いていい

私は私でいいと、心から思えているのか。
多分自信がないから、こんなことを考える。
自分は自分でいいって、思いたいのに、違う自分にならなくちゃと思っている自分がどこかにいる。
どうしてかなぁ。
もっと付加価値をつけなくちゃ。もっと能力を持たなくちゃ。
なんだかそんな思いにいつも追われている気がする。
きっと自意識過剰なのだ。少し元気がないせいもあるかな。
そんなこと考えずに、素直に自分でいられる人は沢山いる。

でもそんな自意識とは別の次元で、きっと私は私でしかいられない。
誰もがそうであるように、その人はどうやってもその人で、それしかなくて、それでいい。
私の私らしさはきっと自分ではわからないものなのだ。皆さんもそうみたいだもの。
自分の力をご存知の方もいるけれど、力や能力とは別の、その人はその人だなという、その感じ。
これはいくら俯瞰しても、多分自分では俯瞰しきれない微妙なニュアンス。

だからやっぱりよくわからないけれど、どうやっても私は私なのだ。
きついところ、頑固なところ、人が好きなところ、回避的なところ、でも覚悟を決めると結構腹がすわるところ、呑気なところ、自己完結的なところ、その割には愚痴るところ、冷静さも意外とあるところ、でも涙もろいところ、大雑把で不注意なところ、結構緊張しいなところ。
人ってたくさんのたくさんの持ち味でできている。その一つずつはある程度把握できるかもしれない。そして、その持ち味は時に矛盾しあったりして、ぶつかりあったりして、その人の中にあって、にじみ出ている。
それが総合的にどう滲み出ているかは、やはり自分ではよくわからないんだろうなと思う。

どうあがいても、自分は自分になってしまうのだから、
自分の言葉を大事にしよう。
今すぐ実行できない種類のことだけど、自分の願いを大事にしよう。
その時々の思いを大切にしよう。
そして、どんなに不器用でも、誰の役に立たなくても、むしろ迷惑をかけても、私はいていいのだとも思う。私の生きたい人生があればそれを願っていい。

私はいていいのだ。
そして、あなたも、もちろんいていいのだ。
みんな、いていいのだ。なぜ生まれてきたかわからないけど、生まれてきたということは、いても良いということだ。
不安定なこともある。コンスタントにはいろいろできないこともある。だから?その中で精一杯生きている、それで十分だと思う社会を私は願う。
それを良いと受け止めてもらえないところから、何かが狂うのだ。
それを子供の頃に否定されると、傷が深く大きくなるのだ。
でも、あなたはあなた自身の自己評価にかかわらず、私は私の自己評価にかかわらず、もちろん他者の評価に関わらず、いて良い存在なのだ。
その上で、修正点があれば、小さなところから工夫すれば良いのだ。

みんな居ていい。そう思う。

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