動けなくなって、そうしたら9時半を回っていて、寝るのが遅くなると翌日に響くと思いつつ、なかなか睡眠時間が確保できない。どうしてもの時は、お風呂を省略して、とにかく9時半ごろに寝てしまって、少し早起きしてシャワーを浴びるけれど。
7時間睡眠はどうやっても取れないなぁ。

こう考えるとある程度忙しいのだけれど、だから私は充実して生きているのかというと、それはまた違うのだろうなと思う。日々のルーティンをやっていることで、なんだか生きているような気になっているだけなのかな、と思うときがある。どこかに虚しさや寂しさがある。

と言って、今私にはエネルギーが不足気味。ワクワクするという感覚は、私から遠いところにある。しみじみ嬉しいと思うことはあっても、わぁ楽しい!というのはない。いろんなものに興味を持って取り組むというエネルギーもない。これは、もうかなりの期間続いている状況で、状況を考えると今しばらく続くのだろうと思う。

それでもこうやって動ける状態でいるのは、多分私が突き詰めて頑張りきれない人だからで、それが弱点でもあるけど、保つことにも繋がっているのが、不思議なものだなと思う。そして突き詰めない自分を責めないでいられている。これは患者さんたちとのやり取りの中で、自分を責めることの無意味さを何度も話し合ってきているからだと思う。自分を責めてしまうことをやめられない時もあるけれど、でも本当は責めなくていいんじゃないかと、沢山の方と何度も話し合ってきた。


そして、その中で私が私を保つ力になっているのは、目の前の患者さんに何ができるかという問い、そのための不足しているものを感じるとそれは勉強したいと思う(そのエネルギーがある時を逃さないようにと思っている)気持ち、それから弱さを抱えて生きている同士がなんとか支え合っていけたらという気持ち、こんな私にも理解を示してくださる数名の方の存在。すごくエネルギッシュに誰かを助けるということはできないけれど、私は私なりに応援や感謝の気持ちを伝えて行くことも出来るのではないかと、そう思うことにしている。出来ることは少ないけれど、きっとゼロではない。

無理はしない。
今の自分なりを認める。なるべく自分を責めない。
でも今の自分でも、もしかしたら出来ることがあるかもしれないという可能性を閉じない。
それが、「何かしなければ」に変わらないように注意しながら。
休むことが今の自分に必要なら、やるべきに見えることも時に後回しして休むことも選択して良いということを頭に置きながら。
そして、楽しいと思えなくても、嬉しいと思えることを、喜びたい。
患者さんの回復、たまに一緒にご飯を食べる時の子供達の嬉しそうな顔、人付き合いが少ない中での貴重な出会い。そういうものを嬉しいと思えることは、ありがたいことだと思う。
でも、もう少し心のエネルギー量を増やすことも、焦らないけど諦めないでいたいなと思う。

そう考えると、最初に虚しいと書いたけれど、そう言う感覚は時々押し寄せてくるけれど、でも違うのかな。
ぼんやりと過ごしてしまっているけれど、その日々をなんとか私は生きているということを、虚しいと思う必要はないのかな。
そして、こんな私に温かい気持ちをいただくことがあるのだから、寂しいと思う必要はないのかな。
虚しさや寂しさを否定するというのではなく、そう感じる自分がいることも認めつつ、でもちょっと立ち止まり、虚しさや寂しさを眺めてみると、また違う景色が見えてくる。

今の自分にそれでいいと言う。
でも可能性を手放さない。

どちらも大切なのだろうな。

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